第2話 転職先は風俗のコスチューム衣装販売

 零細企業に就職を決めてきたものの、世間は甘くはなかった。

 そういう会社は、ただハローワークの顔を立てるための建前でしかなかったのだ。

 出社して、二、三日行くと、合わないから辞めてくれといわれることが多い。

 まあもっともそういった零細企業は、二、三年で倒産しているという。

 ハローワークの前で、リクルートスーツを着て、しょんぼりと歩いている私に、モスグリーンのスーツに身を包んだ、上品そうな女性が声をかけてきた。

 年齢は三十五、六歳くらいだろうか。

 たぶん求人広告に類だろう。まあ、話だけでも聞いてみるか。

 誘われるままに、ハローワークの向かいのカフェに入った。

 珈琲を注文すると、女性は名刺を差し出した。

「株式会社 グリーン 津田 由梨」と明記されている。

 ゆりというと、私と一字違いである。

 知的なスリム美人だ。著書まで発行している有名銀座クラブママにも似ている。

 私もこんな女性になりたいと、ふと思った。


「私どもの会社は、女性の立場にたった企業でございます。

 現在は、セクハラ、パワハラ、マタハラという言葉がありますが、まだ声を上げられない弱い立場の女性が多くいることは紛れもない事実です。

「水商売出身のあなたがセクハラなんて言える立場か。嫌なら辞めてもらってもいいですよ。あなた以上の代わりは、履いて捨てるほどいくらでも存在するのだから」

なんて考え方もあるのは事実です。 

 女性の目線から世間を見て、女性が働きやすい環境をつくるのが、私たちの使命と心得ております。

 仕事内容は販売ですが、経験の有無は問いません」

 洗練された丁寧な言葉遣いである。

 友里は、津田由梨がまるで女性弁護士か、ニュースキャスターみたいだと思った。


 津田由梨の紹介する仕事内容は、要するに風俗店で使用するコスチュームを販売したり、風俗嬢のアリバイ工作をする仕事だった。

 いわゆるワケアリの仕事であり、人にはあまり口外できない内容である。

 まあ、いいか。事務員はAI化の影響でどこもアウトである。

 今までエクセルで十日かかっていた仕事が、AIを使えば一日で可能である。

 別世界に飛び込んだつもりで、世間勉強だと思ってやってみようか。


 給与は完全歩合制だった。

 しかし、新人のうちの三か月だけは、固定給が二十万円ほどある。

 金銭的には悪くはない。友里はまあ、三か月勤めた時点で退社しようと思っていた。


 最初は、キャバクラにロングドレスを売り込みに行った。

 もちろん、キャバクラ嬢と接するわけではなくて、店長と接するのだ。

 驚いたことに、キャバクラの店長といっても雇われ店長でしかないが、二十歳を少し超えたばかりの田舎出身の少し太めの、どことなく陰気な感じのする冴えない人ばかりだったのだ。

 しかし、サービス業だけあって、人の好さそうな笑顔であり、快くロングドレスを即金で買ってくれた。

 今日は五着売れた。その四割が友里の給料となる。

 だから、一枚も売れない日は給料は二万円である。

 私は新人ながら、売上率が良かった。

 ひとつは、店長にこっそりと、洗濯の技を教えたのが功を奏したのかもしれない。

 ドレスにつけられた酒や唾などのシミは、重曹と漂白剤と酢をまぜたもので、こすればきれいに落ちるし、匂いも消える。

 キャバクラのホステス(キャスト)は客から酒をこぼされたときのドレス代のクリーニング代も、自前である。

 実際、これを実行したおかげで、キャストの指名数もアップしたという。


 飲酒、喫煙を一切しない私は、結構新鮮な存在でもあり、度胸のある図太い奴として、うつっていた。

 入社一か月で、売上№にのし上がっていった。


 二か月目に入り、後輩が入社したこともあって、私はキャバクラ部門は卒業し、風俗部門へと移動になった。

 風俗というと、女性なら誰でも抵抗がある。

 コスチュームセールスとはいえ、店に入るだけで勇気がいる。

 どうしようか。いくら生活のため、金のためとはいえ、もっと別の職業があるのではないか。

 私は、女性なら誰でも生ずる不安と迷いがあった。


 敦史に相談してみた。

 敦史曰く「ファッションヘルスコスチュームのセールスって、一度くらいは体験してみてもええんちゃう。人生にそう何度もあることやないしな。誰にでもできる仕事でもないし、私に与えられたチャンスかもしれへんで」

 敦史は、相変わらず口先だけはやさしい。

 人を納得させる理屈を思い付いている。

 でもその裏は、あくまで自己保身しか考えていない。冷淡さがにじみ出ている。

 しかし、敦史の給料だけでは生活は困難というよりは不可能である。

 私は、ファッションヘルスコスチュームの営業に踏み切ることにした。


 ヘルス嬢は、想像していた派手なイメージとは違い、暗い深刻な影を漂わせている人ばかりだった。

 年齢は、十八歳から四十歳までと幅広い。

 あまり、ガリガリ体形は癌を連想させ、客はつかないという。

 少しぽっちゃりと肉付きのいいくらいが、客には触り心地がいいらしい。

 申し合わせたような、つけまつげのアイメイクと濃い口紅

 経歴や過去のことは、一切話したがらないというよりも、口に出すのさえタブーである。

 しかし、暗闇の奥から手招きするような一筋の光のように、お菓子を食べるときの笑顔は子供のように無邪気である。

 私は、ふと自分に娘がこんな風だったら、親としては心配だろうなと、あらぬ想像をしていた。


 コスチュームの内容は、やはりファッションヘルスだけあって、セパレーツ水着のような衣装だった。ふた昔前に流行ったファッションが、かえって新鮮らしい。

 バニーガールのように、ラメ入りのけばけばしい衣装だと、かえって客は引いてしまうらしい。

 日常の継続のような衣装が、金銭的にも安心するらしい。

 私はそこでも、売上を伸ばしていった。

 ひとつは、ヘルス嬢の受けがいいのが原因だった。

 私は自腹を切って、駄菓子から糖分の少ない高級な和菓子までプレゼントした。

 考えてみれば、彼女らは敵に囲まれているようなものである。

 客も敵ならば同僚も敵、そして世間全体が敵のようなものである。

 店での売上№1は、ときおりネット上で紹介されたり、風俗雑誌に掲載されたりする。そうすると、デジタルタトゥーの如く、風俗嬢だったという経歴が残ることになる。いやそれよりなにより、アウトローのヒモがつくケースが多い。


 なかには、精神に異常をきたしている子もいた。

 ドラッグをして、客に暴力をふるいかけ、クビになっていく子もいる。

 私は心の痛む思いがした。

 さりとて、私は何をして差し上げることも不可能である。


 できたら、今月一杯でこの風俗関係の仕事を辞めたい。

 私は本気でそう思い始めた。

 しかし、辞めて別の仕事が見つかるだろうか。

 なんでも、高校の同級生で、商社に就職した子は、二十五歳で辞めてパテシェエの学校に通っているらしい。授業料は、年間二百万以上するという。

 しかし、パテシェエというのは、冷凍庫にしょっちゅう入ったりするので、女性は子宮の病気になりやすいという。

 金銭がかかる割には、希望に満ちた未来ではなさそうである。

 そんな私の悩みと将来に対する不安を、敦史はちっともわかってくれようとはせず、相変わらずおかまいなしである。


 そんなある日、友里は妊娠した。

 敦史も一応は喜んでくれたが、それは束の間のことでしかなかった。

 その翌日から、敦史は置手紙を残して姿を消した。


「友里、短い間だけど、楽しかった。俺より働いてくれた友里には、今でも感謝している。悪いのは俺の方だ。友里は決して悪くない」

 どういうこと?

 別の女ができたの?

 それなら、私に一言言ってくれればよかった。

 納得はできないけど、黙秘はできたかもしれない。


 でも、今さらそんなことを想像してみても、後の祭りである。

 一応、警察には、捜索願いを出しておいたが、警察も失跡して一週間以内だと動いてはくれない。

 警察に心当たりを聞かれたが、ある筈もない。

 もちろん、敦史のスマホや手帳は、消えている。

 唯一、敦史の使っていた生活用品ー歯ブラシ、タオルや洋服だけは残されていた。


 警察の話によると、闇金などで債務ーいわゆる借金の追い込みを恐れて、姿を消したという可能性もありうるという。

 現在は、闇金は借金した方がコンプライアンスに反するので、警察、弁護士、司法書士に訴えても効力はないという。

 それは当たっているかもしれない。ギャンブル好きな人は、必ずサラ金に手を出すというんだから、パチンコ専用サラ金などというのもあるようだ。

 でも一週間もすれば帰ってくるだろうと、友里はたかをくくっていた。

 しかし、敦史からは何の連絡もなかった。


 そんな状況下であったが、友里は無事出産した。

 生まれてきた子は、五体満足な男の子だった。

 幸せだった。充足感とはこんなことを言うのだろうか。

 私は、一生をこの子に賭けようと思った。


 そんなとき、敦史が何の連絡もなく、ひょっこり帰宅した。

 行方不明になってから、ちょうど十日目だった。

 なんと、敦史の隣には、和服姿の二十三歳くらいの若い女がいた。

 一目見て、水商売とわかるような、鮮やかな色っぽい目つき。

 なんでも、クラブのチーママをしているという。

 学歴は、四大卒で法学部出身、来店する客は、政財界の大物クラスが多いという。

 同じ水商売でも、友里とは全く違う世界。

 そしてその女の口からは、風俗を最後の砦としているかのような口調がはっきりと感じられた。

 まあ、もっとも高級クラブといっても、客のつけが払わなければ風俗で稼ぐという方法しかないのであるが、ようするに高級クラブという世界は、一歩間違えればほんの紙一重の差で、風俗に入る危険をはらんだ世界なのだ。

 

 にも関わらず、私たちクラブの女は、話題も高尚であり、肉体の遊びで終わらせたいなら、風俗にどうぞということを平気でいってのけるのだった。

 そのクラブのチーママは、大学一年のとき、スカウトされてクラブでアルバイトしていたが、話題が高尚なので、必死で経済新聞を読んだりして、政財界の知識を身につけてきたという。

 幸い、大学は法学部だったので、法律の知識はある程度有していたが、不動産の資格も取得したという。

 私は、それを聞いて劣等感を感じた。

 私は、法律も不動産の知識をも、全く皆無だったからだ。

 学生の世界で例えれば、授業内容はちんぷんかんぷんの劣等生が、わざと授業妨害をするのと同じである。

 劣等感を増幅したくなければ、自分も勉強して努力する以外にはない。

 







 


 


 

 

 

 

 



 


 

 

 

 




 

 

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