第11話 逆セクハラ田川は今度は足を引っ張り始めた

 光陰矢の如しというが、勤め始めて早くも半年の月日が流れた。

 高校生のバイトが多いが、ジェネレーションギャップを感じることがしばしばである。

 公立高校の生徒が多いが、同棲している事実を平気で教師に告白している子もいる。また、落第したことを平気で私に話す子もいる。割と綺麗な子である。

 ふと、友哉のことが気になった。

 友哉は、中学三年生の受験期であるが、偏差値の高い優等生である。

 友哉には、男女共学の高校に通わせ、女性のことを知らしめる必要がある。

 なぜなら、男子校ほど隠れて喫煙したりパチンコやマージャンをしているケースが多いというからである。

 このことは、有名な進学校でも歴然とした事実である。

 男の自信は、勉強と異性によって決まるという。

 もちろん、学歴があるから人生の成功者などという保証はどこにもない。

 東大卒のホームレスどころか、犯罪者も存在するくらいである。

 いくら高学歴でも、三十歳までに仕事をしていないと、逆に頭でっかちの理屈ばかりの社会不適応者だと思われるだけである。

 私は、友哉には健全な高校生活を送ってほしいと切望していた。


 ある日のことだった。

 私がいつものように、掃除を済ませホール回りをしていた。

 正午から一時までが、一日でいちばん忙しい時間帯である。

 夜は、酒を注文する客が多いので、回転率はめっぽう悪い。

 また、十人くらいの団体がやってきた。ホールはすでに満員である。

 店長の命令で、田川が手伝いにやってきた。

 田川はよくオーダーを間違えて、調理の人に迷惑をかける。

 また、田川に気を遣わねばならない。私は内心、閉口していた。

「いらっしゃいませ。ご注文は」

 田川の甲高い声が響き渡る。

 まあ、田川なりに張り切っているのかもしれない。

 オーダーは、一階の調理室から二階まで、リフトで上がってくる。

 リフト前は水すべりするので、私が毎日マットを敷いている。

 リフトのふたを開け、ラーメンと麻婆豆腐を取り出した。

 その途端だった。後ろ足がすべったのだ。

 身体の重心が崩れ、思わずラーメンと麻婆豆腐をひっくり返した。

「キャア、熱い」

「やあねえ。白いワンピースにかかっちゃったじゃない」

 リフト前にいた客に、料理がかかってしまったのだ。

「すみません」と客に頭を下げ、私は布巾をもってきた。

 そして、トイレの中からトイレットペーパーを丸ごと取ってきて渡した。

「これを水で濡らして、お拭き下さいませ」

 私はトイレットペーパーを濡らし、客の白いワンピースの上に叩くように拭いた。

 だいぶん、ラーメンの汁のシミのついた部分はとれたようだが、完全には取れない。

 そこで、私は洗い場に置いてあった、漂白剤をペーパーに染み込ませて拭くと、だいぶシミは取れて、元の白い生地に戻った。

 私は客に、何度も頭を下げた。

 私の熱意が通じたのか、客の機嫌はおさまったようだった。


 しかし一体誰が、マットをしまったのだろうか?

 多分、田川の仕業に違いない。

 なぜなら、田川はときどき一階の調理場から間違って二階に上げた餃子を、パクパクと手づかみで盗み食いしているのだ。

 間違ってあげた料理は一階に返却のが常識である。

「一階に戻した方がいいですよ。一階も餃子の皿の数を数えているんですよ」

 友里が顔をしかめて田川に注意したにも関わらず、田川はノー天気な笑顔を浮かべ

「いいじゃない。川島さんも食べる?」

と私まで巻き込もうとしているのだ。

 もちろん、友里は結構ですと断ったが、相変わらず田川は友里の注意を無視して、パクパクとほおばったあげく、手づかみの餃子を友里の口元にもってくるのだ。

 常識無しというよりは、人の注意を全く無視する。

 それとも、よほど食い意地が張っているのだろうか?

 店長には色目を使い「しゃべりかけるな」と迷惑がっているのに、それにも関わらず笑顔でまとわりついている。

 噂では、水商売もどきのことをしていたらしい。

 マットをしまうなどという常識外れのことをしでかしたのは、田川に違いないと友里は、確信していた。


「おはようございます」

 昨日のトラブルがおさまったので、今度は私の方から田川に挨拶した。

 田川は、いつも眠そうに目をこすっている。

 なんでも、埼玉県に彼氏がいるらしい。

 田川は十九歳のとき、結婚したがすぐ離婚したという。

 掃除の後、いつものように私はリフト前にマットを敷いた。

 そのとき、田川が上がってきたその直後、マットを丸め始めたのだ。

「ちょちょっと、どういうつもり?!」

 田川は、キョトンとしたような顔つきで言った。

「こんなの必要ないじゃん」

 私はあきれ果てたが、出来るだけ冷静を装った。

 田川はノー天気な口調で続けた

「それとも、このマットが無かったら、なにか困ることでもあるわけ?」

「リフトから料理を取るとき、すべるでしょう」

 私は、しごく当然の正論を言った。

 全く田川は、人の足を引っ張るのが好きなのだろうか。

 それとも、単に常識がないというより、それ以前の常識さえ教えられていないのだろうか?

 高校生でも敬語を使い、遠慮がちに私の言うことを聞くのに、田川だけが別格である。今までの人生のなかで、教育を受けてこなかったに違いない。

 この女といたら、どんな災難が起こるか想像もつかない。

 私はなるべく、田川を避けるようにした。


 私は、友哉の影響で「私 男子校出身です」というLGBTの本を買った。

 二十三歳で椿姫 彩〇というおねえがいる。まあ、もちろん芸名であるが。

 化粧と高価な洋服のおかげで、一見アイドルのような可憐な風貌である。

 彼は、いや彼女は小学校から高校まで一貫した男子校に通っていたが、すでに中学のときから性のシンボルであるものが、椿姫にとっては生きるのに不要で邪魔なしっぽでしかなかったという。

 高校に入学して両親に打ち明けると、母親からはきもいと言われ、傷ついたこと。

 その当時は、学園ドラマで性同一性障害をテーマにしていたので、クラスメートの何人かは理解してくれていた、いや理解しようと努力してくれていたこと。

 大学のとき、性別を女性に変えたことが、正直に告白されていた。

 有名大学に進学し、フランス語の翻訳ができるインテリでもある。

 しかし、この本は中年男性のゴーストライターによって、書かれたものだということが丸わかりである。

 うわべだけの簡潔な文章で感情がこもっておらず、取扱説明書のような箇条書きの冷静さがうかがえる。

 このゴーストライター氏も、椿姫のことを理解しているわけではないだろう。

 椿姫のアイドルまがいの可憐な容姿が興味をひき、サクサクと読みやすかったが、

「性転換した男性の四割が自殺を図り、あとの六割も自殺を考えたことがある」という箇所が、グレーのなかの黒点のような深刻さが感じられた。


 氷室恭香も、椿姫みたいに高学歴だったらと思う。

 インテリだと社会的信用も、少なからずある。

 しかし、友哉の話によると、氷室は、現在通信制高校の一年だという。

 そういえば、NHKの青年の主張で男子校出身のLGBTが、通信制高校に転校したというのを見たことがある。

 年齢さえも、明確ではない。

 友哉と氷室と、いったいどんな共通点があるというのだろう。

 もしかして、友哉も氷室に影響され、ニューハーフいやおねえバーで働きたいなどと言いだしたら・・・

 被害妄想かもしれないが、そんな妄想が私の脳裏から離れない。

 もしそうなったら、私は友哉にどう接したらいいんだろう。

 妻子もいる会社社長が、LGBTであることを告白して、家族から勘当されたのち、復縁したというニュースも見たことがある。

 友哉には、大学を卒業してサラリーマンとしての人生を歩ませたいと思っていた。


 そんな考えにとらわれながら、私は電車に乗っていた。

 ふと、写真週刊誌の吊り広告が目にとまった。

「椿姫 彩〇 素性を隠した塗りたくり厚化粧でキャバクラで大儲け」

というタイトルが興味をひいた。

 確かに、椿姫は厚化粧とアイドルのような衣装で、グラビアアイドル級の美女に変装はしているが、男性であることを隠してキャバクラで働くのは、ある意味詐欺でしかない。

 金とためとはいえ、椿姫には最も隠しておきたい過去だったに違いない。


 

 













 

 

 

 

 


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る