第2話 世界が望む悪役令嬢
私はシャルロット・スラヴァーグ。スラヴァーグ公爵家の一人娘として生を受けましたの。
ただ、父にとっての誤算は母が私を産んだ時に亡くなってしまったことでしょう。私が男であれば、また違ったのでしょうが、跡継ぎは基本的に男と決まっているこの国で、女公爵を立てることは難しいでしょう。
そして、父が再婚をすればまた違ったのでしょうが、父は遠縁の子という男の子を連れて来たのです。
私が5歳。
父が私の前に連れてきた子供はキラキラとした金髪にエメラルドのような美しい瞳を持った、とても穏やかな雰囲気をまとった少年でした。私はその義兄という少年を目にしたとき、とても嬉しく思っていたのです。『これから義妹として仲良くしてくださいませ』そう言葉にするつもりでした。しかし、私の口から出てきた言葉というのが
「あら、あなたがスラヴァーグ公爵家を乗っ取りにきた者ですの」
でした。すぐに言い直そうと『失礼しましたわ。義妹になりますシャルロットですわ。宜しくお願いしますわ』と言うつもりでした。しかし···
「仲良くするつもりはありませんので、わたくしには話しかけないでくださいませ」
という言葉だったのです。流石に子供ながらおかしいと思い、呆然としている父と義兄に背を向け、その場を後にしたのです。
「無駄な時間でしたわ」
という捨て台詞を残して。
私は慌てて自室に戻り、お気に入りの大きなうさぎのぬいぐるみを抱え込んで、ベッドに潜り込みました。
話そうとしていることと口に出した言葉が全く違うことに恐ろしくなったのです。
「わたくしはどうしてしまったのでしょう。お話に出てくる悪魔というモノにあやつられているの?これではまるで、『あくやくれいじょう』みたいだわ····『あくやくれいじょう』???」
唐突に知らない言葉が口から出てきました。『あくやくれいじょう』とは何のことでしょうか。今まで読んだ本の中にはそのような人物が出てくるお話はありませんでしたわ。では、なぜ私の口からそのような言葉が出てきたのでしょう?
「『あくやくれいじょう』って何かしら?」
そう呟いてみますと、私の頭の中に悪役令嬢という情報が引き出されてきました。これはいったいどういうことでしょうか?困惑しながらも悪役令嬢というモノの知識を確認してみますと。
「悪役令嬢とは傲慢、横柄、我儘な人物である···わたくし今までわがままだったかしら?」
確かにお母さまという存在が私にはいませんし、父は滅多にこの屋敷には戻って来ていません。ですので、他の貴族の子供たちよりも家族というものの感覚は薄いでしょう。しかし、その代わりといってはなんですが、使用人たちが私の親代わりとなっていますので、寂しくはありませんし、そんなにわがままは····この前美味しいお菓子が食べたいって言ったのはわがままだったかしら?青い服よりも赤い服が着たいと言ったのはわがままだったかしら?
「わがままはダメなのね。それから?···何事にも完璧主義者である。膨大な知識、人の域を超えた能力で不都合をねじ伏せていく···人のいきをこえた能力って、それは人なのかしら?」
完璧主義者というものは分かりますわ。恐らく父のような人の事を言うのでしょう。父は国王陛下の右腕として宰相の地位にありますもの。能力の高い人の事を指すのですわね。
「それから?···王子の婚約者の立場を守るため····ちょっと待ってくださいませ!わたくしに婚約者はいないですわ。ということは、今からできるということでしょうか?···婚約者の立場を守るため、王子が囲っている女の子を虐めたおし、最終的に王子から婚約破棄され、投獄され斬首されるか、身分剥奪のうえ国外追放されるか、毒杯を賜るか、娼館に売られる···??え?意味がわかりませんわ。これは王子が先に浮気をしたという話ですか?でもそれなら愛人や側妃という立ち場におけばよろしかったのではないのですか?」
これは王子の恋人に手を出したから、殺されるということでしょうか?でもこれは先程の完璧主義者と矛盾していると思います。
父にはいると聞いてはおりませんが、使用人たちの話では、○○夫人が若い男性と演劇を鑑賞してたらしいとか、○○伯爵が娘より若い愛人を囲っているらしいとか耳にしますから、貴族では愛人がいることは当たり前なのではないのでしょうか。
でしたら、その王子に恋人がいても受け入れるのが、貴族としての常識ではないのでしょうか。でも、その王子という者に物語のような恋でもすれば、めでたしめでたしで終わりたいのかもしれませんね。めでたしめでたしの後はどうなったかはわかりませんが。
ああ、こんなことを言ってしまうから『お嬢様はもう少し子供らしくいらしてもいいのですよ』と言われてしまうのですね。
ん?そういえば、先程の内容からするとその悪役令嬢という人に誰も味方をしてくれなかったということでしょうか?普通なら貴族としてその様な横柄な命令など聞くわけにはいきません。婚約者と恋人のどちらが立場が上かといえば、もちろん婚約者の方が立場が上なのですから、親が抗議をするはずです。
「え?誰も味方をしてくれないのですか?父親も義兄や義弟も侍従も全て恋人の少女の味方?それはおかしいのではないのですか?そこは王子の味方というべきでは?」
何ということでしょう。少女は悪役令嬢という者の家族を味方に付けていたのです。恐ろしいですわ。これは誰にも頼れないということではないですか。
「だから、悪役令嬢は完璧主義者で人の域を超えた力が必要なのですね。えっと、魔法に長けており、勉学も常にトップ、3人ほどの取り巻きを引き連れて縦ロールをなびかせて濃いめの化粧で高笑いを響かせている···これは縦ロールではなくてはならないのでしょうか?それで?····悪魔を配下にして魔王を配下にして目から光線を出して王都の壊滅を目論む····これはなんですか?」
そもそも悪魔や魔王をただの人が配下になどできますの?人の域を超えることはもしかしてこういうことなのでしょうか?
「目から光線ぐらいは出せるかもしれませんわねー」
「お嬢様!何独り言をブツブツとおっしゃっているのですか!それにお嬢様どうされたのですか?ジークフリート様にあのような態度を取られるなんてお嬢様らしくありませんよ」
そう言って被っていた布団を剥がされてしまいました。私を思考の海から強制的に現実世界に呼び戻した者に視線を向けます。
太陽のような明るいオレンジの髪を一つにまとめ、空のような青い瞳を私に向けてくる侍女のエリスでした。歳は20代後半でしょうか、私の母親代わりと言っていい女性です。
「まぁ。そのまま横になられているから、御髪が乱れているではありませんか!お洋服もシワに!」
それは仕方がありませんわね。
私はうさぎのぬいぐるみを抱えたままエリスに抱えられ、鏡台の前に座らされてしまいました。
その鏡に映る子供を見ます。先程見たジークフリートという少年よりも色が抜けた金髪がエリスの手で梳かれており、りんごの様な赤い瞳が私を睨みつけるように見てきます。
悪役令嬢ですか。何を考えているかわからない顔といえばそうかもしれません。私は別に睨みつけているつもりはないのですが、睨んでいるように見えてしまいますね。
「お嬢様。何故ジークフリート様にあのような態度を?」
当然ながらエリスは私に先程の私の態度が悪いと言ってきました。まぁ、当然ですわね。
「そうですわね。わたくしは仲良くしてくださいませというつもりでしたわ」
あら?ちゃんとここでは言えましたわ。
「でも、何故か口から出た言葉はあのような言葉でしたわね。わたくしも不思議でしたの。そうね。世界の強制力かしら?」
世界の強制力?また、思ってもいない言葉が口から出てきました。世界の強制力とはどういうことでしょうか?
世界の思惑に沿って調整されるということですか。恐ろしいです。私の敵は世界ということになってしまいますわ。こうなれば居ても立っても居られません。
それからの私は世界の望む『悪役令嬢』という役をやらされてしまったのです。
父の前では甘えて我儘をいう子供に、義兄ジークフリートの前では口の悪い子供に。
しかし、使用人の前では私は私でいることができました。
父の執事には『わたくしはお父様の前で我儘を言っていますけど、その我儘は聞かなくてもいいです。新しいドレスが欲しいと言いましたが、全く欲しくありません。どちらかというと新しい本が欲しいです』と言ってありますし、庭師のガルド爺には『じぃの弟子にして欲しいですわ。取り敢えず番犬からドレスで逃げられるようになりたいですわ』と、スラヴァーグ家の影を担っているガルド爺に頼み込んでいますし、エリスには···
「取り敢えず勉強をすることにしますわ」
「お嬢様、意味がわかりませんが?このエリスにもわかるように説明してくださいませ」
「茶番劇を生き抜く為に必要なことですわ」
そう、世界が望むように演じる茶番劇。
「フォッフォッフォッ。それでお嬢様の敵は誰ですかのぅ」
麦わら帽子からはみ出た白髪に老年の年月がうかがえるシワに日焼けした肌が、彼が長年庭師として働いていたであろうことがうかがえます。
「ガルドじぃ。そうね。本来の敵は世界ですわ。でもそれは流石に勝てませんから、仮想の敵はお父様でありお兄様であり、婚約者かしら?」
「フォッフォッフォッ。仮想の敵ですか。これはまた、難しいことをおっしゃる」
「お嬢様。旦那様が敵とはどういうことでしょうか?」
撫で付けた黒髪に光を反射するメガネを押し上げ、子供の私に対して子供扱いせずに問いかけてくるのは、この屋敷を取り仕切る執事のマークブラウンです。
「別にお父様が悪いわけではないのですよ。ただ、我儘ばかりを言う子供は可愛らしくないでしょ?」
「それなら、旦那様に対して少々言葉を控えらればよろしいのではありませんか?」
「それができないから、あなた達に相談をしているのですわ」
私も努力はしてみたのです。父の前で庭の花が綺麗に咲きましたので庭でお茶でも一緒にしませんか?とお仕事で疲れているであろう父に休憩の意味を込めて誘おうとすれば、『お父さま〜。わたくし今人気のマダム・メアリーローズのドレスが欲しいですわ』と口にしていたのです。
義兄ジークフリートに対してもです。直接話せば罵倒してしまうのは直ることはなく、誕生日プレゼントに我がスラヴァーグ家の家紋をハンカチに刺繍するまではよかったのです。しかし、メッセージカードを書こうとすると呪いの怨嗟の如くにつらつらと文句を書き始める私がいたのです。どうやら文字に起こすこともダメでした。
ですから私は二人に対して何かをするということを諦めました。
「お嬢様。お勉強と言われましても、一度にこの量は流石に····」
エリスが困惑するように、私の前に私が頼んだ本を置いてくれました。
「エリス。悪役令嬢たるもの、外国語に堪能でなければないのよ」
私の言葉に更にエリスの顔に困惑の色が深まっています。
「ですが、5ヶ国語を一度にとは、些か問題があると思います。せめて、一カ国語ずつされてはいかがでしょうか?」
私の前には山積みになった本の壁が視界を遮って、エリスの顔しか見えません。
「時間は有限ですわ。これを一通り目を通したら、その後はガルドじぃとの訓練ですもの」
そして、私は手に持っていた本に目を戻します。この国の王妃様の母国であるパキラ聖王国のマナーが書かれた本になります。その横には翻訳に必要な辞書とパキラ聖王国の国語の教本を並べています。マナーとパキラ聖王国の言葉が覚えられて、効率的ですわ。そして、その周りには他の4言語の辞書を並べています。
「お嬢様。そのようなやり方で覚えられるのでしょうか?必要であれば、教師を用意しますが?」
「教師は必要ないわ。それに、教師を呼ぶとなれば、お父様の耳に入ることになるでしょう?」
そう、本当に教師の方は必要ないのです。私は一度理解したことは覚えられるようです。ですから、一度調べた単語や、文章体を再度調べることはありませんでした。パキラ語の単語を調べたときに他の4言語の単語も調べておくと、他の外国語の本を読んだときには調べる回数は減るのです。
「はぁ。お嬢様、旦那様をそのように敵視しなくてもよろしいのではないのでしょうか?」
エリスのため息が聞こえてきました。敵視はしていませんが、お父様に会うと我儘を言ってしまう私自身に呆れてしまっているのです。教師を呼ぶとなれば、お父様が私のところに来ることになり、また私は我儘を言う茶番劇を始めてしまうことでしょう。
炎天下の中、私は日に焼けたガルド爺に向かって言います。
「ガルドじぃ。お願いしますわ」
午前中は勉強をして、午後からは体力をつけるための訓練です。そう、まずは体力が必要です。
「では、屋敷の周りを一周してみましょうかのぅ」
ガルド爺は背を向けて歩き出しましたので、私はその後を付いていきます。そして、私の横には日傘を差したエリスが並んで歩いています。
トテトテトテと足音を立てて歩く私。
カツカツカツと踵を鳴らして隣を歩くエリス。
····何も足音がしないガルド爺。
足音がしない?
「ガルドじぃ。足音がしないのはなぜ?」
疑問に思い、思わず聞いてしまいました。
「ほぅ。気づかれましたか?まぁ、仕事柄必要でしてのぅ。もう、クセと言って良いでしょうなぁ」
ガルド爺は振り返りながら、苦笑いを浮かべてきました。仕事柄ですか。私もそのようにした方が良いのでしょうか?
ガルド爺の歩き方を観察します。···よくわかりませんわ。私には普通に歩いているようにしか見えません。
しかし、段々と額に汗が滲んできました。そして、息が上がってきます。ただ、歩いているだけで、この様に息が上がってしまうなんて、ダメですわ。こんなことでは、走って逃げるなんてできませんわ。いいえ、まだこれでいいのです。これで。
「お嬢様。屋敷を一周歩ききりましたが、どうでしたかのぅ?」
ガルド爺がニヤニヤした顔で聞いてきました。きっと、これで私が諦めると思っているのでしょう。
肩でハァハァと息をしている私は落ち着く為に、大きく呼吸をします。そして、ガルド爺の顔を正面から捉えます。
「ふぅー···ガルドじぃ。このままでは全くダメだと言うことがわかりました。訓練を続けます」
「ほぅ」
真剣に話す私をガルド爺は目を細めて見てきました。そして、わずかに口元が笑っているように見えます。
「では、屋敷の周りを歩いても疲れないぐらいには訓練しましょうかのぅ」
それではダメですわ。歩いて疲れない程度ではダメなのです。
私はガルド爺の言葉に首を横に振ります。
「ガルドじぃ。ダメですわ。それだけではダメです。せめて、ガルドじぃの歩き方を教えてほしいですわ。その魔力のおかしな流れの理由も」
私の言葉にガルド爺が目を見開き、私を見てきました。そうです。普通の人は魔力の流れは無いに等しいのですが、お父様やガルド爺などは、魔力が一定の流れがあるように見えるのです。しかし、ガルド爺が歩いている時の魔力の流れがおかしいと思ったのです。足元に向かって魔力が流れているように見えたのです。
「フォッフォッフォッ。お嬢様には敵いせぬなぁ。それでは実践とまいりましょうか」
「え?我が国の歴史書ですか?」
私はマークブラウンにこの国の歴史書がどこにあるかを聞いてみたのです。
「屋敷の書庫には歴史書がありませんでしたので、どこにあるのかと思ったのですわ。書庫の中にあるスラヴァーグ公爵領の領地に関する書類やスラヴァーグ公爵家の歴史は読んでしまいましたの」
「え?あの蔵書量を読まれたのですか?」
確かに量は多かったですが、殆どが領地の収穫高のことでしたり、補修工事の計画書でしたり、大した内容ではありませんでした。パラパラと流し見をして、元に戻すということの繰り返しでした。
「スラヴァーグ公爵家の歴史書は面白かったですわ」
私はニコリと笑ってマークブラウンに答えました。スラヴァーグ公爵家は9代前の国王の弟から始まった王家の分家だったのです。約200年ほどの歴史がありました。
「そうですか。それではロードアルタ時代の歴史書から始めてはいかがでしょう?」
そして、3日後になぜかお父様からロードアルタ時代の歴史書を手渡されました。もちろん手渡された私は分厚い書物を手にお父様に言います。
「まぁ、この様な物、わたくしが頼んだ物と違いますわ。お父さま〜。わたくし赤いドレスが欲しいとお願いしましたわ。でも、お父さまがくださるというなら、もらって差し上げますわ」
かなり上から目線だったと付け加えておきます。
こうして、使用人達の手を借りながら過ごすこと5年。10歳の私に父は婚約者という者を連れてきたのです。
私の前に連れて来られた人物は銀髪に紫の瞳が美しく、見た目はかなり良い少年でした。それは見た目は良いでしょう。なぜなら、彼はこの国の第2王子なのですから。
アルフォンス・ヴァン・ラスヴェート
ラスヴェート国の国王陛下と第3側妃との間に生まれた王子です。
微妙な立場ですわ。簡単に言えば王太子のスペアですが、王太子に何かあれば王に立つ立場です。まぁ、ですから同じ年で公爵令嬢である私が選ばれたのでしょう。
「見た目は良いですね。これから、婚約者として私に仕えるのですよ」
婚約者であるアルフォンス殿下からかけられた初めての言葉でした。ええ、ですから私もそのお言葉に答えて差し上げました。
『まぁ。所詮婚約者でありますから、アルフォンス殿下次第で事は変わっていきますわよ。ええ、殿下自身が公爵に立たれるか、スラヴァーグ家に入ることになるか』
そう、微妙な立場の殿下には2つの未来が用意されておりました。何かしらの功績を成人するまでに成し遂げれば、新たな公爵家を立ち上げる未来と私と婚姻することによって得られるスラヴァーグ公爵の地位です。
しかし····
「アルフォンス殿下。これから宜しくお願いいたしますわ。精一杯、殿下にお仕えいたしますわ」
と。また、私は茶番劇を始めてしまったのです。これで私は確信しました。私は殿下の所為で『悪役令嬢』にならなければならないと。
その頃には義兄ジークフリートは貴族の子女が通うランプロス学園に通っておりましたので、この場にはおりませんでした。ですからこの婚約を義兄がどう思っているかは私にはわかりませんでした。そう、このアルフォンス殿下の行動によって、義兄ジークフリートの未来も変わってくるのです。父は何を考えてこの婚約を取り付けてきたのでしょうか。いえ、それこそが世界の強制力なのでしょう。
私が婚約を破棄されれば、必然的に義兄ジークフリートがこのスラヴァーグ家の公爵に立つことになるのですから。
ただ、アルフォンス殿下との関係はとても良好ではありました。ええ、私が努力した結果、完璧主義者のシャルロットが出来上がったのですから。
殿下としては理想的ではあったでしょう。殿下の仕事を肩代わりをして、それが殿下の功績となり、私という従順に殿下に付き従う部下のような婚約者に。そう、殿下の功績を作る為には私はうってつけでした。
殿下を前にした私がとは付け加えておきます。裏では私は私として行動を起こしておりました。
13歳の頃になりますと私も悪役令嬢として完成度は高くなってきました。
「これ、もう少し丈夫にできません?」
私は折れた扇子を片手に首を傾げて、目の前の人物に尋ねます。
「お嬢様。いきなり飛び出してオーガを15体も倒せば鉄扇も折れると思います」
目を覆うような長めの黒髪に光を反射するメガネを押し上げ、呆れたような緑の瞳を私に向けてくるのは、私につけられた侍従のイグニスです。見た目はマークブラウン二世という感じですが、侍従といっても私の移動の際につけられた護衛とい言い直した方がいいでしょう。
「それにですね。私はお嬢様の護衛を兼ねているのです。なぜ、私より先に出て行ってしまうのですか?」
「実戦を兼ねてのことですわ」
私とイグニスの周りには20体程のオーガの躯が折り重なっていました。
「それに、スラヴァーグ公爵領の治安が良くなったですわ。領民も安心して過ごすことができますでしょ?」
13歳になりました私はスラヴァーグ公爵領と王都を行き来するようになりました。私が悪役令嬢としての役目を終えれば、スラヴァーグ公爵領と関わりがなくなるかもしれませんが、今はまだスラヴァーグ公爵令嬢ですもの。やはり実際に領地を見てみたいと考えていましたら、お父様に侍従イグニスを紹介され、イグニスを連れていけば領地を自由に行動していいと突然言われたのです。きっとマークブラウンからお父様の耳に入るようにしてくれたのでしょう。
「その領民の血税で作られた鉄扇を折るお嬢様は如何なものでしょうね」
はっ!言われてみれば確かにそうですわ。
折れ曲がってしまった鉄扇を見ます。これは公爵令嬢として持ち歩いても可笑しくない装飾が施され、透かしが彫り込まれ、見た感じではこれが鉄でできているとは思われないでしょう。
その折れてしまった部分に手を添えて魔法を施します。
「『
覆っていた手を離しますと、そこには元の姿に戻った扇がありました。そして····
「『強化』、『硬質化』、『物理的打撃強化』、『魔法攻撃無効』、『最強』、『最凶』「お嬢様!!」…」
鉄扇を強化する魔法をかけていますとイグニスに止められてしまいました。
「途中からおかしな言葉が混じってきています。それから、何故か鉄扇が蒼光していますが?」
確かに蒼光しておりますわね。鉄扇を広げてみましても光っていることに、変わりはありません。それを思いっきり振るってみます。
すると空気を切り裂くようなシュッという音がしたかと思うと、離れていた所に立っている木が幹の途中から切れ目が走り、ずり落ちて倒れていきました。
「これは良いですわ!」
しかし、直ぐにイグニスに扇を奪われてしまいました。
「これは没収です」
「イグニス!悪役令嬢たるもの最強の武器は必要ですのよ!返してください」
私が鉄扇に手を伸ばして取り返そうとしますが、イグニスと私の身長差は歴然。鉄扇を取り返せそうにありません。
「魔王を倒す勇者のようなセリフを吐かないでください。これはガルドに預けておきます」
そうですか。最強の武器は勇者という存在に明け渡さなければならないのですね。ですが、勇者が女性なら良いですが、男性だった場合、死蔵することになりそうですわ。
そうですね。いつも扇を手に持っているとは限りません。これは素手でも戦えるようにしておかなければ、ならないのですね。屋敷に戻ればガルド爺にお願いしてみましょう。
こうして、私は王都と領地を往復しながら、王子の言い渡された仕事を行い。合間を縫って公爵令嬢として交流を深めるべくお茶会に参加をしておりました。
そして、私は気づいたのです。私が私でいられる人物と、私が茶番劇を始めてしまう人物がいることに。ですから、私は父と義兄、第2王子以外の茶番劇をしてしまう人物を私の周りから排除しました。
中でも三人の伯爵令嬢たちを私の前から排除するのは、かなり困難をきわめました。一人は隣国からの良縁を差し向けるようにして隣国に渡らせ、もう一人は騎士になることを望んでいましたので、前騎士団長のところで騎士になる者達を育てているという情報を耳に入れるように差し向けました。最後の一人は魔法都市エルファルガの学園に通いたいともらしておりましたので、色々な伝手を使って彼女には魔法都市に行ってもらいました。
そうして、私が茶番劇をしてしまう人たちを排除してきたのです。
年月は流れ、私は15歳になり、貴族の子女が共に過ごすランプロス学園に入学しました。
そこでは、私以外の茶番劇が始まってしまったのです。そう、15歳から18歳までの3年間、この茶番劇が学園内で繰り広げられたのです。義兄は卒業をして学園には居ないと思っておりましたのに、補助教員という形で学園に残っていたのです。
私は心の中でツッコミました。父について領地の事を覚えなくていいのかと。ええ、心の中でです。直接話すと私の口からは嫌味しか出てきませんから。
そして、アルフォンス殿下の周りにピンクブラウンの髪の少女を見かけるようになりました。明るく殿下に話しかけている姿。殿下の側近候補に腕を絡めている姿。
世界は私の心には強制力を働かせることはありませんでした。その彼女の行動には何も思うことはありませんでした。ただ、側近候補達の婚約者の方々はその彼女に節度を持つようにと忠告をしておりましたが、彼らは聞く耳を持つことはありませんでした。
しかし、義兄と仲良く話している姿には流石の私も苛立ちを感じてしまいました。私は一度もそのように仲良く話すことはできていないのです。父から紹介された時から仲良くしたいと思い続け、あの手この手を試してみたものの全て茶番劇を始める私によって無に帰してしまったのです。ですから、未だにまともに会話をしたことはありませんでした。
そして、ある日のこと。
「酷いわ。シャルロットさん」
何故か私の足元で、突然転んだピンクブラウンの少女がいます。
「あら?わたくしが酷いのですか?貴女が勝手に転んだだけでしょう?」
私は涼し気な布張りの扇を広げ、その奥からロザリーを見下します。突然、私の目の前で転んだことに間違いはありません。
「シャルロットさんがあたしの足を引っ掛けたのでしょ!」
「まぁ、わたくしが悪いとおっしゃるのかしら?それに、ここは貴族専用のサロンでしてよ?ここに貴女がいることが場違いではないのですか?」
そもそもです。ソファに座っている私がどうやって足を引っ掛けると言うのでしょう。後ろから歩いて来たロザリー嬢がいきなり倒れて、私に文句を言うのは何だか違うと思いますわ。
私の言葉に同意を示すかのようなクスクスとした笑いが起こっています。段々と顔を真っ赤にしたロザリー嬢は『アルフォンス様に言いつけます!』という捨て台詞を吐いてサロンを出てきました。何をしにここに入って来たのでしょう?
また、ある日のこと。
「シャルロット!!どういうことだ!」
サロンでご令嬢の皆様とお茶を嗜んでおりますと、アルフォンス殿下がロザリー嬢と取り巻きの皆様と共にやってきました。
「まぁ、殿下どうされましたの?」
私は殿下の前で殿下を慕う婚約者の役を演じはじめました。茶番劇の始まりです。
「シャルロット!貴様、ロザリーの私物を切り刻んで捨てたらしいな!」
あら?私はそのようなことは、していませんわよ?それにロザリー嬢とは選択している科目で同じものはダンスの授業だけですので、同じ教室にいることはありませんわ。
「まぁ殿下。そんなことよりも御一緒にお茶でも如何ですか?」
はぁ、否定すべきところですのに、殿下をお茶に誘ってしまうなんて、そんなつもりは全くありませんのに。
「そんなこととはどういうことだ!貴様は何をしたのか自覚がないのか!」
ですから、私は何もしておりませんよ?私はちらりとマリーローズ様に視線を向けます。
「アルフォンス殿下。わたくしたちはロザリー嬢とは選択科目が全く違うのです。殿下もご存知の通り、わたくしたちは跡継ぎとして殿方と共に同じ教科を選択しておりますのよ?どこにそのような暇があると言うのでしょう?」
マリーローズ様は私の言いたいことを代弁してくださいました。そう、
それは領地の経営学から剣術まで多岐に渡り、殆どを殿方と共に行動をしているのです。唯一の息抜きは、こうしてサロンでご令嬢の皆様とお茶を嗜んでいる、このひとときだけなのです。
まぁ、最近は授業に殿下の姿を見ることが少なくなりました。それに、剣術の授業などは初めからお見かけしませんでしたけどね。
「アルフォンス殿下。そう言えば、次は剣術の授業でしたわね。御一緒させていただいてよろしいでしょうか?」
マリーローズ様が扇で口元を隠しながら、剣術の授業を一緒に受けましょうとお誘いしますと、殿下は目をオロオロとさせてしまいました。マリーローズ様、口元がニヤけておりますわよ。
「そうですわ。わたくしも殿下と御一緒させていただいてよろしいでしょうか?」
私の口からは都合よく殿下に追い打ちをかける言葉が出てきました。
「ふん!俺はやることがあるので、剣術の授業には出られん!残念だったな!」
そう捨て台詞を吐いて殿下達はサロンを出ていかれました。ロザリー嬢の件はよろしかったのでしょうか?
そして、また、ある日のこと。
ダンスの授業の後、令嬢の方々は着替えなければならないのですが、そこで私を含め5人の高位貴族の令嬢専用の更衣室に侵入してくる者がおりました。
あ、何故着替えなければならないのかですって?このランプロス学園には決まった制服があるのです。なんでも、平民の方々も気兼ねなく授業に打ち込めるようにと配慮されていることが理由になります。
ですから、ダンスの授業になりますと仕えている侍女を連れてドレスに着替え、授業が終われば制服に着替えるということが流れになるのです。そして、平民の方々は衣装の貸出しがあり、学園側で用意されたドレスに着替えて授業が終われば平民の方々が使用する更衣室で着替えているようです。
「シャルロットさん!貴女でしょう!あたしの制服を隠したのは!」
更衣室の入り口でエリザともう一人の侍女に止められ、これ以上入ってこれないロザリー嬢がそこにおりました。
私は制服に着替え終わっており、個室から出てソファに腰を下ろし、紅茶を嗜んでいるところでした。本当に騒がしい人ですわ。
「わたくしではありませんわ。何故わたくしが、その様なことをしなければならないのでしょう?」
私は首を傾げロザリー嬢に問いかけます。
「あたしへの嫌がらせでしょう!アルフォンス様と仲がいいからって!」
第2王子と仲が良いのは知っておりますわ。よく腕を絡めている姿をお見かけしますので。ですが、それに対して私は何も思うことはありません。お好きになさればよろしいのです。所詮、私と第2王子との婚約は王家と公爵家との家同士の取り決めごと、そこに個人の感情なんてありませんわ。
「自覚がお有りならアルフォンス殿下から距離を置けばよろしいのではありませんか?」
私の向かい側で私と同じ様に紅茶を嗜んでいた侯爵令嬢のマリーローズ様が呆れたようにロザリー嬢に声をかけました。
「アルフォンス様の婚約者として出来損ないのシャルロットさんに代わって、あたしがアルフォンス様を癒やしてあげているんじゃない!なのに、それに嫉妬してあたしの制服を隠すなんて、性格悪すぎよ!」
ああ、エリスの顔が段々と酷い顔になってきていますわ。ふるふると震えだして、口を一文字に結んでいますが、そうでもしないと、発言が許されていないこの場で、文句が出てきそうなのでしょう。
「貴女は被害妄想癖がお有りなのね。今の言葉には目を瞑ってあげますから、さっさと部屋を出ていってくださいません?そして、そのまま寮に戻って洗い替えの制服を着ればよろしいのでは?」
「洗い替えの制服なんてあるはずないでしょ!」
洗い替えの制服がありませんの?私は20着ほど制服を持っておりますわ。季節に合わせた物でしたり、生地にこだわった物でしたり、レースにこだわった物でしたり、色々ありましてよ?
でも、洗い替えの制服がないとすれば···
「いつも着ている制服は同じ物ですの?」
それなら、いつ洗うのでしょうか?平民の方々は同じ服を毎日着ても苦痛ではないのでしょうか?それとも、あまり服をお持ちでない?
するとクスクスという複数の声が聞こえてきました。周りを見てみますと、着替え終わった他の令嬢の方々が個室から出て着ておりました。そのうちの一人のご令嬢が今着ている制服とは別の制服をお持ちになって、ロザリー嬢に近づいていきました。
「私の着替えた制服でよろしかったら差し上げますわ。大きさが合うかわかりませんけれど」
クスリと笑うその令嬢はマリーローズ様と同じ侯爵令嬢のサヴェート侯爵令嬢ですわ。制服の大きさが合うかわからないという言葉の意味はきっとサヴェート侯爵令嬢が豊満な体つきをしていらっしゃるからでしょう。それに対してロザリー嬢はスレンダーな体型です。
「わ、私の制服もよろしければ····」
サヴェート侯爵令嬢の後ろからおずおずという感じで、プリドラール伯爵令嬢が制服を差し出していました。まぁ、ロザリー嬢と同じ体格からいけばプリドラール伯爵令嬢の制服の方が良いでしょう。
ロザリー嬢は2着の制服を見比べ、プリドラール伯爵令嬢の制服を奪い取るように受け取り、腕の中に抱え込みました。
「平民だからと馬鹿にして!」
そう捨て台詞を吐いてロザリー嬢は部屋を出ていきました。これはただ単に制服が欲しかっただけなのでしょうか?
しかし、制服を盗む方がいらっしゃるのですか。
「お嬢様。このエリスに不敬極まりない、あの平民をしばく権利をくださいませ」
「あら、ダメよエリス。彼女は世界にとって必要な方よ?それにしても制服を盗んだ者の方が気になりますわ。噂に聞いたことがありますけど、なんでも世の中には制服のコレクターなる者がいるとか?」
「「「ひっ!」」」
引きつった声が耳に入ってきました。そちらを見てみますと、腕をさすっている方や手に持っていた制服を背中に隠していたり、オロオロと扉とこちらに視線をめぐらしていたりと、あまり良い感じではありませんわね。
「どなたが、制服を盗んだか調べる方が先ですわ」
結局、ロザリー嬢のご自分の立ち場を顧みない行動によく思わなかった令嬢の行ったことでした。そして、ロザリー嬢の制服があまりにも汚れていたということで、直ぐにゴミ箱に捨てられ、焼却されておりました。
そうですよね。よく転んでいる姿をお見かけしますし、何故か中庭の芝生の上で直に座って殿下に何かを渡している姿をお見かけしましたし、噴水の縁に腰を下ろして、水に足を突っ込んでいる姿もお見かけしましたし····あの水って綺麗だったのかしら?それは汚れるでしょうし、洗わないとは如何なものなのでしょう?第2王子はご存知なのかしら?
まぁ、ロザリー嬢の制服を盗んだ方がわかった時点で、私には関係のないことですわ。
学園での生活は、そのロザリーという少女が引き起こす茶番劇以外は学園では楽しく過ごすことができました。
やはり侯爵令嬢のマリーローズ様と仲良くなったのが良かったのでしょう。彼女はアルフォンス殿下の側近候補の一人であるハイメーラ伯爵子息であるシュロス様の婚約者でありますから、この茶番劇を扇越しから傍観しているのでした。
そう、この卒業パーティーという場で婚約破棄が行われている茶番劇を。
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