第10話 LGBTという未知の世界

 早朝七時に、私は繁華街に到着した。

 開いている店は、カラオケボックスとファーストフードくらいである。

 繁華街に行くのは半年ぶりである。

 しかし、デパートに行くくらいで、裏通りの歓楽街には入ったことはないと不意に、目の前に立ちはだかる男がいた。

 二十歳を少し超えたくらいで、黒いTシャツにデニムパンツ。

 茶髪であるという点を除いては、なんとまるっきり友哉と同じ格好である。

「僕、シャインと言う有名クラブ。ちゃんとしたチェーン店の大型店舗なんだけどね、今なら初回無料なんだ」

 なんだ、ホストのキャッチか。

 しかし、この青年、目の前に立ちふさがって身動きできない。

「身分証明証、持ってる?」

 いいえと私が答えると、ホスト風青年は去って行った。

 三十秒くらいして振り返ると、なんと氷室恭香が、その青年と並んで歩いているのである。

 服装は、やはりLGBTらしくロングスカートで、花柄のブラウス。

 後ろ姿だけ見ると女性である。

 私は二人の後を気づかれないように、こっそりつけることにした。


 ふと、私は昔ーといっても今から十二年ほど昔の時代であったが。

 昔はおかまタレントなどと言われ、藤井隆が無名時代、おかまで売り出したように、売り出すための手段として使われていた。

 あくまでも主役の引き立て役の三番手で、あくまでもお笑いの手段でしかなかったおかまタレント、今はもうおかまという言葉自体、死後になってしまったが。

 石橋貴〇氏が、おかまに扮した人に「あなたホモ」と聞かれ「やだねえ違うよ」と言ったのが原因で、LGBT団体から抗議がきて、石橋氏は干されていた時期があった。

 しかし、今の世の中、社会運動をしている人は就職のとき、採用お断りといったケースが多い。

 なぜなら、不都合なことがあると、集団で押しかけたり、自分の権利ばかり主張するからであり、周りに畏怖感を与えるからである。

 それに現代社会では、セクハラ、モラハラ、パワハラという言葉通り、理不尽な権力による横暴を取り締まることも可能である。


 Shineという店は、駅から歩いて五分ほどの小さなビルにあった。

 一階の店舗名を見ていると、間違いなくShineと明記されてあった。

 エレベーターで階まで登ると、小さな店だが男性の顔写真が五枚ほど貼っているまぎれもないホストクラブである。

 しかし、私は入る勇気がないので、引き返そうとしたその時だった。

「初回の方ですか? どうかこちらへ。初回料金は無料ですよ。

 健康保険証かマイナカードなど、身分証明証お持ちですか?」

 あっ、あのときの氷室恭香であるが、私は気づかないふりをした。

「ちょちょっと。あなたは未成年でしょう。なのにどうしてこんな店に」

 いけない。つい友哉同様、自分の子供のようにぶしつけな言葉を発してしまった。

 こんなことが、友哉に知れたら怒られ、口をきいてもらえなくなるかもしれない。

「ご心配なさらないで下さい。私は、ここのオーナーの息子、いや娘ですのよ」

 本当かな。でも聞くところによると、ホストというのは、ゲイバーに行って接客術を勉強するらしい。

 それで路上キャッチしていたホストとも、知り合いだったんだ。

「さっきの彼、ひゆうっていうの。飛行機の飛と雄と書いてひゆう。よろしくね。

 名刺、渡しておきます」

 四隅が丸まっていて「club Shine 飛雄」と書いた名刺をもらい、私はそそくさとその場を立ち去った。


 私はもう四十歳になっていた。

 ハローワークに行っても、事務職は不可能である。

 また、飲食店で働くことになった。

 十年前に働いていた、有名ぎょうざ店のチェーン店である。

 面接のとき、経験者といえば、即刻採用となりホッと胸を撫でおろす思いだった。

 一階と二階とに分かれていたが、一応二階を任されることになった。

 また、明日から頑張るぞという意欲が湧いた。


 私はさっそくホール周りと皿洗いをすることになった。

「姉ちゃん、前もこの店のチェーン店にいてたでしょ。わし、良く行ってたんだよ」

 えっ、とっさには思い出せない。

 私にとっては、初対面でも向こうは私を知っているのだ。

 従業員は皆、私より十五歳以下も年下だし、高校生のバイトもいる。

 でも協調してやっていこう。


「店長、このビールケース運んで下さい」

 いやに舌足らずの甘い声ですり寄るのは、入社したばかりの女子アルバイトの田川である。

 童顔でノーメイクのせいか、山菜くらいは若く見えるが、たぶん二十六歳くらいだろう。

「店長を荷物運びに使うなんて、呆れるわ」

 先輩バイトの聞えよがしの批判に、田川本人は平然として言った。

「いいのよ。店長は私のダーリンなんだから」

 開いた口がふさがらないとは、まさにこのことである。

 どんな経歴の女なのだろうか?

 水商売上がりかもしれないが、いわゆる高級クラブではなく、安手の庶民的なスナックなのかもしれない。


 しかし、店長もそうまんざらではない顔をしている。

 三十歳過ぎだろうか。

 休憩時間は、いつも競馬に興じている。

 噂によると、闇金から相当の借金を抱えていて、健康保険証も取り上げられたという。

 現代では、闇金は法律違反であり、借りた方が法律を破った加害者とみなされる。

 警察、弁護士、司法書士も力にはなってくれやしない。

 なんとなく、胡散臭い人物だな。

 まあ新任店長だから、仕事はまじめにこなしている。

 月に一度、エリアマネージャーが見回りにくるが、礼儀正しいというよりも、ひどく恐縮しオドオドと顔色を伺っている。

 やはり、闇金からの借金がバレたら困るというやましさでも、あるのだろうか。


 田川は、最初はおとなしかったが、徐々になれなれしくなっていった。

 言葉遣いは、誰に対してもため口。

 それもその筈。雇われとはいえ店長に対してでさえ、ため口であり敬語など一切使わないんだから。

 

 田川はこの頃、三階の休憩室に出入りしている。

 一応は出入り自由だが、常識として異性の着替え中は入ってはいけないというのがルールである。

「ねえ、店長、こんにちは。今日はご機嫌斜めですね」

 店長は、まんざらでも顔で、にやにやしているが、口は堅く閉ざしている。

 世間では、セクハラが問題になっているということを、熟知しているのだろう。

 女子バイトの誘惑に乗るなんて、全く愚の骨頂だと思っているのかもしれない。


「ねえ、川島さん、昔、この店ではね、不倫がやたら多かったんだよ」

 不意に正社員が私に話しかけてきた。えっ初耳である。

「こういう店舗は、正社員は店に三人以上設置しないことにしてるんだ。

 しかし、朝から夜十時まで店にいるから、家にいるより店にいる時間の方がはるかに長いだろう。だからつい、身近にいるバイトの女子とできちゃったりするケースがあるんだ。それが原因で、転勤になった店長もいるくらいなんだよ」

 まあ、店長といっても所詮雇われの身であり、売上と客の苦情により、最短二か月で転勤することもある。

 アルバイトも、自分の仕事命令を聞いてくれないケースも多いが、責任を取らされるのはすべて店長である。

 不倫対象というのは、自分の身近にいる部下の女性が多いという。

 水商売の女性は、店に行くのに金がかかるのでその対象にはなりにくい。

 その重圧感から酒の溺れたり、不倫など手軽な欲望へと走るのだろうか。


 田川は、最初はおとなしかったがますます調子に乗ってくるようになった。

 店長が着替えてるときは、必ず休憩室に入り、わいせつな発言をしてくる。

「もう話しかけるなだなんて、店長さん、どうしてそんな冷たいことを言うの?

 店長のパンツ姿なんて、もう見慣れてるわ」

 店長はひたすら、沈黙を通している。うっかり言い返そうものなら、また上げ足をとられると思ったからだろう。

 まったく図々しいというが、逆セクハラである。

 私はこの珍奇ともいえる光景を、あきれ顔で見ていた。


 

 

 

 

 


 

 

 

 


 

 

 

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