第2話 東京都慰霊堂

 俺は東京出身ではないが、東京は死者の町という人もいるそうだ。江戸時代に東京湾を埋め立てる時には、土砂だけでなく死体も使っていたらしい。江戸は世界一の100万人都市だったのは有名だが、平均寿命が短い時代だから、死体があふれてしまったことだろう。墓が足りなかったら火葬にして、嵩を減らせばいいと思うが、火葬の煙が臭いということで、土葬が多かったらしい。そうなると、埋葬地が絶対的に足りないから、寺の墓地には土に埋められなかった遺体が棺桶からはみ出して積んであったそうだ。


 こういう場所を想像すると、寺の墓地はますます怖く感じる。現代のようにすっかり火葬して灰になった状態で墓に収めても怖いのに、腐乱死体が見える状態だったことを考えると、昔の人は墓には滅多なことでは近寄らなかっただろうと思う。


 それなのに、怪談話を好んだ江戸の人は一周回って、明日は我が身と知っていただろう。明日は自分が死んで幽霊になって、みんなから怖がられているかもしれない。


 俺は霊感はないけど、雰囲気に飲まれやすいタイプだ。道路から東京都慰霊堂に対峙した時には、凄まじい程の悪寒に襲われた。まだ道路にいるのに、そこにある何かが俺を引きずり込もうとしているように感じた。


 自分が生きていることがいけないことのように感じた。

 正直、恐怖を感じた。


「ここ・・・怖くない?」

 

 その時は、一緒に行ってくれる人がいたから尋ねてみた。


「無理。ちょっとコンビニ行ってくる」

 その人はすぐにいなくなった。

「え?」


 俺は気を取り直して写真を撮りに一人で敷地に入った。


 仏式の建物で、有名なお寺が輪番で供養してくれるそうだ。

 キリスト教や神道など他の宗教の人もいただろうと思うが、黙殺されている。


 ものすごく憂鬱な気分に襲われた。悪寒が走る。


 俺は怖かったが、こういう場所があることを、ブログを通じて知ってもらった方がいい。今後は二度と愚かな戦争を繰り返さないこと、それが我々ができる唯一の供養じゃないだろうか。俺は使命感に燃えていた。誰でもすぐに行けるような場所なんだから、俺のブログを見てくれる人はあまりいないだろうと思ったが、たまには意義のあることをしなくては。


 とりあえずお参りしてから、俺は正面の写真を撮った。


 さらに、建物の後ろに回って、全体の写真を撮った。

 その建物は昭和5年(1930)築で、戦火を生き延びた建物だ。

 そこには無数の何かが取り付いている気がした。いや、絶対何かがいる。

 ただ土地が余っていたから、慰霊堂が作られたわけではない。関東大震災の時に、4万人もの人たちがその場所に避難していたのに、その後起きた火災旋風で3万8千が亡くなってしまったそうだ。

 

 たった1か所で亡くなった人の人数を考えると、日本の歴史上最悪なのではないかと思う。

 今より敷地が大きかったのかもしれないが、こんな狭いところでと驚く。

 当時から火災に弱い都市として危険が指摘されていたにも関わらず、対策を怠った役所の責任は重い。


 なぜ、東京大空襲に遭いながら、その建物が残ったのか・・・。

 なぜ?

 東京は火の海だったはずだ。

 何かに守られていたのかもしれないとさえ思う。


 俺は廟の中にも入ってお参りをした。

 他に数人がいた。


 古めかしいワンピースを着た小柄な若い女性や、スーツ姿の人、お坊さんがいた。

 何をしてるんだろう。

 きっとここに遺骨がある人たちで、お坊さんを呼んで供養しているんだろう。

 戦争で亡くなった人のうち、身元の分かる人は一人一人骨壺に収められているそうだ。俺が子孫だったら、供養に訪れるだろう。


 その重さを感じた。俺は完全に平和ボケしている。

 暇を持て余して、心霊スポット巡りなんかをしいて、本当に恥ずかしい。

 俺に霊感はないから、それ以上のことは起こらなかった。


 一緒に行った人は、これ以上、近寄りたくなないと言って、大江戸線の駅で待っていた。


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