家に帰ったら魔王(の娘)が居た。

羽寅

第1話 魔王の娘

 その日は、蝉の声も少なくなってきた晩夏の夜だったことを記憶している。


***


 普段よりも遅い時間にバイトを終え、ため息一つ吐きながら総菜を購入し帰路についた。貰い物の腕時計をちらりと見ればもう十時を過ぎており、飯を食べて風呂に入れば後は寝るだけだった。


「あー……つまんねぇなー」


 不意に出た独り言に自分で驚く。いくらそれが事実だったとしても、無意識に口から飛び出すというのは末期だ。思わず笑って、街灯の光に揺れる身体の影が映る。


「もうちょっと刺激的な毎日を過ごしてみたい」

 折角なら己の内から出る欲望を独り言として消化しようと思い、周りに人がいない事を確認して小さく呟いた。平凡な日々こそが何よりも幸せということを理解してない訳ではなかったが、この男――冴木 充さえき みつるはだからこそ今こうして呟く。

(明日は日曜で何にもないし、家で自堕落な生活でもするかぁ)


 幼い頃からやっていたちょっとした妄想を進めているうちに、気付けば現実でも進んでいた自分の足は自宅の前へとたどり着いていた。正確に言えば自宅ではなくアパートだが……ここには冴木しか。 


「~♪」

 とある理由から自分の部屋以外に入居者が居ない事を逆手に取り、二階に上がる階段をのぼりながら鼻歌を歌う。別に上機嫌という訳ではないものの、何だかんだ家に帰るという行為に安心感が芽生えているのは事実だった。


 204号室の扉にたどり着く。一番端っこなのはお隣さんに該当する部屋が一つだけだったから。しかし今は自分以外誰も居ないのでそんなことは関係なく、ポケットから取り出した鍵で扉を思い切り開けた。


「ただいまー!」


 後で思い返して恥ずかしくなる行動という事を薄々察していながらも、誰も居ない部屋に向かって大きく「ただいま」と言った。

「…………ははっ」


 真っ暗闇の室内に、冴木の乾いた笑いが消えていく。玄関の電気をつけ、扉に鍵を掛けると洗面所に足を運んだ。――と、ほぼ同時にリビングの方で聞こえた物音に肩を強張らせる。

「!?」


(え、今明らかに椅子を引く音したよな……)

 咄嗟に頭に浮かんだのは“泥棒”の線。可能性は少ないかもしれないが、万が一それが当たっていた場合は自分の身が危ないため、何とか身を守れる体制を取る。

(とりあえず右手に歯ブラシ持って左手に剃刀持って――)


 あまりにも気が動転し過ぎて、武器にしては弱すぎる二刀流で恐る恐る洗面所を出る。つい先ほどまでは“刺激が欲しい”と言っていた自分を呪いながら、意を決してリビンクに続く扉を勢いよく開けた。


「こ、この家には何も――「ただいま」……ない」


 冴木の目に飛び込んできたのは、部屋の中央に置かれた椅子に座った一人の少女。


「ただいま。この世界ではこれが挨拶の一種だと聞いている」


 よく見ればその椅子は少し前に雰囲気が良くて買った自分のモノであり、更によく見ればこの少女の背には翼のようなものが生えている。つまり、異常事態だ。


「は、いやちょっと待ってくれ……状況が理解できない」


 どうにか現状を把握しようとする冴木だが、考えれば考えるほど泥沼にハマる。どうやって家の中に? この子だれ? というか何で俺の家に来た? そんな思考の波に飲まれていながらも、何故だか思い出す一つの記憶。

「あ、やべアイス溶ける」


「! ……あいす、とな」


 未だ椅子から動かずにこちらの動きを伺っている様子の少女は、“アイス”という単語に反応したようだった。良く見えなかったが、垂れていた尻尾が小さく揺れている。

「は……はい。良かったら食べます? アイス……」

「あいす……うむ、お近づきの印に頂くとしようか」


 それは本来渡す側が言う台詞、と実際に口を出すのはやめてビニール袋に手を入れる。この少女が未知の存在なのは理解したが、とりあえず悪意らしきものは無いらしい。


「んー! これは美味しい、もっとあるかの」

「どうぞどうぞ」


 こうして嬉しそうに食べてる姿だけ見れば普通の少女であり、特に恐怖も無かった。少しだけ近づいて観察してみるが、どう見ても羽は身体自体にくっ付いている。

(アイス全部食われた……)

 少し露出の多い服を着ていることにもようやく気付いたが、今はそんな事どうでもよかった。彼女の正体を教えて欲しかった。



「ふう。ふぁーすとたっちは中々良かったぞ、ご馳走様」

「あ、ありがとうございます」

 何故か上から目線の少女は、どこからともなく取り出したハンカチで口元を拭きながら椅子から立ち上がる。その瞬間――空気感が変わった。


「さて、お主には突然の出来事で何が何やらだと思うが……これは頼みだ」


 今しがた食べ終わって残ったゴミが、ひとりでに浮いたかと思えばゴミ箱へと勝手に入っていく。種も仕掛けもないその現象に、冴木は無言のまま驚きを隠せない。

「我の名前はルマ。訳あってこちらの世界で暫く生活することになったのだが」


「如何せん我は人間界をよく知らない故、ここで共同生活を送りたい」


 彼女――ルマが人間でないことは明らかで、何らかの能力を使って家に入って、その理由が共同生活を送りたいから。知りたかった事の三つが明らかになったが、冴木にとって何よりも知りたいのはそこじゃなかった。


「……お前は、何者なんだ」


 本人も気づかぬ間に、敬語は無くなっていた。それはこれから共同生活を送る事を見越して、自然と心で寄り添った結果なのかもしれない。


「俺は冴木充19歳、平凡な日々を過ごしているただの人間だ!」


「ルマ=イリーアス。年齢は215。向こうの世界を支配している一族の長……」


「いわゆる魔王の娘で、次期魔王候補としてくだらん日々を過ごしている魔族だ」


 何となく察していた彼女の正体に生唾を飲み込み、目の前に差し出されていた右手を握る。これは悪魔との契約と見るか、はたまた家事当番の契約と見るか。

「お互い似た者同士だな」「うむ」


「これからよろしく、ルマ」

「こちらこそだ、サエキ」


 それは彼らが決めるだろう。

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