もう一度だけ人生のチャンスを

すどう零

第1話 私が初めて恋した男は 謎に包まれた男やった

 自分はなんで、こんなところにいるんやろうな。

 今の自分は、今まで体験してきた本来の自分とは違う。

 まるで、何十年も遠い昔の出来事が、つい昨日のことのように、蘇ってくる。

 川島 友里は、青春時代をふと振り返ってみた。


 田舎の無名女子高を卒業し、アパレル企業でのOLを体験し、そこで得意先の人とフォーリングラブ。

 ここまでは、問題のない人生やった。

 卒業した女子高は偏差値はまあ中レベルであったが、女子バレー部に所属し、試合で活躍し、県大会にも出場し、準優勝を勝ちとったこともある。

 なんの刺激もない田舎だったが、空気と樹木は綺麗やった。

 まあ、その分虫や蛇に悩まされることもあったけどな。

 今でも思い出すと、田舎のおいしい空気と鮮やかな緑が蘇ってきそうである。


 初めて付き合った男性は、いわゆる女性を妊娠中絶させたとんでもない経験をもった男性やった。もちろん、付き合い初めて一年たってわかったことやけどな。

 しかし、甘いルックスで愛想がよく、男性とロクに話したことのない私を初めてデートに誘ってくれたのは、まぎれもなく彼だったのだ。

 当時二十四歳で、古参のジャニーズアイドルにも似たマスクのもったその男と知り合ったのは、入社して三年目のことだった。

 三年目というと、もう中堅の立場であり、だいたい企業側は女性は二十五歳くらいまでに、寿退社を望んでいる。典型的な結婚までの腰掛け会社だった。

 その当時は、女性の主任といえばコネで入社した女性が、一人存在していたな。

 多くの同僚や先輩と同様、私は寿退社を望んでいた。

 結婚したら、こんな会社ようやく卒業なんていう二十六歳の先輩もいたくらいである。まあ仕方ないやろう。女性は二十五歳までに退社して頂きたいというのが、会社の方針であり、昔からの風習であり、居づらくなって辞める前に寿退社をするというのが理想的な退社の仕方である。


 実際、その女子先輩は恵まれない、可哀そうな立場やった。

 上司の失敗を自分に押し付けられても、泣き寝入りに終わるしかない。

 決して給料も高くない。明日が不安なのは誰しも同じである。


 恥ずかしながら、私は男性と付き合うのが彼が初めてやった。

 僭越ながら私は、小学校高学年の頃から可愛いと言われることが多かった。

 そのせいだろうか。地元の本屋や電車の中でナンパされることが幾度かあった。

 初めてナンパされたのは、高校一年のとき。

 高校生らしき二人組に時間を聞くフリをして

「カフェでも行けへん」とナンパされたが もちろん行く気はなかった。

 今から思えば、彼らは純粋な動機だったかもしれない。


 初めての彼ー尾藤 敦史は、最初は私に優しかった。

 私を褒めまくり、洒落たカフェに連れていき、彼の好みの珈琲をご馳走になったりした。

「君はスタイルがいいから、甘いドリンクは辞めた方がいいよ」

 私は尾藤の言うことを守り いつも尾藤と同じストロング珈琲をオーダーしていた。

「珈琲は糖尿病防止にもなるし、心臓にもいいんやで。

 病気防止のスーパードリンクや。俺、一生珈琲とは離れられない。

 仮に君から俺に去って行くのは自由だが、俺から君を離すことはない」

 今から思えば、なんと無責任な言葉やろ。

 要するに、尾藤は私が尾藤に惚れ込んでいるという自信の裏付けから、私から尾藤に別れを告げることはないということを、よーく熟知した上で言っているのである。

 しかし、その当時の私は尾藤の博識さや甘い言葉に酔っていた。

 まさに、恋は盲目とはよく言ったものだ。


 デートの場所は、いつも洒落た繁華街。

 グルメ特集でしか見たことのない高価なフランス料理にも、連れていってくれた。

 最初のデートで 尾藤は洒落た紺色のローヒールの靴を買ってくれた。

 私は靴のサイズは24.5㎝で、比較的足のサイズの大きな私にとって、感動するほどのとても有難いプレゼントやったな。

 ときどきダジャレを言って、笑わせてくれる彼に魅かれていくのに、そう時間はかからなかった。


 敦史から、一年前、スナックで知り合った女性と同棲していたという、過去を聞かされたのは、つきあい始めて三か月たった頃だった。

 私は、敦史が初めての恋人だったが、敦史にとっては初めての恋じゃなかったのだ。

 敦史は、そのことを打ち明けることは、勇気がいった。

 もしこの話をして、私から冷血漢と思われ、去っていかれたらどうしようという、躊躇があったという。

 しかし、敦史がその話をすればするほど、深刻な表情になっていくのを感じたとき、悪いのは敦史ではなく、敦史を誘惑し、ここまで追い込んだ女性の方にこそ原因があると思い始めていた。

 スナックで知り合ったのも、その女性の方からなんらの目的ー金銭目的やなにかに利用、いや悪用するのが目的でナンパしたのではなかろうか。

 敦史こそハニートラップに引っかかった被害者ではなかろうか。


 確かに中絶というのは、女性にとって一生の傷となるやろな。

 しかし、レイプしたわけじゃないんや。

 スナックというのは、私はその当時、一度も行ったことはなかったのであるが、女性の方から酒を飲ませ、自由恋愛という名のセックスに持ち込んだのではないか。

 いわゆるその女こそ、男を誘惑する童貞破りの小悪魔ではないだろうか。

 その女性は、敦史以外にもいろんな男性をハニートラップの被害者にしていたに違いない。

 いつのまにか、私はまるで敦史の母親になったかのように、敦史の弁護をしていた。


 私の敦史に対する母性愛にも似た恋慕を、敦史が見逃す筈もなかった。

 その頃の私は、タバコも酒もしなかったが、いつの間にか敦史の影響で覚え始めていた。

 いつの間にか、敦史なしでは生きられないなんて、二昔前の従順な女性になっていた。

 

 あれは、六月の梅雨の季節だった。

 突然降って来きたどしゃぶりで、ブラウスはびしょ濡れになり、敦史に誘われるままに、入ったラブホテルで体を重ねた。

 男性と身体を合わせるなんてことは初めての私にとっては、騙されてアダルトビデオ強制出演した女子大生のように、ただただ男性に身体を任せるしかなかった。

 無抵抗な私を、敦史はリードするかのように導いてくれた。

 不思議と怖いとは思わなかったのは、やはり敦史を愛し信頼していたからであろう。敦史に包容力を感じた。

 ちょっぴり口うるさい母親には、敦史のあの字も話していなかったが、きっと賛成してくれると信じていた。

 

 つきあい始めて半年後、結婚は敦史の方から持ち出してきた。

 ある日、菓子折りの包みを持ち、敦史は母に会いたいと我が家に挨拶にやってきた。

 母一人、子一人の家庭だったが、母は何も言わなかった。

 昨年、父が急死して放心状態になったこともあっただろう。

 友里が好きになった人ならということで、敦史との交際には口を出さなかった。

 あのとき、母が説教でもしてくれたら、きっと私の人生も違ったものになってたかもしれない。

 でも、それもすべてあとの祭りである。


 敦史は、私に求婚してきた。もちろん私は、何の迷いもなく二つ返事でOK。

 でも、これが私の不幸道の第一歩だった。


 敦史は、結婚してから態度が徐々に変わっていった。

 釣った魚にはもう餌をあげないというが、まさにその通りだった。

 やさしさはルーズに、まめさはしつこさに、少年っぽさは自己中心さに。

 そして何より、独身時代は微塵も見せなかったが、実は大変なギャンブル好きだったのだ。

 私は、ギャンブルでホームレスまがいになった男性を見てきたので、ギャンブルイコール何日も風呂に入っていない異臭を漂わせているホームレスといった暗くネガティブなイメージ以外なかった。

 昨年亡くなった父親は、競馬好きだったが、総額百万円の損失を生み出していた。

 私にとって、ギャンブルは、所詮金をどぶに捨てるようなもの、いやそれ以上にいっとき、人に富の誘惑をもたらした挙句、奈落の底に陥れる恐ろしい欲望と憎しみの渦といったイメージしかなかった。

 

 敦史は私に、敦史の好み通りに家事をこなすことを望んだが、私には私の好みがあり、経済的なやりくりも考えなければならない。

 敦史の給料では、いつも安価なものしか買うことができなかった。

 安価な食材を、酢で中和し、味付けをしていくことで、できるだけ美味しいものをつくっていた。

 次第に敦史はギャンブル狂いになり、カラの給料袋を私に渡すことが増えていった。もちろん、これでは生活は成り立たない。

 私は、ハローワークで仕事を探すことにした。


 しかし、履歴書の資格欄には、これといって明記すべき資格がない。

 珠算、簿記三級、OAの資格も取得していない。

 もう二十五歳の私に比べると、新卒の方が断然、有利だ。

 それでも、下手な鉄砲数打ちゃ当たるのことわざとおり、面接にこぎつける会社も存在していたが、いずれも十人以下の零細企業。

 それでもいい。私は覚悟を決めて、就職を決めてきたんや。


 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

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