一面塗りつぶせ!
「意味わかんないんだけど」
ルイーズが振り向いて言う。
「塗るんだよ。ぴしゃぴしゃってね!」
手本になるよう、俺は黄色のインクを詰めた水鉄砲を壁に向け放つ。
飛んだインクは壁にぶつかって円のように広がった。すぐに乾きはせず、壁に沿って少し垂れていく。
「……撃てばいいんですね?」
「そ! 楽しいぞ、意外と」
撃つだけなら、とアシルはぴちゃっと一発放つ。アシルのインクは赤。白の壁に赤が着くと、まるで血痕……。
「赤だけだと物騒ね」
続けてルイーズが撃つと、オレンジ色が赤の上に重なった。二色が混じりあいながらも、つうっと垂れた。
「その調子、その調子。この枠全体をそんな感じで塗って行って。ほら、シエラもバケツでびしゃっと! こう、構えてドンってね」
シエラの見本になるよう、黄色をバケツいっぱいに入れ、投げるようにインクを壁にぶつける。そうすると、インクの量が多いから、水鉄砲よりも大きな円となってぬることができる。壁との距離やインクの量でこの円は変わってくる。
「こ、こう?」
「そうそう。いい感じ。空いているところとか、二人が塗った上からとか、もう好きなようにやっちゃって。インクはどんどん補充しておくからさ」
アシルとルイーズ、そしてシエラが三人でどんどん壁を塗りつぶしていく。やっていくうちに楽しくなってきたようで、三人の顔は晴れやかになってきた。
「きゃっ。もう! 貴方! 私を塗ってどうするのよ!」
「ごめんなさいっ!」
「やり返してやるんだから!」
「あ、僕にまで……」
「げ。血まみれみたいになった……」
シエラが誤ってインクの一部をルイーズにかけてしまった。その仕返しにと、水鉄砲で反撃する。そしてそのインクが今度はアシルにかかって、俺にもかかって。
四人で壁を塗っていたはずが、人を汚すだけになり始めた。
「ちょ、待って、待って。壁! 壁! 隅っことかまだ白いっしょ! 白を無くして!」
「「「はーい」」」
声を張ったら、みんな素直に壁に向かい始めた。
塗り始めてから三十分ぐらいだろうか。広く白かった壁が四色が混じった不思議な色へと変わった。
「はい、塗りはおしまい。後は仕上げだけど、それは俺がやるから」
一部にテープをまっすぐ貼って、まっすぐなラインを作る。その上から黒のインクで塗り、乾いたらそれをはがす。
また、床に近いところには、黒で凸凹した線を描いて、中を黒で埋める。
右の上の方には、足場となる木箱を持ってきてもらって、よじ登ってから黒で飛ぶ鳥を一羽だけ描く。羽を広げ、生きているかのように優雅に飛ぶ鳥だ。大まかな形をとって、黒で鳥を塗ったそのとき。
「うわっ」
描いた鳥がぴくっと動いたと思った途端、飛び出してきた。その拍子にバランスを崩し、台から落ちる。
それなりに高さがあったから、痛みを覚悟した。
でも、痛みがこない。それどころかひんやりとした何かが背中から支えている感覚。
「何しているのよ。危ないわね」
上から覗き込んできたのはルイーズだった。
「ご、ごめん……助かった。ありがとう……で、これは?」
「水のクッション。精霊たちに力を借りたの」
ルイーズの後ろには揺れる水のように光を反射している人型の何か。きっとそれが精霊、なのだろう。アシルが言っていた水の精霊ってやつだ。こんな使い方があるんだな……水の魔法をパワーアップしてくれるイメージだったんだけど、ちょっと想像と違った。
体を起こして、水のクッションから降りる。すると、精霊はすぐに霧散し消えた。
「なんか鳥が飛び出してきた……どうしよ」
室内をぐるぐる飛び回る真っ黒の鳥。捕まえようにも高さああるし、動きが早すぎる。インクでできた鳥ってそもそも捕まえられるのか?
「ナオ、無意識に動かしたの? ありえない!」
「ええ……だって動くなんて思ってないし……」
シエラに怒られながら、鳥を目で追う。
自由に飛んでは、高い位置で止まって煽るように羽をバタバタさせてくる。俺が描いておいてなんだけど、むかつくな。
さて、どうしようか。
「若造が」
低く渋い声と共に、ビュンと何かが鳥を打ち抜いた。
インクでできた鳥は、鳥の形を保つことはできずにただの黒いインクとしてぴしゃっと床に染みを作る。その中心には一本の矢が刺さっていた。
矢が放たれたと思われる方向へ顔を向ける。それは二階からで、弓を降ろしている老人がいた。俺をずっと見ていた髭の老人だ。
飛んだり休んだりしていた鳥を一発で打ち抜くなんて……かっこよすぎる。
「自ら創り出したものに責任を持ちなさい」
「……はいっ! ありがとうございます」
渋い。射貫くなんてかっこいいけど、体がぶるっと震えた。
「ぼーっとしてないで。完成させないと」
インクで汚れた手で同じく汚れている俺をツンツンしたアシルの声で我に返る。
そうだ、まずは完成させないと。でも、生き物を描いてまた動き出したらどうしよう。描かないと完成にならない、描いたら同じことの繰り返しになると思うと、手が止まる。
「お主」
「っ! ビックリした……」
背後から先ほどの渋い声が聞こえて、俺の肩が大きく跳ねた。
振り返れば、俺の腰ぐらいまでの背丈のご老人が。
白髪に蓄えた白い髭。
弓から杖へと変わっている手元や顔からは、深く刻まれた皺が、この方の年季をさらに感じさせ、空気を凍らせてくる。
「な、なんでしょうか……?」
雰囲気から、どれだけお偉い人なのか察した。
加えて、受付の人、たまたま来ていた人……この場にいる人がみんな揃って姿勢を正している。
今みたいなスタイルではなく、座って油絵で風景をを描いていた頃にこんな感じの人いたし、俺は苦手だった。
どうしてこれを描いたのか。
どうしてそのような描き方にしたのか。
どうして、どうして、どうして。
挙げ句の果てに、俺の筆を折らせたのはたった一言。
『君には才能が無い』
何年もずっと続けてきたのに、その一言で完全に心は折れた。そこから今のスタイルにして安定するまでかなり時間がかかった。今でも思い出したくない過去が、この方を見ていると蘇ってきて、嫌な汗が止まらない。
また才能がって言われるんじゃ……。
ジッと細い目に捉えられて、言われたのは……
「これを使ってみなさい」
「ふぇ?」
歳に合わない変な声が出た。
ご老人は、何食わぬ顔で一本の筆を差し出す。
「お主は魔力が高い。それ故、魔道具を介さねば描いたものに大きな力を与えてしまう。先ほどの鳥もそうであろう」
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