14 ~奇行の少女~ KIKOU




 練馬ねりま区は北東のはずれにある中学校から出て、環状八号線かんじょうはちごうせんを渡り緩やかな坂道を登っていく。


 道中、道路の舗装ほそうの割れ目や縁石えんせきに足を取られ車道にこけ落ちそうになる灯成ともな先輩をすぎ先輩が乱雑に引き戻すこと三回。

 話すことに夢中になっていた灯成ともな先輩が街灯やポストに衝突すること四回。

 同じくして赤信号で進み続けようとすること二回。


 よくもまあこれだけのトラブルを生み出せたものだと、西欧風の外装をした真新しいカフェの店先であきれ半分感心かんしん半分に息をらす。


「はぁ………。灯成ともな先輩といると、何気なにげない移動時間だとしてもちょっとした悪質あくしつなレジャーにでも行っている気分になりますね」

「そう? 楽しかったかな」

「まあ灯成ともなと居れば退屈はしないわよね」

「《悪質》という単語を聞かなかった風に話を進めないで下さい」


 嬉しそうにはにかむ灯成ともな先輩と素知そしらぬ顔をよそおすぎ先輩を横に、深い、二度目のため息をいた。


 ちりんちりりん、と来客を知らせる棒状のドアベルが、心に透き通るような音色をかなでる。


 それを鳴らしているのが、まんしていざ行かん、と期待に胸を膨らませる灯成ともな先輩でなければ、なお聞き入っていたかっただろう。


 カフェの内装は二十一世紀も終盤の近年には珍しい、木のかおりのただうレトロチックな雰囲気だった。

 入ってすぐ、目の前には四、五席のカウンターテーブルがたてに設けてあり、左手には格子状こうしじょうの細い木柱の奥に数卓のテーブル席が壁沿いにぐるりと設置されていた。

 中央には二はちの観葉植物と、セルフと見られるおしぼりやウォーターボトルが置かれたキャンピングラックがほど良い目隠しと景観を演出している。


 放課後の混雑する時間にもかかわらず、店内は思っていたよりも学生客が見当たらなかった。

 私達の他には二組ふたくみ程で、それ以外は大人の女性客がテーブル席の半分とカウンター席を埋めていて、残りの席に仕事の合間あいまの息抜きと見えるサラリーマンがちらほらといった状態だ。


 ドアが閉まり、中の様子をうかがっていると、カウンターの中のエプロン姿にバンダナを被った女性がほがららかながらも上品な口調で声を掛けてきた。


「いらっしゃいませ。三名様ですね。空いているテーブル席で自由におくつろぎください!」


 それに対し灯成ともな先輩が元気よく返事をしている間に、私とすぎ先輩で奥にある窓側の席を取る。


 十帖ほどのフロアを行ったり来たりするのは出迎えてくれた女性だけで、カウンターの奥でドリンクや軽食、デザートをこしらえては自身で運んでいる。

 どうやらこのお店を一人で切り盛りしているようで、注文はレトロな店構え通りの店員の女性を呼び出して行うものだった。


「おねーさん! あたしカフェモカ・カプチーノ!」

「私はエスプレッソ。みずしのホットで」

「え、えっと……抹茶まっちゃラテのココア仕立て、でお願いします」


 私達の注文が来たのは、入店して五分とちょっとと言ったところだった。

 オーダーが通ってからは早く、若いが年相応とは少し言いがたい、可憐な風体ふうていの女性の店員さんは上品な手つきでかつ手際てぎわ良く、三杯のドリンクとデザート―――灯成ともな先輩が勝手に頼んだクッキーだ―――を用意して持ってきてくれた。


「わぁ! これ面白い。上の甘いコーヒーの下に別のコーヒーが二段になって入ってる! 甘くなった口の中でほろ苦いのが広がっておいしいー!」


 目をかがやかせてはしゃぐ灯成ともな先輩をよそに、私はすぎ先輩と一緒に黙々と自身の注文した抹茶ラテとエスプレッソをゆっくり味わっていく。


 私の頼んだ抹茶ラテは、ココアをベースに抹茶とミルクがそそがれたもので、ココアのビターなコクと抹茶のまろやかな苦みがミルクにけ合って上品な口当たりを堪能させてくれる。

 灯成ともな先輩の勝手に注文したクッキーと相性がとても良く、クッキーが抹茶ラテの苦みを上手く引き出し、今度はその抹茶ラテが逆にクッキーのあっさりとした甘みを引き立ててくれるのだ。


「おい、しい………!」


 望外ぼうがいの絶品に思わず舌鼓したづつみを打っていると、灯成ともな先輩と並び私の正面に座るすぎ先輩がぽろっ、と声を漏らす。


「このエスプレッソ……! あの店員、!」


 どうやらこれに関してはあまり深く触れない方が良いようだ。


 すぎ先輩もクッキーが気に入ったようで、全員が自分のドリンクを飲み干す前に食べきってしまった。


 その後は今度行われる中間テストは如何いかんとするかや、私が一ヶ月前までは小学生だったことから二人の小学校時代はどうだったかといった、他愛たあいのない会話が次々と進められていった。


 気付けば、BGMとして店内放送で流れる穏やかでしとやかな楽曲のクラシックも相まって、赤の他人とこうして学外の時間を共にするのもそう悪いことではないのかもしれない。と、珍しく心が浮ついているのを意識の外から感じていた。

 目の前には、いつもと変わらず閉まらない顔をしている灯成ともな先輩と、彼女の話を聞きながらカップをすすり、その口元をほころばせるすぎ先輩。


 数口ほどを残し、始めの温かさをほとんど失った抹茶ラテのカップをコルクのコースターに置き、無意識に表れかけた感情も冷たい いし で押し潰す。


「あー。おいっしかったー! ——―あふ、ふあぁわ」


 一人早くにカップを空にした灯成ともな先輩は、大きくをして欠伸あくびをする。

 周りに人が居るのを分かっていないのか、花の乙女もはじじらうような大きさに口を開いた。そのまま閉じるとのかと思いきや、あろうことか口角を広げたままで下顎したあごを前後にカクカクしだしたのだ。


「ぶふっ、ふふぉ……げっ、ごほっ! えっほ、かひゅっ……げほっ! ぉほ!!!げひゅっ、けはっ! けほっ―――!!」


 優雅ゆうがにエスプレッソをあおっていたすぎ先輩はそれを運悪く真横で目撃してしまい、最後の一口だった黒色の抽出液をき出してしまった。

 それを紙一重で何とかかわし、淑女しゅくじょからは程遠くかけ離れた所業しょぎょうした先輩の顔面に、本人から渡されていた制服の上着を叩きつける。


「何やってんですかこんな人前で! 来年には高校生になるっていう女性が大口おおぐち開けて欠伸あくびした挙句あげく、物心もつかない子供がやるような恥ずかしい行為を堂々とやらないでください! 奇行をするなら家に帰ってから鏡の前で一人でやれ!!」

「ばわっ! わっちょ、わっわっ、あーっ―――」

「かひゅ――、かひゅ――、かひゅ――、かひゅっ、ひゅ――、かひゅー…………」


 頭を丸々ブレザーで覆われた灯成ともな先輩は椅子の背もたれに勢いよくぶつかり、そのままバランスを失ってガッターン!! と椅子ごと床に倒れ落ちた。


 そしてその隣では自身の胸倉むなぐらと口元を押さえて目を見開き、必死の形相で呼吸をたもとうとしているすぎ先輩という地獄じごく絵図えずいこいの喫茶店内の一角で描かれた。


「なんだどうした。喧嘩けんかか? 何があったんだ!? ——―って、あれ? お前、もしかして三年の忽滑谷ぬかりや灯成ともなか?」

「あったたたたた………? へ? だれ……?」


 灯成ともな先輩は倒れた椅子に身を預けたままブレザーから顔を出し、自身の頭のそばで名前を呼んだ人物を見上げる。


 そこには、私の見慣れた体躯たいくの良いジャージ姿の男性が立っていた。



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