第5話 閑話 侍従ローレンスの憂鬱

 俺はしがない貧乏伯爵家の三男だが、遠縁の親戚の紹介でスラヴァーグ公爵家で侍従として働けることができた。これは幸運なことだが、この公爵家にはご令嬢がお一人しかおられない。だから、俺は主を持つことはないだろうと思っていた。スラヴァーグ公爵家で働けるということはとても幸運なことだが、己の主が持てないというのは寂しいものではある。


 そんな俺にも転機が訪れた。なんと養子として迎えるジークフリート様の侍従になることが決められたのだ。

 10歳のご子息に、精一杯お仕えしようと心に強く思ってはいたが、初日に俺の心は既に折れそうになっていた。原因はこのスラヴァーグ公爵家の唯一のご令嬢であらせられるシャルロット様の言葉だった。

 初めての顔合わせのときにジークフリート様に対して暴言を吐かれたのだ。


 俺は慌てて慰めの言葉をジークフリート様に言ったのだが、恐らく今思えばこれがダメだったのだろう。


「ジークフリート様。恐らくお嬢様は突然のことで困惑をしておいでなのでしょう。普段のお嬢様はあの様な言葉をおっしゃる方ではありません。あれはきっと『突然のことで驚いてしまっているので、後日改めて挨拶させていただきますわ』だと思われます」


 と、お嬢様の言葉を意訳してしまったのだ。本当にお嬢様がその様に思われていたかは俺にはわからないが、シャルロット様が今まで暴言を言われたことなど一度もないので、何かしらの間違いが起こったのだと俺は考えたのだった。

 そう、お嬢様は本当に嫌っている人の前では、怖いぐらいの冷たい笑顔を見せるのだ。誰に見せたかって?俺の口からは言えないな。


 それから、俺はシャルロット様の言葉を意訳し続けた。


なぜまぁこのような所にここでお義兄様がいらっしゃる勉強中とは知らずのでしょう?失礼しましたわ


「一緒に食事など不味くて緊張するのでできませんわ遠慮させてもらいます


「わたくしの訓練を見学したいですって?その言葉でお言葉は嬉しいですが今日はやる気を疲れていますので失いましたわ行いませんわ


 という風に数々の言葉を意訳し続けてきてしまったのだ。すると何が起こったか。


「今日もシャルロットに睨まれてしまったよ。可愛いよね」

「さっきシャルロットが番犬とじゃれ合っている姿を見てきたけど、番犬の立場と代われないかな」

「エリスが『お嬢様から誕生日の贈り物です』といって刺繍のハンカチを持って来てくれたけど、ローレンスこれを額縁に入れて飾ってくれないか?」


 お嬢様に対して異常に好意的な思考を持つ、主になってしまったのだ。


 ジークフリート様。朝すれ違ったシャルロット様の目はクソ虫でも見る目でしたよ。その後いつもどおりの暴言をはかれておりましたよ。

 それに番犬っと言っても魔獣じゃないですか。あの雷狼と訓練という追いかけっこをしているシャルロット様も普通の思考ではないが、その雷狼の立ち場に成り代わりたいという変態思考を持つジークフリート様もおかしいと思います。

 あと、先程エリスさんが持ってきたハンカチは家紋の練習したものの中の一つだと聞いています。だって、ジークフリート様のイニシャルは刺繍されていませんよ。



 ジークフリート様が学園に入られたので、シャルロット様への異常な愛情は薄れたかと思いきや、旦那様がジークフリート様にいらないことを言い出したのだ。


「ジークフリート。お前、シャルロットの侍従をしてみないか?」

「します!」


 即答だった。


「恐らく本当の意味でお前が理解することはないのかもしれない。しかし、敵は世界だと心の中に留めておきなさい。そして、シャルロットの前では仮の姿でいてもらうことになるので、仮名も与えておこう」


 そして、侍従見習いのイグニスが出来上がってしまったのだ。そうなると、ジークフリート様の奇行に拍車がかかってしまった。


「ローレンス!お前の言うことは本当だった。シャルロットはとても優しくて可愛い子だった」


 まぁ、そうですね。使用人の皆は知っていましたよ。


「でさぁ。あの第2王子を事故に見せかけて殺せないかなぁ」


 物騒なことを口に出すようになってしまわれたのです。


「ダメですよ。ジークフリート様。仮にも王族ですからね」

「このままだと、シャルロットはアイツと婚姻することになるのだろう?ならば、今のうちに始末したほうがいいと思うのだけど?ローレンスはどう思う?」


 俺を王族の弑逆に付き合わせないでください。もちろん俺はジークフリート様を諌め続けた。


 学園を卒業してからは、本格的にお嬢様の侍従とスラヴァーグ公爵家の跡継ぎとしての立場の両立をジークフリート様は成し遂げられました。そのことが旦那様からも執事マークブラウン様からも高評価をもらうことになったのですが、俺は未だにジークフリート様のお嬢様に対する異常なまでの執着を報告できずにいたのだった。

 そして、アルフォンス殿下に対する殺意もだ。


 ただ、助かったのはシャルロット様が頻繁に領地に行かれるようになり、護衛兼侍従として付き従うイグニスとしてのジークフリート様の機嫌がとてもいいことだった。そして、アルフォンス殿下も最低限しかシャルロット様と交流をもたなかったことが、アルフォンス殿下の首が未だにつながっていることになるのだった。



 その均衡が崩れたのが、お嬢様が学園に入ってからだ。旦那様が補助教員としてジークフリート様を学園に再び行かせたことに俺は理解できなかった。だが、マークブラウン様が『恐らくここでお嬢様に何かあると思われるのです。使用人ではいざという時にお嬢様を守れませんからね。ジークフリート様にいてもらうほうがよいのです。しかし、ローレンス。もしジークフリート様がおかしな言動を言われたり、行動をされたのなら、直ぐに戻って来なさい』と言われたのだ。ただ、その時は俺の頭では理解ができなかったのだが、その理由は直ぐにわかった。



「ローレンス。今日とてもかわいい子に声を掛けられてしまったよ」


 その時はシャルロット様のことかと思ったのだが、次の言葉で違和感を感じたのだ。


「身分は平民だけど、特待生としてこの学園に在籍しているのだって、大変だろうね」


 平民?ジークフリート様は何の話をされているのだろうと。


 次の日も同じ様なことが起こったのだ。


「ローレンス。ロザリーから焼菓子をもらったんだ」


 ロザリーって誰ですか?それにそんないびつな何が入っているかわからない菓子を食べるつもりですか?


 その次の日も


「ローレンス。ロザリーがシャルロットにいじめられたと言うんだよ。元から口の悪い子だったからね。一度きちんと叱らないと駄目だね」


 その言葉を聞いた俺は思わずジークフリート様の腹を一発殴り付けていた。お前は誰だ!という思いを込めて。


「そんなことを言うのは俺の仕えているジークフリート様ではありません!なんですかそれは!洗脳ですか!シャルロット様の為にこの学園に補助教員としているのではなかったのですか!一旦屋敷に戻りますよ!このままではお嬢様に害を与えるだけです」


 とは言ったもののジークフリート様は俺の一撃で気絶をしていたのだ。俺のへなちょこパンチなどいつも軽々と避けるジークフリート様が気絶などありえないと、俺はジークフリート様を背負って、慌てて教員の宿舎を出て、スラヴァーグ公爵家に戻ったのだった。



「ジークフリート様もですか」


 俺の説明で答えてくれのがマークブラウン様だった。


「これは精神攻撃をされていると思って良いかもしれんのぅ」

「シャルロット様は心までは変化しなかったと言われていたので、これは早急に対処が必要ですね」


 大事おおごとになっていた。


「あの、旦那様には?」

「これから連絡を入れます。ですから、貴方は何があってもジークフリート様を部屋から出さないようにしてください」


 とても大事おおごとになってしまった。


 それから、5日間は俺にとって壮絶な5日間となった。本当に洗脳されたかのようなジークフリート様が部屋から出ていこうするのを止め、ロザリーに会いに行かなければと戯言を言うジークフリート様に仕事をさせ、窓から抜け出したジークフリート様に番犬をけしかけ、ロザリーに会えない苦しみから食べ物が喉を通らないという馬鹿に無理やり食べ物を突っ込み、それでも部屋から出ていこうとするヤツに腹パンを入れ行動不能にするという、侍従としてはあり得ない態度を取り続けたのだ。


 それから解放されたのは精神攻撃無効の魔道具が届いてからだった。しかし、正気に戻ったジークフリート様の方がおっかなかった。詳しくは言えない。

 いや、脳が拒否反応を起こしたのだ。俺は恐ろし過ぎて何も覚えてはいない。最後はガルドさんが止めに入ったことぐらいしか思い出せないのだった。


 そして、屋敷に戻られた旦那様は、その人物と接触してまた異常が見られるのであれば、強制的にジークフリート様を連れて帰ってくるようにと俺に命令をし、ジークフリート様にはそのまま平民の少女の側でその少女を見張れという命令を出されました。

 これにはジークフリートもお怒りになりましたが、使用人たちから、それがお嬢様を護ることになるのですと説得され、学園に戻られたのだ。



 そして、お嬢様が第2王子から婚約破棄をされるという事態が起こり、俺はエリスさんに連れられ、屋敷に戻らされた。


「エリスさん、最後まで居なくてよかったのですか?」

「ローレンス。これは旦那様に報告することが先決です。お嬢様のことはお嬢様自身で解決しなければならないことです。それに最悪あの場にはジークフリート様がいらっしゃいますので大丈夫ですよ」


 確かにそうなのですが、ジークフリート様が暴走しないことを俺は祈るばかりです。


 しかし、俺の祈りは虚しくジークフリート様がシャルロット様の手を取って馬車から降りてくる姿が俺の目に映っている。

 そこはイグニスとしてシャルロット様の護衛に付くという話だったじゃないですか!なぜ、ヅラを取ってしまわれたのです!それとも取れてしまったのですか!


 はぁ、俺の苦難の日々は終わりそうになさそうだ。


______________


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全7話となっておりますので、残り2話となりました。明後日には完結しますので、よろしくお願いいたします。


個人的にはこの5話が気にっております。ローレンス!頑張れ!という思いで書きました(笑)


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