第38話 諏訪護
薄暗い蔵の中。
真夏というのにそこの空気は冷たく淀んでいた。蔵の上の方にある窓の雨戸はすべて閉められていたが、僅かなすきまから夏の日差しが抜け目なく差し込み、護はその明るさに目が覚た。
その時ちょうど陰鬱な音で柱時計が鳴る。時計の針は3時を指していた。明るいので午後の3時であることはわかる。
あやめたちが自宅に戻ってからまた護は前と同じ引きこもり生活に戻っていた。いや、前より酷い状態になっていた。
「兵藤さん……」
布団の上で蹲る護は、あの日あやめに買ってもらったコーラのペットボトルをそれがあたかもあやめであるかのように抱き締める。
あやめに会いたいのに、会ったらきっと好き過ぎて、力が暴走してしまいそうだ。そして、今日は花火である。
でも、兵藤さんの浴衣姿は見てみたい……
「どーしたらいいんだぁぁぁぁっ!」と叫びながら布団の上でのたうち回っていると、蔵の扉がノックされ、太宰が言う。
「護様、いかがされました?」
聞かれた……
「だ、だ、大丈夫、今のなんでもないから。どーぞ入って」
太宰は入って来ると、いつものように換気のために窓を開ける。開けなくて良いと言っても必ず開ける。
「この蔵の壁、最近一段と黒が濃くなりましたね。空気も以前より重い気がーー」
「窓なんて開けるから壁が気になるんだよ。それに夏場はこのくらいの方が涼しいから」
当たり前のように護がそういうと、太宰は落胆したようにため息を吐き、床のゴミを拾い始めた。
この蔵の正体は座敷牢であり、何人かここで亡くなっている。いくら蔵を払っても、怨念を鎮めても、取り壊そうとすると業者がその度怪我や事故に見舞われ、ここにたどり着けないという事態が続き、取り壊しを引き受ける業者がなくなってしまったという、曰くつきの蔵だった。
そして、ここを壊すことは諦め、なんとか蔵のリホームまで漕ぎつけたのだが、その際も親戚の術師を集め、四方で鎮魂の祝詞を上げながら作業をするという異例の工事だったと聞く。だから、壁に顔のようなシミは昔のからいたるところにあり、護が居座るようになってからは、護の波動に呼応するようにシミが濃くなり壁中が真っ黒になってしまったのだった。
そう言えば今日はおやつがないことに気づく。
「あれ、今日はおやつないの?」
「ありますよ、母屋に。あやめ様とご家族の皆様がいらっしゃってます。ご一緒にいかがですか?お菓子は葛餅ですよ」
えっ!もう来てるのっ?
「これから、浴衣を選ぶそうですよ」
「無理っ!絶対無理っ!」
あの日のあやめことを思い出す。
疲れ果て、コンビニの外でぼんやりと縁石に座って待っていた護に、あやめは不意打ちで冷たいコーラを頬に押し当ててきた。その冷たさと、あやめのいたずらっ子のようなはにかむ笑みに護は目が離せなかった。
好きだという言葉が溢れ出てしまいそうだった。そうならなかったのはそこに太宰の車が来てしまったからだった。
「でしたら、浴衣と一緒におやつもお持ちしますね」
「いい……花火は行けない。行ったら多分迷惑かける。前みたいに……」
「大丈夫ですよ。護様の力が暴走しないよう私が付き添いますから」
護が行きたくない理由はそれだけではない。兄の悠護ともあれからなんとなく気まずく、まともに顔も見られない。
「やっぱ……無理。今日は行かない」
「かしこまりました」
太宰そういうとさっさと蔵を出て行ってしまった。
冷たい奴……
自分で「行かない」と言っておきながらさっさと出ていかれると、悲しい。
誰も窓を閉めないので、窓の外が赤く染まっていくのがわかる。もう夜が差し迫っていた。
本当に来ない気だ……
布団に蹲っていると、今度はノックも無しに蔵の扉が開き、銀髪のギャル化した浴衣姿の凛が入って来る。
「護、まだいじけてんの?花火行くよっ」
「行かないっ」
ほら、行くよと腕を捕まれたが、布団にしがみつく。
「兄さんが行くから、行かないっ!」
「俺が協力してやるから」
「別に頼んでないしっ」
「いいから来いっ!俺があやめちゃんの気を引いてやる。俺は狗神だぞ?人の心なんぞなんとでも出来る」
「それはそうかもだけど、でもなんで凛君が……?だって凛君は兄さんの……」
「お前に頼みたいことがあるからに決まってるだろ?それと引き換えに、だ」
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