第二章 - 絆

 13 ~考惑の少女~ KOUWAKU



「み~きちゃん!」


 学校の昇降口しょうこうぐち上履うわばきからスクールシューズに履き替えて外へ出ようとしたその時、後ろかられ馴れしい口調で誰かがいきおく背中に飛び掛かってきた。


 何かやわらかい物に押しやられ、首ごと頭が前に倒される。


「…………灯成ともな先輩。いきなり飛び付いてくるのは止めてくださいと、このあいだも言いましたよね」


 肩越しにおおかぶさってくる胸を押し退け、半身だけ振り返ったそこにたのは、残念そうな顔の左頬ひだりほほにデカデカとガーゼを張り付けた同じ中学校の三年生、忽滑谷ぬかりや灯成ともなだ。


 先日地球規模きぼで巻き起った『東京ブラックアウト事変』の日以降いこう何故なぜみょうなつかれてからずっとこの調子なのだ。


「えー、そんなこと言わないでよ。おたがい階段でぶつかり合ったなかじゃない」

「あれは先輩が勝手に突っ込んできただけじゃないですか。勝手に変なわくみにカテゴライズしないでください。すぎ先輩も後ろでただ見ているだけではなく何とか言ってくださいよ」


 振り払ってもなおき付いてこようとするボロボロな肌のショートヘアの先輩—――正直先輩と呼ぶには色々と難色なんしょくを示す部分がおおぎるが―――を牽制けんせいしながら、いつもこの先輩と一緒にいる同じ三年生のボブウェーブの先輩に助けを求める。


「えー? ………………………………やだ」

「今の無駄に長いは何ですか! 絶対面白そうだからほうっておこうって言おうとして特に他の言い回しが思い付かなかったから適当に断っただけでしょう!!」


 後ろ手にかばんを持ち、ぶらぶらとさせていたすぎ先輩は何を思うともなしに、じっ、と灯成ともな先輩を見ていたかと思うと、その表情を変えないまま短く言い切った。


 押し寄せてくる灯成ともな先輩の顔をかばんふせぎながら全力で抗議する。


「この間の階段の時は灯成ともな先輩に対してつっけんどんな態度をしていたのにどんな風の吹き回しですか」

「え? 私べつに、灯成ともなに対する態度は前と変わらないわよ。さっきも教室を出た時にはたいたし」

「あれは痛かったぁ………。小鞠こまりちゃん全然ぜんぜん手加減ないんだもん………」


 灯成ともな先輩は私の鞄に顔を半分つぶしながら悲痛そうな声でなげく。


 この先輩、意外に力が強い………!


「あれはあんたがいきなり公衆の面前で青少年に悪影響あくえいきょうのありそうなことを無意識で口走ろうとしたからでしょう」

「いったい何を言おうとしたんですか……」

「聞きたい?」

「いえ、放送禁止事項に抵触する発言はどこかとは言い切れませんがマズい気がそこはかとなくするので遠慮しておきます」

「なんか小鞠こまりちゃん、あたしに対するあつかいぞんざい過ぎない……? あの時、あたしのこと好きだって言ってくれたのに……」

「確かにあの時きだとは言ったけど、友達としてだよ? それはそれ、これはこれ。そもそも私は灯成ともなとの付き合い方を変えるつもりはないわよ。これまで通り適当にあしらうだけだし」

「うぅ……小鞠こまりちゃんが冷たい………」

灯成ともな、ツンデレって知ってる?」

「知らない言葉じゃないけど、それ自分で言うやつじゃなかったと思うよ!?」


 灯成ともな先輩はようやく私から離れ、今度はすぎ先輩に食い掛る。


 トモナ先輩———六日前、階段の踊り場で彼女のことを見かけた時、何故なぜか口をついて出た「いぬ」という言葉。

 あの時は、一度も会ったこともないはずの人物に対しき上がる正体不明の怒りの感情を押し殺すのが精一杯だった。

 それなのに、翌日の五日前に再び顔を合わせた時には、きれいさっぱりとまではいかなくとも、マイナスの感情はまったく出てこなかったのだ。


 それから何度か偶然ぐうぜん居合わせることが続き、気が付けば下の名前で呼ばれてしまう程になつかれてしまった。

 おまけに自分だけが名前で呼ぶのはさびしいと言い出し、私にまで半強制的に下の名前で呼ばせようとしてくる始末だ。


 幾分いくぶんか抵抗はあったが、苗字の忽滑谷ぬかりや先輩と呼ぶよりは一音か二音ほど短く済むため、渋々こん負けを認めてしまったのが事の顛末てんまつだった。


 初めてその名を呼んだ時、何故なぜか舌に馴染んでいたのは今でも不思議である。


「そうだった。深輝みきちゃん、この間ひかりおかに新しくできたカフェを見つけたんだけどさ、これから皆で行ってみない?」

ひかりおかって………完全に校区外じゃないですか」


 思い出したと言わんばかりに手を叩き、明るい茶髪の先輩は楽しそうに切り出す。


埼玉さいたまからかよって来ている先輩からすればどうということはなくても、私達には一度家に帰って着替えてから行くような場所でしょう」

「もー、固いなー深輝みきちゃんは。あそこは学校帰りの女子高生とか中学生がいっぱいいるから制服のままでも別にいいじゃん。ね、小鞠こまりちゃんも行くでしょ?」

灯成ともなが帰りの電車代を出してくれるなら行くけど」

「くぅ………小鞠こまりちゃんは相変わらず足元を見てくる………。まぁあたしだけ帰りの電車賃がらないから当然ではあるんだけど。なんでかシャクゼンとしない」

さんはどうする?」

「え? ……はぁ。まあ灯成ともな先輩はこう言い出したら止まらないのは、この二、三日である程度理解はしましたので。………遅くならないのであれば」


 財布の中身を確認し始める灯成ともな先輩を楽しそうに見つめるすぎ先輩は、同じ顔で私に同行をあんうながしてくる。


 私はあまり名前で呼び合うのを好まないのだが、すぎ先輩の場合は、苗字で呼ぶと場合によっては誤解などを生むこともあるだろうからという、真っ当な理由の為に了承している。


 それを灯成ともな先輩が聞くと、「小鞠こまりちゃんばっかりズルい!」とわめき出すのだから困ったものだ。


 ちなみに私がすぎ先輩を苗字で呼ぶのは、単純に呼びやすいからというのが大きい。


「やった、そんじゃ早速行こ―――! ――あー!」


 大手を振って喜びねる灯成ともな先輩は、開けたままの財布の中身を辺りにぶちまけ散らかした。



 あまり遅くならなければ。


 そう言いながらも、『ただ私は飲み物を頼んで、それを飲みきればその時点で帰るだけです』。足元に転がってきた貨幣をすぎ先輩に拾って手渡し、心の中でそうつぶやき足す。

 長く時間を無駄にするつもりはない。


 私には、帰る場所がある。





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