第4話 閑話 スラヴァーグ公爵の困惑


「娘はいったい何をしているのかね」


 窓の外を見ながら男は後に控えているこの屋敷を取り仕切る執事のマークブラウンに問いかけた。


「旦那様。シャルロットお嬢様は雷狼とじゃれているだけですよ」


 この屋敷の主であるスラヴァーグ公爵の視線の先には、鋼色の毛並みの人よりも大きなこの屋敷の番犬として飼っている雷狼に娘であるシャルロットが、追いかけられ突進され地面に転がされている光景が繰り広げられていた。そして、今はその雷狼に娘であるシャルロットはデロデロに舐められているところだった。

 じゃれ合っている。確かにこの風景をみればじゃれ合っているようにしか見えない。


 しかし、娘のシャルロットは公爵令嬢であり、この様な行為は周りの者達が諌めるべき行動である。


「マークブラウン。本当の事を言いなさい」


 執事は主であるスラヴァーグ公爵からこの現状の説明を再度求められた。しかし、マークブラウンは頭を下げ、主である男に一言だけ口にする。


「お嬢様から直接お話を聞いてください」


 その返答にスラヴァーグ公爵は何とも言えない困惑した表情を浮かべた。


「シャルロットからはドレスが欲しいとか宝石が欲しいとしか聞かなくなったのだ。以前はそんなことなかったのにな」

「今日お帰りになられまして、何をおねだりされたのですか?」


 スラヴァーグ公爵は一週間ぶりに王城からこの屋敷に戻ってきたばかりだった。そして、挨拶にきたシャルロットは父親であるスラヴァーグ公爵に欲しい物を口にして去っていたのだ。


「ああ、今日はダイヤのティアラが欲しいと言われた」


 スラヴァーグ公爵はため息混じりで答えた。


「そうですか。それではファルメリア時代の歴史書を贈られてはいかがですか?」

「ん?先日はロードアルタ時代の歴史書だったよな」

「はい、それはもう読み終わったとおっしゃっていましたので、次の物をと言われております」


 何故か。娘であるシャルロットの欲しい物を本人からではなく執事経由でスラヴァーグ公爵の耳に入ることになっていた。これが、ここ最近のいつもの光景となっていた。


「私の娘は何歳だったかな?」

「旦那様、もうボケられたのですか?3週間前にお嬢様の6歳の誕生日パーティーをなされたではありませんか」

「ボケてはいない。だが、あの厚みのある歴史書を5日で読み切るとは」

「正確には3日です」


 執事からの言葉にスラヴァーグ公爵は再びため息を吐くのだった。


「それで、シャルロットとジークフリートの仲は相変わらずなのか?」


 出会った早々にシャルロットが養子として迎え入れたジークフリートに対して、歓迎できないと捉えられる言葉を言ったのだ。スラヴァーグ公爵としては、シャルロットは受け入れてくれるとばかりに考えていたようだ。


「はい、会えばお嬢様はジークフリート様に対して否定する言葉をおっしゃっています」

「はぁ。シャルロットは子供らしくないから、一族の中でも利発そうな子を選んできたのに、初めから兄ではなく婚約者として紹介したほうが良かったのだろうか。マークブラウン。どう思う?」


 どうやらスラヴァーグ公爵は元からジークフリートという少年をシャルロットの婚姻相手として連れてきたようだ。確かにスラヴァーグ家の直系はシャルロットしか跡継ぎがおらず、婿を迎えることが理想的ではあるが、女公爵として立った者は前例として1例のみで、それも死の病が蔓延し一族の生き残りが唯一人しかいなかった為に認められたものしかないのだ。

 だから、スラヴァーグ公爵は一族の者からシャルロットの伴侶となる者を選んできたのだった。


「今更でありますね。では何故初めからそう言われなかったのです?」

「シャルロットは賢い子だからね。婚約者と紹介してしまえば、ジークフリートに対して一歩引いて彼を立てようとすると思ったからだ。だが、まさかジークフリートに対してスラヴァーグ家を乗っ取りにきた者という言葉を言うなんて」


 シャルロットの言葉に傷ついたのはジークフリートだけでなくスラヴァーグ公爵も傷ついていたのだった。



そして、4年後

「旦那様。これはどういうことでしょうか?」

「マークブラウン。シャルロットは何を目指しているのだろうか」


 窓の外を見ているスラヴァーグ公爵は執事マークブラウンの質問には答えず、庭で繰り広げられているものに目を奪われていた。


「旦那様。現実逃避をしないでください」


 いや、現実逃避をしていたようだ。


「私も何が起こったか理解不能でね。国王に呼び出されたと思えば、アルフォンス殿下の婚約者にシャルロットはどうかと提案されたのだよ。私は断るつもりだったのに、了承して契約書にサインまでしてしまっていた。何だか妖精に騙されてしまったような気分だ」


 そう、スラヴァーグ公爵はシャルロットの伴侶にジークフリートをあてがおうとしていたのだ。その思いは、関係が改善されていない今でも変わらなかった。


「そうですか。旦那様もですか」

「それはどういう意味だね?」


 執事の言葉に理解ができず聞き返すが、マークブラウンは先程スラヴァーグ公爵が現実逃避をしていた窓の外を見ている。

 そこには4年前よりも広く訓練場にされてしまった庭でシャルロットと雷狼が遊んでいた。いや、正確にはフリスビーを投げ雷狼が追いつくよりも早くシャルロットがフリスビーをキャッチし投げ、雷狼は雷撃を発しシャルロットを足止めしようとするも、その雷撃を全てかわし、フリスビーを再びキャッチするという遊びのような訓練を繰り返していたのだ。ヒールを履いたドレス姿のシャルロットがだ。


「お嬢様は敵は世界だとおっしゃっておりました。私達使用人の前では、今までのお嬢様と何ら変わりはありません。ただ旦那様とジークフリート様の前では人が変わったようになられるのです。そうですね。一度試してみましょうか」


 マークブラウンはメガネの奥の瞳を己の主であるスラヴァーグ公爵に向けて歪ませたのだった。




「それでだな。マークブラウン、この格好になんの意味があるのだ?」

「よくお似合いです」


 マークブラウンが褒めた相手の姿は見た目はただの下女だった。この屋敷の下女の衣服を身にまとい、髪は白いメイドキャップの中に入れ込まれており目深に被っていた。少々背の高い下女がそこにいたのだった。


「マークブラウン。ガルド爺をみかけませんでした?」


 そこに白金の長い髪をなびかせた美しい少女がマークブラウンに声をかけてきた。


「シャルロット様。ガルドですか?私がいたところでは見かけませんでしたね」

「そう、どこに行ってしまったのかしら?これから訓練するって言っていましたのに」

「そうですか、では探してまいりますので、この下女と訓練場に行ってもらえますか?」

「この方と?」


 普通なら下女という立場は仕えるべき貴族にお目通りは適わない立場であるはずだ。しかし、マークブラウンは敢えて下女を連れて行くように言ったのだった。


「ええ、実は今日から下女として働くことになったのですが、今は屋敷の中を説明中でして、直ぐにガルドを探してまいりますので、訓練場までお嬢様の後につかせていただいてもよろしいでしょうか?」

「あら?マークブラウン、仕事中に声をかけてしまってごめんなさい。それぐらいならいいわ。そこの貴女、一緒にいらして?」


 そう言ってシャルロットは背後に背の高い怪しい下女を引き連れて、マークブラウンに背を向けて去っていったのだ。


「普通じゃったのぅ」

「普通でしたわね」


 マークブラウンの背後から日に焼けて体格のいい白髪の老人とオレンジ色の髪が印象的な侍女の服装を身にまとった女性が出てきた。


「下女とは考えましたね。マーク」

「ええ、普段の彼女らはシャルロット様の目には入りませんからね。見かけなくても何も疑問にも思わないでしょう」

「それにしても、旦那様は女装も似合っておったのぅ。フォッフォッフォッ」


 彼らもシャルロットとスラヴァーグ公爵とジークフリートの関係がどうにか改善できないか、画策していたのだ。そして、シャルロットの前で本人と認識させなければどうなるかを試してみたのだった。


「これならジークフリート様もいけそうですわ」

「何じゃ?ジークフリート様も女装されるのか?」

「そんなわけないでしょ!侍従あたりがいいと私は思うのだけど、マークはどう思う?」

「それが無難でしょう。その辺りは旦那様と要相談しなければなりません。ガルド。そろそろ、旦那様を迎えにいきましょうか」

「フォッフォッフォッ。さぞ、お困りであろう」



 その頃スラヴァーグ公爵は娘のシャルロットの後ろを歩きながら冷や汗を流していたのだった。


「貴女。どこのご出身なのかしら?」

「スラヴァーグです(ボソ)」


 背の高い下女は俯きながら、蚊が鳴くような声で答えた。


「まぁ。そうなのですの?わたくしスラヴァーグ領の全てには行ったことがないのですけどアルドトス地方の穀倉地帯ってどのような感じなのでしょうか?」


 しかし、シャルロットは気にすることなく、更に話を続ける。


「どのような感じとは、どういうことでしょうか(ボソ)」


 シャルロットの曖昧な質問に背の高い下女は更に聞き直す。しかし、その声は変わらず、聞き取りにくかった。


「んー。この2、3年の収穫量が落ちていっているみたいなのですけど、特に干ばつがあったとか害虫が発生したとか聞きませんので、何かあるのかと思いまして」


 10歳の少女の会話ではない。


「私が直接行って調べることができればいいのですけど、まだ10歳ですから、一人で出かけることにお父様は許可を出してくださらないと思いますの。まぁ、その前に会話が成立しなくなるのですけどね」

「会話が成立しないとは、どういうことでしょうか?(ボソ)」

「多分貴女もここで働くようになれば見かけるようになるでしょうけど、わたくしはお父様の前で、我儘娘を演じだしてしまいますの。おかしいでしょ?」


 そう言ってシャルロットは振り向きメイドキャップを目深に被った下女に向かってニコリと笑った。


「世界がね。わたくしを『悪役令嬢』に仕立て上げたいようなのよ。ふふふ、こんなことを言うと頭のおかしな子供に思われてしまうわね。今言ったことは忘れてほしいわ。クスクス」

「お嬢様。お待たせしてしまってすまんのぅ」


 そこにガルドと呼ばれた老人がやってきた。その横には執事のマークブラウンの姿もある。


「お嬢様。お手数をおかけいたしました」

「あら?わたくしは話し相手がいて、楽しかったですわ」


 マークブラウンはシャルロットに頭を下げ、下女と共に訓練場を去っていった。



「それでどうでした?旦那様」


 下女がメイドキャップを取り外し、シャルロットと同じ白金の髪が顕わになった。そして、眉間にシワを寄せたスラヴァーグ公爵の姿がそこにはあった。下女の服装を身にまとっているが。


「シャルロットはシャルロットだった」

「そうでございますね。お嬢様は何もお変わりありません」

「世界が敵とはこれは流石に敵うものではないだろう」

「ですが、お嬢様はご自分の未来に抗うために努力をしておりますよ」

「マークブラウン。その未来について詳しく話してもらおうか」


 スラヴァーグ公爵とマークブラウンの姿はこれからの事を話し合うべく執務室の中に消えていった。ただ、その扉の向こうに消えていく姿は執事と下女にしか見えないのであった。


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