第2話 おやすみなさい

 今まで嫌いだった蒸し暑さが、あの日を境に思い出となった。


***


「あのさ、改めて聞くんだけど……魔族ってなに?」


 冴木充は質問する。つい先ほどまでは高まっていたテンションで流していたが、よく考えれば“向こうの世界”も“魔王の娘”もスルー出来る話題ではない。

「言わん。説明が面倒くさい。あいす渡してくれたら話してやる」

「急にワガママになったな!?」


 が、速攻で回答を拒否され思わず突っ込んでしまう。幼い頃から現在に至るまで非現実的な物に思いを馳せていた冴木にとって、ある程度は状況を理解できているつもりだった。


 しかしいざ本当に目の当たりにすると混乱するのも無理はなく、ソファに寝っ転がるルマと対比するかのように頭を抱えて壁にもたれ掛かった冴木。

「まあ今はいいや……とりあえずルマちゃんの寝る場所を考えよう」

「? 我は住まわせてもらってる身なのだ、ソファここで構わん」


「いやそれはだめだ。ちゃんと寝具を使ってくれ」


 「取ってくる」とだけ言い残し、リビングから続く襖の向こうに姿を消す。一人取り残されたルマは、特に何を呟くでもなく辺りを見回した。特に目立ったインテリアなどもなく、無機質ながらも趣味で飾られた人形やポスターは生活感を生み出している。

(不思議な人間がいるものだな……ふふ)


 ルマにとって、この世界に来て初めて出会った人類が“冴木充”だった。それまで伝承や言伝で聞いていた存在とは印象がまるで違う。むしろ、どこか親しみすら感じる存在。


「悪い! 探したんだけど予備の布団も無かった……」

「今日は俺がソファで寝るから、ルマちゃんはベッドを――あれ?」


 襖を開けて戻ってきた冴木の視界に、ルマの姿はない。リビングの中央に置かれていた椅子も元の場所に戻っており、言うなれば全てが“いつもの風景”になっていた。


「ルマ……?」

 呼びかけに返事はない。先ほどまでの出来事は、まさか幻覚だとでもいうのか。それとも彼女が元いた世界に消えたのか。まだ彼女の事を何も知らないのに。


「――っ!」

 居てもたっても居られなくなり、冴木は思わず駆け出してリビングを出る。アパートが故に部屋数も多くは無いため、隠れることなどできない。

「ルマ!」

 玄関から入って廊下に並ぶいくつかの扉を順に開けた。トイレ、風呂、物置、どこにもいない。最後に残った自室の扉に手を掛け、勢いよく部屋に踏み入る。



「なんだ煩いの……我の名前を叫びよってからに」


 そこに彼女はいた。ベッドに座って冴木が愛読している小説を読み、こちらを見据えて微笑んだ。

「あぁ、いや、なんでも……ない」

 何故だか急に恥ずかしくなり、先ほどまで慌てていた己の姿を思い出し再び頭を抱える。まだ出会って数十分の少女を相手に、自分はどれだけ情が湧いているのか。

「言っておくが、我がお主の家に入った時点で予備が無いのは知っていたぞ」

「先に取りに行ってしまったから伝えれんかったがな」


「それなら、猶更キミがそのベッドを――「一緒に」……使って」


「一緒に寝れば、良かろう」


 ルマの手から浮かび上がった小説は本棚にすぽりと入る。もう既に一度見ている故に驚きは少なくなっていたが、冴木にとってはある意味違う驚きが襲ってきていた。

「一緒って、俺のベッドにか?」

「それ以外ない」


 ぽてんと枕に頭を付け、毛布に包まったルマは言う。確かに彼女の体格ならばあともう一人いたとしても余裕があるかもしれないが、気になるのはそこじゃない。

 男として、この状況で首を縦に振る事が可能なのだろうか? 否、答えは――YESだった。


「ほれほれ早くせんと先に寝るぞー?」


「お邪魔します」

 冴木充にとって、“羞恥心”とは先ほどのような場面でのみ適用される。つまりは女性とのすったもんだに照れを見せるより、全てを受け入れた方が時として楽なのだ。


 対するルマも待っていたと言わんばかりに残していた毛布の大部分を渡し、二人揃ってベッドの中へ。枕一つに頭が二つ、よく見ると冴木は殆ど頭に乗せていなかったが、特に気に障っては無いらしい。

(着替えも晩飯も食わずに寝るモードに入ってしまった……ま、いいか)

「また明日になった色々考えようか、ルマちゃん」

「それ、やめられないかの」

「え?」

 冴木は部屋全体を、ルマは壁を前にして、背を向け合う二人は言葉を交わす。ベッドの傍らに設置されたランプを消した影響で真っ暗闇だったが、背中越しに感じる体温が心地よかった。


「呼び方。我のことは……その、呼び捨てで構わんよ」

「!」

 ほんの少しだけ、今までより声が上擦ってるような気がした。ルマはもうそれ以上何も言うことは無く、ただ静かな時が流れる。


「おやすみ――ルマ」


 最後に冴木が呟いた時には、聞こえる音は彼女の寝息だけだった。




「おやすみなさい。サエキ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る