第3話 ファミレスバイトで出会った困ったちゃん
クラブのチーママは、敦史とはクラブで客として知り合ったが、個人的にもときどき食事をする仲なので、一応は挨拶したいということで、友里のもとを訪れたというのだ。
これはどういう意味だろう。
ただのチーママと客との関係であり、誤解を招かないように訪れたのか、それともひょっとして、私と別れたいという意思表示なのか・・・
わからない。ただわかっていることは、友里とチーママとは別世界の人間だということだった。
一応、警察には、敦史が帰宅したことを報告にいき、そのついでに、チーママのことも話した。
担当刑事はあきれ顔で、敦史さんはあなたに対しては、どういうつもりでいるんでしょうねえと言った。
言い替えれば、敦史さんはあなたに対してずいぶん失礼なことをするんですねという意味だろう。
僕だったら、愛する妻に対してこんなことは到底できないと言った。
要するに敦史はもう、友里を愛してはいないので、潮時がきたということを、遠回しに忠告しているのだろう。
友里は、敦史に聞いてみようと思った。
敦史の口から発した言葉は、いつものようにあやふやな返事だった。
人を怒らせないための思いやりではなく、あくまでも、自分が悪者として扱われないための自己保身でしかなかった。
僕はチーママを尊敬している。チーママのような生き方をしてみたい。
遠回しに、私とは別れたいといっているのだが、自分が悪者になりたくないので、私から別れの言葉を持ち出すのを待っているかのようだった。
どうしよう。子供のこともあるし、父親はいた方が子供の将来には有利に違いない。いや、もう今はそういう時代でもないかな。
現在は、クラスの四割が母子家庭なので、前時代のような差別なんて今はほとんどないし、それに母子家庭の方が行政から手当てももらえるし、かえってその方が有利ではないだろうか。
いや、かえって子供が敦史のような人間になってくれたら困る。
私は、敦史との別れを真剣に考えていた。
私の生後一か月の息子ー友哉は、友里の母乳ですくすくと成長していた。
やはり、自分がお腹を痛めて産んだ子供は、かけがえのないものだ。
これからの人生、私は友哉のために生きていこう。
その翌日だった。
この前、敦史が連れてきたクラブのチーママがやってきた。
今度は、以前のように和服で髪型もアップ姿ではなくて、デニムパンツに地味な綿シャツ姿だった。化粧もしていないスッピンの素肌は、どことなく荒れていてしわが目立つ。目の下には、青いあざのようなクマがうっすらと滲んでいる。
いきなり無言のままで、友里の前に請求書を突き出してきた。
なんと五十一万円という大金。
チーママ曰く
「うちの店は、基本的には売掛金はお断りしているのですが、ご主人のたっての願いと紹介者の顔を立てるために、特別に売掛金にして差し上げたのですよ。
うちの店は、政財界のみならず、警察関係の方もお見えになるし、顧問弁護士も常備していますので、警察に訴えることができるのですよ」
チーママは、艶然と微笑みながら、余裕の口調だった。
私はうろたえ、一週間待って下さいと頼むしかなかった。
敦史はその日、酔っ払って帰ってきた。
私は敦史に、チーママとの一切のことを話した。
敦史は、五十一万円耳を揃えて払うと言ったが、うろたえる敦史を見て、そんな大金は到底ないというが嫌がおうにでもわかった。
まともに一回ずつ払ってたら、五十万円もつけにしない筈だ。
しかし、高級クラブというのは、チャージ料、いわゆる座るだけで十万円必要であるので、五十万くらいすぐ飛んでしまうだろう。
しかし、敦史は給料のうちの八万円を、友里に渡した。
あとの残金は、私が立て替えることになったが、これは敦史に対する別れのサインだった。
私が敦史と別れる決心をしたひとつは、敦史は闇金などから借金されたら、私のところにも督促状が届くに違いない。
闇金は現代では違法であり、闇金で借金した方が、法を犯すことになっているので、法外な利子を請求されたとしても、警察、弁護士、司法書士も味方にはなってくれない。
闇金側は、スマホの画面に下着姿で「私は借金をしました」というプラカードを下げた債務側女性の写真を拡散したり、合法風俗を紹介するという。
そうなるなんてまっぴらゴメン、いや自殺した方がましかもしれない。
私の貯金の一部を渡し、敦史とは別れようと思った。
私の貯金から引き出した五十万円の支払いと引き換えに、敦史との結婚生活を終焉に終わらせようとした。
敦史は荷物をまとめ、私から去って行った。
子供は私一人で育てます。養育費、慰謝料、そんな余裕が敦史にあるはずがない。
スポーツ新聞の記事で読んだが、あるロックバンドのメンバーが「彼女とは三年間同棲していましたが、彼女の妊娠を機に、別々の道を歩むことにしました。
ロッカーとして、子供のいる家庭生活は性に合わない。僕も彼女も同棲というお互い独身の道を歩んできたことは感謝します」などと無責任極まりないことが、小さな記事として発表されていた。
しかし、そんな男性と正式に結婚して出産したとしても、果たして幸せになれるだろうか。生まれてきた子供が、不幸になるだけではないか。
それだったら、そのような男性と同棲した女性の方が、不利な条件を背負うだけではないか。
十戒に「汝 姦淫するなかれ」とあるが、まさにその通りだと痛感した。
今の私には、息子である友哉が生きがいだった。
友哉は、私の母乳を飲み、すくすくと成長していった。
昼間は幼稚園に通っていたが、そのあとですぐ、迎えに来てもらって託児所に行く。
今は、昼間の学童保育などもあるので、昔に比べては恵まれている。
友哉が小学校に入学する頃だった。
突然、私の母親が友哉を育てたいと言ってきたのだ。
ひとつは、私一人女手一つで育てるのは、心身ともに大変だろうという配慮からであった。
私はその当時、昼間はスーパーのレジ、夜はファミレスの皿洗いをしていた。
しかし、昨今のコロナ渦不況でスーパーもファミレスも、いつリストラされるかわからない不安状況下にある。
そうだな、これじゃあ、満足に友哉の面倒をみてやれないかもしれない。
もしそれが原因で、将来非行や、麻薬に走ることになったら大変だ。
私は、自分の最も信頼できる人である母親に預けることにした。
ある日、私がいつものように、朝八時十分前に勤め先のスーパーに行くとシャッターが降りていた。
「昨日をもって、閉店させて頂くことになりました。
長年のご愛顧、有難うございました」と貼り紙がしてあった。
後から来たパートの人は、ポカンと口を開け、半ば呆れたような顔で無言のままである。
どうしてだろう。客は入っていたのに、借金でも抱えていたのかなと噂する人もいたが、そんなことは後の祭りである。
一応、給料十万円は口座に振り込まれていた。
こうなったら、頼るのはファミレスだけだ。
私は、仕事は早い方だと思っている。
「おはようございます」
元気よく挨拶して、タイムカードを押した。
なんと、メンバーがガラリと変わっているのだ
店長がいうには、いわゆるリストラでメンバーを変えることにしたという。
私は新人指導教育係をしてくれと言われた。
「ねえ、おばちゃん、もう一度説明してよ。おばちゃんの言っていること、さっぱりわからない」
新人の女子ー花子は十六歳だと聞いていた。
髪の毛は紫色のメッシュをいれ、両耳には三か所ものピアス。
十六歳にしては、過激なファッションである。
定時制高校へ通っているので、昼間だけバイトをしているという。
顔はアジア系だが、発音が日本人とは違ったなまりがある。
私は、花子の立場に少々の同情を感じ、懇切丁寧に教えた。
私はむかつくのを通り越して、あきれ果てた。
一応この子、日本語も話せるし、五体満足である。なのに何度同じことを言ったらわかるんだろう。
はあはあという生返事だけで、ちっとも教えたことを実行しようとはしない。
最初は、何か別の考えでもあるのだろうかと思っていたが、そうではなかった。
メニューといい、掃除の仕方といい、一週間教えても、ちっとも覚える気配が見当たらない。
なのに、雇われ店長は花子になんとホール周りをしてくれと指示してきた。
この子がホール周り? 無理に決まっていると思ったが、店長の指示に従う以外にはない。
私の予想通り、案の定花子はホール周りで失敗した。
「同じ失敗を二度と繰り返してはダメよ」と叱責すると神妙な顔で
「すみません」と殊勝に謝った。
ところが翌日、なんと花子は、仕込みの途中ヤンキーのうんこ座り(和式トイレのときのしゃがみ座り)をして、喫煙しはじめたのだ。
私はあきれ果てた。と同時に、ヤンキーの気持ちが少々わかる気がした。
いわゆる周りについていけない状態にあり、叱られてばかりいる子が、大人の真似ごとをして虚勢を張ることにより、バカにされまいとする。
まあ、そんなことをすればするほど、余計に回りとは違った目で見られるのがオチであるが。
昼休みの時間、店長が私に言った。
「ここだけの話、花子ってさ、実はハーフなんだ。ここのオーナーのまあ隠し子だよ。相手の女性との慰謝料代わりに、入店させてるんだよ。
このことが公けになると、世間体悪いからな」
店長はため息をついた。
「実はこの僕も来月でリストラなんだ。表向きは自己退職ということになってるけど、少々の退職金をもらってお払い箱さ。
オーナーが変わるんだから、当然といえば当然だけどな。
新しい店長ってどんな人なのかわからないけど、まあ、君には頑張ってほしい」
私は、お先真っ暗だった。
まあ、飲食店の雇用形態は、契約社員であり、店長やチーフでさえも一年契約、バイトに至っては一か月契約であるが、契約社員というのは明日から来なくていいと言われるとそれでアウトである。
ひょっとして、私もリストラ候補生かもしれない。それが目的で、こんな困ったちゃんの世話をさせようとしているのかもしれない。
その途端、ガシャーンとグラスの割れる音がした。
なんと、花子がトレイごとグラス十個を割ってしまい、運悪くその上に卵1ケースごと割れてしまい、黄味と白身とが入り混じりぐしゃぐしゃになっている。
花子が、私を指さして、外国なまりのある日本語で言った。
「この女が私に何も教えようとしないから、悪いんじゃないか」
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