第19話 兵藤あやめ
枕元でスマホが震えているのに気がつき、あやめは浅い眠りから目を覚ました。暗がりで発光する画面をのぞくと着信は母親のつばきからで、手にしたと同時にそれは振動をやめる。時計の表示は12:05と出ていた。
慣れない場所である上、今日の信じられないような出来事が頭をぐるぐるし、なかなか寝付けず、ようやくうとうとしかけた矢先だった。そこを起こされ腹立たしくもあったが、それでも今日は母と話したい気分であったため、隣で寝ている家族を起こさないよう薄闇の中、あやめは浴衣姿でそっと座敷を出た。
諏訪家の敷地は広く、あやめたちが泊まっているのは客人用の離れだった。広すぎて全体がどうなっているのかはよくわからないが、障子戸を開けると、風光明媚な竹林が望め、家族は高級旅館みたい!と皆はしゃいでいた。離れの内装も老舗旅館のようで、夜中だというのに、廊下には控えめな行燈が灯り、足元を照らしてくれている。
室内は物音一つせず、ここでは話しづらいと、あやめは玄関から外への出た。
ぬるい風に乗って草と土の匂いがした。
竹林の庭園はやはり足元に灯りが灯り、真暗というわけでなかった。腰かけられそうなベンチのような石があり、あやめはそこに腰をかけ、電話を折り返すと、スピーカーから声高なつばきの声が聞こえてくる。
「あやめーっ!もう心配したのよーっ!」
彼女は父親から連絡を受けたと話し、あやめは根掘り葉掘りと事情を聞かれた。
「とりあえず、無事で良かったわぁ。今お世話になってるお宅って、この前話してたあやめの彼のうちなんでしょ?」
あやめは慌てて否定する。
「だから、ただの友達だよっ、まっ、まぁ、
ちょっとは素敵だなって思うけど……私には釣り合わないよ。お金持ちだし、なんかいろんな意味で住む世界が違うっていうか……」
今日の一件であやめは頭も心もごちゃついていた。自分でも気持ちがよくわからなくなってしまったのだ。
その上、眼鏡を外した悠護は目を見張るような変貌ぶりで、あやめを戸惑わせた。目元きりりと鋭く、見ているものを離させないものがあり、前髪を上げた髪型も大人っぽくて似合っていた。なんだか、別人を見ているようだった。彼はあやめを気遣い色々話しかけてくれたのだが、今まで知っていた「芥川」ではないような気がして、上手く話せなかった。
しばらく、母の恋愛指南を聞いたあと、あやめは深夜にも関わらずらやたらと元気な母に聞いた。
「お母さん、もしかしていつもこんなに遅いの?あんまり無理すると体壊すよ。どうせちゃんとしたごはん食べてないんでしょ?」
「大丈夫よ、元気だけが取り柄だから。でもあやめのごはん早く食べたいなぁ、あたしの元気の元だから」
「今の仕事、いつ頃終わるの?」
「もうちょっと掛かりそう」
つばきは友人と始めた店舗等の経営コンサルタントの仕事をしており、依頼があればどこへでもというスタンスで仕事をしている。
今回は特殊な事案らしく、依頼者の意向で口外できないことが多いらしい。
寂しくないと言えば嘘になる。素直に会いたいと言えればいいのにと思うが、母親にそんなことをいうのは気恥ずかしい年頃である。それを誤魔化すように、どうでもいい話をする。
「でも、悠護さんの弟は最悪。引きこもりだし、おっぱい、おっぱい連呼するしさ。今日の夜ご飯も、執事の人に部屋に運んでもらってたみたいだし。それにその執事のひとに頼まれたんだよ、その子があたしのこと好きだから、話相手になってくれって。なのに、別の女の子とイチャイチャしてたんだよ!こっちは水道管破裂したりで大変だったのにさ!」
とりあえず例のうねうねのことは黙っている。
あはは、とスピーカーからつばきの笑い声が聞こえ、それを揶揄するように言う。
「さすが、我が娘。モテモテね」
母は美魔女である。幼い頃から変わらずきれいで、高校の頃は3日に一度は告白されていたという武勇伝を酔うといつも話すのだ。
「馬鹿にされてるとしか思えないし」
「面白い子ね。おっぱいかぁ、あやめはまだまだ発展途上だからねぇ」
「少しは大きくなったよ!」
はいはい、と彼女は笑う。
「そうだ、あやめ、あなたにしか頼めないお願いがあるんだけど、聞いてくれる」
「なに?」
「あのねーー」
突然受話器から呪文のようなものが囁かれた。
それを聞き終わると同時に、あやめの意識かふっと、途切れた。
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