第40話 太宰



 やはり、おかしい……



 術は確かに悠護に返したはずだった。にも関わらず、今すれ違ったあやめに胸がざわつくのを覚える。



 着付けが終わったのか、あやめは浴衣姿で、白地にその名にふさわしい紫の菖蒲が描かれ、臙脂色の帯に艶やかにまとめられた髪がよく似合っていた。



 しかし、あやめはそのしとやかな出で立ちに不似合な表情で太宰を睨み「どうも」とだけ言葉を発し、逃げるように行ってしまった。生意気な小娘だ、と普通なら気にももめないところなののだが今日は違う。



 なんなんだこれは……



 昔、一度だけ、このような感情に囚われたとこかあった気もするが、日々の雑務に追われ、自然とその感情は消滅した。



 やはり、これは人でいうところの「恋」というものなのだろうか?



 凛は悠護のかけそこねた術のせいだと言うが、どうもそれだけではないようだった。



 太宰は既に誰もいなくなった廊下の先を見やる。



 また、彼女が戻っては来ないだろうかーー



 しかし、そう都合よくあやめが戻ってくるはずもなく、太宰はため息をつき、待てど暮らせど母屋に姿を見せない主の機嫌を取るべく葛餅を手に蔵に向う。



 立場上、太宰は護の式神ということになってはいるが、彼には他の仕事もあるのである。むしろそちらが本業なのだ。


 

 諏訪家の仕事は多岐におよび、一般的に神社の執り行うような神事の他にも、家相や日取りの相談事、除霊、人の手では解決不可能な案件が諏訪家一族の管理する神社に持ち込まれる。



 その補佐をするのが太宰たち式神であり、もっぱら人の手では解決不可能な案件に当たるのが彼らだった。



 そのため普段、太宰は神社の社務所に詰めており、彼は式神たちを取り仕切る立場であった。



 簡単な案件は部下に任せているものの、対処の難しい案件は太宰自らがあたる。ただ、最近はこれといって大きな案件もなく、こうして健気に主のお世話係をしているのだ。



 そして、今日は地区の花火大会があり、諏訪家の人間は祭事の祈願などで、いつも声の掛かる主催者から招待を受けているため、式神たちは警護する者と留守を預かる者に分けられ朝から動いている。

 


 彼の指示は既に部下に行き届いているため、太宰は護の警護を最優先に動いていたのだが、当の本人が「行かない」といつものようにへそを曲げてしまっていた。


 

 どうしたものかと、歩いていると、仕事そっちのけで浴衣に着替え、浮かれている凛に出くわす。今日もまた派手な女の格好をしている。



「凛、そんなふざけた格好をしてないで、今日は不測の事態に備え悠護様のおそばにいろ」



 凛は不真面目そうに見えて仕事はきっちり勤め上げるため、普段は注意などしないのだが、つい虫の居所が悪くそんな言葉が口をついて出る。



 察しのいい彼は「その様子だと、また護坊ちゃん、駄々こねてるんですかぁ?」と上目遣いに太宰を見る。隠しても仕方ないと正直に「そうだ」と答える。



「太宰さんも可愛い女の子に化けて、坊ちゃんに接してみたらどうです?非モテの坊ちゃんにはてきめんですよ」


 太宰が呆れていると、凛に持っていた盆を取られる。



「ちょうど悠護様に頼まれて、坊ちゃんのこと花火に誘いに行くところだったんです」 



「悠護様が?」と護を嫌っている悠護のありえない言動に太宰は怪訝そうに聞き返す。



「だから、この格好なんすよ。護があやめちゃんと仲良くしないようにって」



 全く成長のない悠護の策にもはや呆れるしかない。まあ、術を使わないだけましか。



「ご心配なく。護坊ちゃんはこの可愛いりんちゃんが必ず連れてまいりますから、先輩はどーんと大船に乗ったつもりでいてくださいよ」


 彼は不要に膨らんだ胸を叩いて見せる。


 

 仲の良し悪しは別として確かに凛は護を扱うのがうまい。そこは買っている。そしてあの蔵に臆せず出入りできる数少ない式神なのだ。


「すまない、護様を頼む」


「じゃあこれは俺がーー」



 凛は大口を開け、盆ごと葛餅を飲み込む。もはや人の所業ではない。盆やさらはは不味かろう、と思うのだが彼は満足そうに口をもぐもぐさせ、蔵の方へ歩いていった。



 確かに堅物の式神より、見た目だけでも愛らしい方が護も接しやすいかもしれない。長い間この姿で生活してきたため、この先、変化のあり方も変えたほうが良さそうだと、太宰は思い直す。


 年頃の男性に変化すればあやめはどう思うだろう……


 いつしかあやめの反応を考えてしまっていた。


 少し変えてみよう、か……


 太宰は手持ち無沙汰に上を触りながら部屋にもどった。


 しかし、このときの太宰は、凛に注意した内容を忘れ、浮かれていた。そして、どれだけ自分が愚かだったのかと思い知らされることとなる。

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