第2話

 オレ達二人は、圧倒されるような風景を前にスマートフォンで写真を撮ったり、滝の水の飛沫に手をかざし、その冷たさと水圧に感激したりしていた。ただ、滝に見とれる女の表情は静かで穏やかだった。


「あ、虹!」とオレが流れ出る滝の向こうに小さく見えた虹を指した。


「ホント。うれしい。私、生まれてから虹見た事ってほんの何回しかないの。それもいつも自分が見つけるのでなく、誰かから教えてもらって気が付くの」


「そう? こっちは逆に虹見つけるの、得意なんだけどな」




 もう午後の二時近く。オレはコンビニでお昼にと買っていたおにぎりの一つを女にも分けた。


「これ、少ないけどお昼ごはん」


「ありがと。悪いわね。私も何か買っておけば良かった。あ、そうだ」

と言って、女は、バッグから携帯栄養食と宣伝されている小さなブルーベリージャムをはさんだビスケットを出した。

「少ないけどこれをどうぞ」


二人で椅子になりそうな岩を探して腰かけた。


「スゲー風景でしょ? ここには毎年、来るんだ。親がオレの生まれる前、結婚してすぐに来た場所だし」


「そうなの? 生まれる前に……?」


「ん。だからオレの名前も流れる音と書いて流音るおん


「るおん?」


「そ。めちゃキラキラネーム。姓は山崎なんてフツーなのに。おかげで外国人には間違えられるし。妹は涼しい音と書いて涼音すずねなんだよな」


「でもそれだけご両親にとって大切な思い出のある場所なのね」


 ずっとヘンな女だと思っていたけど、意外と配慮あるコメントをする。


「思い出っつーか思い入れかな。水が流れてくる最初の場所がこんなに綺麗な場所なんだって事を伝えたくって名前を名所の滝にあやかったんだって」


「こんなに綺麗だって事を伝えたくて……?」


「うん。水が流れ出る海は、ここいらじゃ工業地帯が多くて全然綺麗なイメージじゃない。だけど上流のこの場所はこんだけ澄みきってる。世界が美しいってのの代表選手がこの滝なわけ」


「ふうん。世界が美しいって事の代表選手なの」と女は感慨深げ。「でもご両親や妹さんと一緒でなく、あえて独りで来るのね。若い頃ってそういうものなのね」


 自分も一人のクセして、女は不思議そうに首を傾げて言う。


「両親は亡くなってるんだ。病気と事故で。妹は県外の看護学校の寮にいて、ここんとこ会ってない」


「ごめんなさい。知らなくて無神経な事、言ってしまって」


「ううん。同級生には、両親共もっと小さい頃に病気でなくしてる友達もいて、オレなんか楽しい思い出が結構あったからまだラッキーな方だと思う事にしてるんだ。ここにも毎年、家族で来てたし。妹には毎年、この滝の画像、送ってる。あいつの看護学校は親戚の叔父さんちの近くだから従兄妹達ともよく会ってるみたいでさ。だから心配はしてないんだ」


「そうなのね。家族と仲が良くて楽しい思い出がいっぱいあるから、明るくて優しく育ったのね」


「優しくなんかない。何か優しいって言われるのってあんま好きじゃない。それに陰キャだし」


「そう? でも私にはそう見えるの」


「そんな事より、割と急がねーと星のダイナーに五時半までに着けないかも。ここから結構あるから」


「そうね。時間ってたくさんあると思っていても、あっという間ね」



 そうしてオレ達は、おやつのような昼食を済ませると、名残惜しくも早々とN滝を後にした。




 レンタサイクルで山の中腹まで下りると、星のダイナーの簡易なホームページにあったアクセス通り、バスに乗った。これは三十分に一本運行しているバスだが、ちょうど良いタイミングで五分後にバスは来た。

 妙な組み合わせの二人にバスの乗客や運転手は怪訝そうな顔をした……ように思えたのはオレの自意識過剰からくる被害妄想だったかもしれない。田舎というのは、地域で見慣れない人物を目撃すると、ガン見するものだ。

 星のダイナーのホームページには、桜台一丁目のバス停が最寄りだと書いてある。それは急勾配坂をほぼ上りきったところにある味気ないバス停だった。特に屋根があるわけでも今どきっぽくシェルターがあるわけでもない。気を付けて見ていないと見逃しそうな丸い標識がついているポールだけのバス停。


 少し歩いて見つけた、店の青い看板は地味で控えめだった。まだ五時少し前だった。「星のダイナー」と丸文字で書かれてある。うっかり見逃すと、そのまま急勾配の坂を、傾いていく陽を背に歩き続けなくてはならなかった。年上の女性ひとと一緒に。

 出迎えた上品な高齢の女店主はおそらく電話に出た人と同一人物なのだろう。非常階段のように外に張り出してある螺旋型の階段からニ階の部屋へとオレ達を案内した。

 一面ガラス張りの部屋は、入るとまず遠くに見える海の風景に目を奪われた。周辺のコンビナートにはぽつりぽつりと灯りが灯り始めていた。

 テーブルには海の色に近いブルーのテーブルクロスが掛かっていた。そして案内されたテーブルの上には、コップに一輪の青いミヤコワスレのような花が刺してあった。

それを見て、彼女は「きれいね」と言った。





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