鏡と鏡の中の男(改訂版/『鏡と男』より改題)

貴音真

【鏡と鏡の中の男】

「おはよう。今日の調子はどうだい?俺は相変わらずさ」

「おはよう。今日の調子はどうだい?俺は相変わらずさ」


 この男は今日も昨日と変わらず俺と全く同じことを言い返してくるだけだった。

 いつからこの男と話し始めたのか、その正確な日付はもう覚えていないが、ここにはこの男の他に話し相手がいないため、俺は毎日何時間もこの男と話し続けている。


 数年前、人類は史上もっとも愚かな戦争を始めた。その影響は凄まじく、人間を含めた地球上の生物の殆どが死滅した。……と言っても俺はそれを自分の眼で確認したわけではない。俺は人類が自らの身を滅ぼすその愚かな戦争を始める数週間前に危機を察知し、たった一人で地下シェルターに身を隠して戦争をやり過ごした。

 しかし、その戦争によって破壊されたのかシェルターの出入口は完全に塞がれた上に地上との連絡機器も不通となったため、俺はシェルター内に閉じ込められた。

 この地下シェルターで俺はずっと一人だった。

 食料と水は向こう数十年は暮らせるくらいに溜め込んでいたから心配する必要はなかったし、幸いなことに地上から酸素を取り込んで循環させる装置や地熱を利用した発電設備は壊れていなかったため、先が見えないはわりと快適だった。

 そう、快適なはずだった………


 この生活を始めてから二年か三年が経った頃だろうか?

 俺は何故か急に人が恋しくなった。堪らなく人が恋しくなった。


『人と会いたい。人と話したい。人が見たい。声が聞きたい。』


 元々孤独な俺は一人には慣れていたはずなのに、急に人が恋しくて居ても立ってもいられなくなった。

 そんなある日、俺は鏡に向かって話し始めた。

 鏡の中にはいつも必ず同じ男がいた。

 その男は俺とそっくりな姿をしていて、いつも俺と同じ服を着て同じ動作をしながら俺と話してくれた。何時間でも何日でもきることなく話し続けてくれた。

 いつだってその男は鏡の中にいて、必ず決まって俺と同じことを言い返してきた。


「さてと、今日は何の話をする?」

「さてと、今日は何の話をする?」

「そうだなあ……今日こそはお前自身の話をしないか?」

「そうだなあ……今日こそはお前自身の話をしないか?」

「ははは。何だよ、それじゃまた俺の話をすることになるじゃないか!」

「ははは。何だよ、それじゃまた俺の話をすることになるじゃないか!」

「まったく、お前は本当に面白いなあ………」

「まったく、お前は本当に面白いなあ………」

「どれ、じゃあ仕方がない。今日も俺の話をしてやるか………」

「どれ、じゃあ仕方がない。今日も俺の話をしてやるか………」


 そう言うと、鏡の向こうにいる男はいつもの様に俺と全く同じ話を俺に聞かせてきた。

 俺も俺でその男にその男と同じ話を返した。


「………ん?」

「………ん?」


 俺はふと思った。

 鏡の向こうにいるその男はいつも俺と全く同じ姿でそこにいる。全く同じ服を着て全く同じ動作をし、全く同じ言葉を話して全く同じ場所にいる。

 俺とその男は何もかもが同じだ。


『この男は俺と全く同じ環境に置かれている仲間だ。』


 それに気がついた瞬間、俺はその男が堪らなく愛おしくなった。

 俺は鏡の向こうの男が抱く寂しさを知っている。悲しみを知っている。辛さを知っている。そして何より、俺とその男は同じ孤独を味わっている。

 俺には鏡の向こうの男がいまどんな気持ちなのかがわかる。その気持ちが俺の頬を濡らした。

 そうして俺が男に想いをせながら鏡の向こうを見ると、どうやら男も俺と同じ気持ちを抱いているらしく、視線の先にいるその男は俺と同じ様に涙を流していた。

 その姿に俺は男を抱き締めてやりたくなった。互いのぬくもりを共有したくなった。

 そして俺は、ゆっくりと鏡の向こうの男に近付くと力一杯抱き締めた。

 その瞬間、鏡が割れて鏡の中の男は鏡と共にどこかへ消えた。

 俺は慌てて鏡の中の男を捜した。


「あれ……どこだ!どこへ行った!おい!」

「あれ……どこだ!どこへ行った!おい!」

「あれ……どこだ!どこへ行った!おい!」

「あれ……どこだ!どこへ行った!おい!」

「あれ……どこだ!どこへ行った!おい!」

「あれ……どこだ!どこへ行った!おい!」


 惑う様に声を発すると、鏡の中の男の声はいつもより多く返ってきた。

 その声を辿るようにして床に目をやると、たくさんの男達が大小様々な大きさの破片となった鏡の中にいた。


「何だそこにいたのか………」

「何だそこにいたのか………」

「何だそこにいたのか………」

「何だそこにいたのか………」

「何だそこにいたのか………」

「何だそこにいたのか………」


 俺は散らばった鏡の破片を一つ一つ拾い集めるとそれを机の上へ並べ、鏡の中の男達と話し始めた。


「おい、お前達はいつからここにいたんだ?」

「おい、お前達はいつからここにいたんだ?」

「おい、お前達はいつからここにいたんだ?」

「おい、お前達はいつからここにいたんだ?」

「おい、お前達はいつからここにいたんだ?」

「おい、お前達はいつからここにいたんだ?」


 鏡の中の男達は、一人しかいなかったさっきまでの男と何も変わらず、俺と全く同じことを言い返してくるだけだった。

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鏡と鏡の中の男(改訂版/『鏡と男』より改題) 貴音真 @ukas-uyK_noemuY

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