31. 人狼との交際

 お母様の話を聞き、妙に納得してしまった。


 お父様は経済界の覇者、鴻グループの総帥だ。しかもどうやら実の兄を引きずりおろしてその地位に就いたらしい。

 相当の能力と色々な意味で強い心がなければできないことだ。


 そんな凄い人が、わざわざこんな場を設け、家族と使用人を巻き込んでまで、庶民の小娘一人を蔑んでよろこぶ。

 いくらそういうことをする土壌があったとはいえ、普通に考えればありえない行動だ。

 つまり、そこまでおかしくなるほどの何かが起きているのだろう。


 食事の後、望夢君が私の前に来て頭を下げた。


「ねえさま、ごめんね」

「ん? どうしたんですか」


 望夢君は、なぜか私のことを「ねえさま」と呼ぶ。彼は顔を上げ、上目遣いで私を窺った。


「今日の父を見て思ったんだ。僕は今まで、なんてひどいことをねえさまに言っていたんだろうって」


 申し訳なさそうな、ふてくされているような、複雑な表情をしてそんなことを言う。

 朔夜へのものとは違う、軽やかな愛おしさがこみ上げる。


「気にしないでくださいよう。私すっかり忘れていたのに、自分で蒸し返さないのっ」


 ばんばん、と肩を叩く。

 その肩の薄さ、小ささに気づいた時にはもう遅かった。私の鍛え上げられた肩と腕から繰り出される連続平手打ちを受け、涙目になって痛みに耐える望夢君に、今度は私が必死になって謝った。




「朔夜さん、望夢」


 私が引き起こした騒動が落ち着いた後、お母様は朔夜たちを呼び、お屋敷から出るように言った。

 私と二人きりで話したいから、だという。彼らが素直に出ていくのを確認すると、お母様は私の目を見つめた。

 表情は穏やかだ。けれどもこれから真剣な話をすることを、淡い色の瞳が物語っている。

 私は姿勢を正し、お母様の瞳を受け止めた。


「高梨さん。まずはお礼を言わせてくださいね。朔夜さんとおつきあいして下さって、ありがとう」


 いきなりお礼を言われ、うろたえる。いえいえそんなと首をがくがく動かしていると、お母様はほんのりと微笑んだ。


「なんとなく察していらっしゃるかもしれないけれど、私はあまり強く物を言える立場にないの。そのせいで朔夜さんを育てることはできなかったけれど、私にとっては朔夜さんも望夢も、大切な息子なのよ」


 それは今日のお母様を見ていれば、充分に伝わる。


「だからこそ、高梨さんに伺いたいことがあるの。あなたが素敵な女性だということはわかっているのですけれども、母親としては、やはり、ね」


 ぴりっ、と空気が変わる。


「ご存じの通り、朔夜さんをはじめ鴻家は人狼族です。そのことに関して抵抗はありませんか」

「はい」


 これは即答だ。人狼族といっても普段は感覚を「閉じて」いるので、月に一度の変身以外は人間と同じなのだから。

 そもそも、人狼であることを気にしているなら交際しない。


 私がきょとんとしていると、お母様は私をじいっと見て小さく息を吐いた。


「そうよね。朔夜さんは恥ずかしがり屋さんだから、まだそういう話はしていないのでしょうね」

 

 しばらく逡巡しゅんじゅんするようなそぶりを見せた後、再び口を開く。


「先ほど、予備がどうこう、という話をしていたのを聞いていたでしょう」

「はい。意味はよくわからなかったのですが」

「主人は、望夢にもしものことがあった時、朔夜さんに家や会社を継がせようと考えていたの。鴻家存続のためにね。でも朔夜さんはその立場から身を引くと言ったわ。もしそうなったら主人は」


 一度、視線を落とす。


「朔夜さんが大学を卒業したら、『鴻家』から出て行くように言うでしょう」


 「家から」ではなく「鴻家から」と言った。それはおそらく。


「それは、単にお屋敷から出て行く、という意味ではないのですね」


 お母様が無言で頷く。


 「絶縁」「勘当」という言葉が思い浮かぶ。でも怖くて言えなかった。

 望夢君が跡を継いで朔夜が支える、という計画は、だいぶ先の話だろうから何とかなる可能性がある。それよりも。


 朔夜は離れ家で暮らすだけでは済まなくなる。

 本当に鴻家の「家族」ではなくなってしまうのだ。


 望夢君は朔夜のことを、鴻家や恋愛に関して自由だというようなことを言っていた。

 だが、それは「予備」であることが前提なのだ。


「それでね。どうして高梨さんとのおつきあいがその話と繋がるのか、ということなのだけれど」


 そうだ。なぜだ。お父様が私のことを気に入らないからか。


「朔夜さんが、高梨さんとのおつきあいを真剣なものとして考えているからなのよ」


 少し言いよどみ、瞳に力を入れる。


「あのね、高梨さん。人狼族と人間の間には、子供が生まれないの」


 静かな室内に、お母様の声が響く。


「主人にとって『鴻家の血』は絶対だわ。それが継げないのであれば」


 続く言葉は口に出されなかった。


 沈黙が流れる。その間にお母様が話されたことの意味を咀嚼する。


 お父様は「遊びなら口を挟まない」というようなことを言っていた。それならば何故あのような嫌がらせじみたことをしたのか、とも思ったが、そうじゃない。

 遊びなら、嫌がらせだけで終わったのだ。

 しかし。


 どくん、と心臓が大きな音をたてる。

 お母様の言葉を脳内で何度も繰り返す。

 しかし。

 それはつまり。

 朔夜は、私のことを。


「朔夜さんの口から何も言われていない以上、私からこのことに関して直接的な答えは聞きません。それでも、これだけはもう一度伺いたいの」


 お母様の小さな手が、胸の前でぎゅっと組まれた。


「高梨さん。『人狼族の鴻朔夜』と、おつきあいすることに抵抗はありませんか」


 その言葉が終わると同時に口を開く。


「はい。朔夜さんとはこれからも、互いに尊重し合う、誠実なおつきあいをさせていただきたく存じます」


 即答だった。


 実は今の答えには、あと一言がある。だが、さすがにそれを口にすることはできなかった。

 心の中でこっそり呟き、その重みに震えながら頬が熱くなる。


 ――互いに尊重し合う、誠実なおつきあいをさせていただきたく存じます

 ――生涯をかけて




 昼休み。紅子は私の話を聞くと、小さな握り飯片手に大きなため息をついた。


「えええ。それではご両親とはあまり良好な関係を築けなかったのね」

「いやあ、お母様とは仲良くなれた気がするんだけど、お父様はねえ。難しいねえ」


 昨日の「デート」に関して根掘り葉掘り聞かれたので、仕方なく夕食の話もした。

 勿論、お父様にされたことは一切言っていない。そのあたりは「打ち解けられなかった」くらいの表現にとどめておいた。


 紅子は今日、特別室で昼食を摂らず、握り飯一個で我慢するのだという。

 どうもデビュタントバル用のドレスが完成間近だというのに、三キロ以上目方が増えてしまったらしい。

 それで今、私と教室で握り飯を食べながらお喋りをしているのだ。


「確かにあの有名な鴻総帥ですものね。いきなり仲良くなるのは難しいかしら。それに総帥は今、お忙しいでしょうし」

「うん。私には想像もつかない世界だけど、お忙しいと思うよ」

「そうね。オオトリ本家が好調みたいだから、嬉しい悲鳴なのかもしれないけれども」

「え、オオトリ本家? なにそれ」


 突然聞いたことのない言葉が出てきて困惑する。第一、鴻グループは好調ではなかったと思うが。


「うん。え、あら? オオトリ本家って、鴻グループの会社の一つではないの? オオトリというから、てっきりそうだと思っていたわ」

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