第9話 Run away(1)

 目が覚めた時、世界が変わっていたらどう思うだろうか。

 昨日までの日常が非日常に変わり、すべての生活が一変する。

 街にはゾンビが溢れかえり、人々はゾンビの影におびえて暮らす。

 次第に食料は無くなっていき、どうすることも出来なくなった人々は街に出ることにした。

 しかし、そこに溢れかえっているのはゾンビたちである。

 ゾンビたちも腹を空かせていた。

 人々は大きな犠牲を払いながらも、何とか食料が貯蔵されている巨大スーパーマーケットへと辿りつく。

 そこには生存者たちが集まっており、バリケードを設置してゾンビたちから身を守っていた。


「なんか、現実的じゃないのよね。この作品」


 そう言って玲奈れいなは読んでいた脚本をテーブルの上に置いた。

 学校の図書室だった。図書室にいるのは、ショートボブで凛々しい眉が特徴的な玲奈と長い黒髪を後ろで結ってポニーテールにしたひびきだけであり、他には誰もいなかった。

 ふたりは放課後の図書室に忍び込んでいた。本来であれば施錠されているはずの図書室であり、学校司書か図書委員でなければ図書室の鍵は持っていないはずなのだが、なぜか玲奈は図書室の鍵を持っていたのだった。


「その物語以上の現実が起きちゃっているからね、仕方ないよ」


「そう。そうなんだよ。わかるかね、ひびきクン。この世のエンタメは現実によって奪われてしまったのだ」


 玲奈はそう言うと、勢いよく机に平手を叩きつける。

 あまりにもその音が大きかったため、隣にいた響はびくっと身体を硬直させた。


 世界は、ゾンビではなくデッドマン・ウイルスに感染した人々が溢れていた。

 デッドマン・ウイルス。それは人を凶暴化させ、人が人を喰らうようになるウイルスだった。ある学者は、これをカニバリズム・ウイルスと呼び、世界中で波紋を呼んでいた。

 一時はこのデッドマン・ウイルスによって人類は滅亡するのではないかと言われたりもしたが、製薬会社であるペンタグラム社の開発した抗デッドマン・ウイルス薬によって、その危機は逃れることが出来た。

 だが、それも束の間の安息に過ぎなかった。


 デッドマン・ウイルスは進化していた。抗デッドマン・ウイルス薬の効かない亜種ウイルスが誕生し、再び地上にデッドマンたちを発生させたのだ。

 以前のようにデッドマンの頭を吹き飛ばして鎮圧するという方法を警察は取れなくなっていた。なぜなら、治療薬の登場によって、デッドマン・ウイルスに感染し、デッドマン化した人間であっても治療薬の投与によって元に戻れるかもしれないという希望があるためだ。治療によって戻る可能性のある人間を殺すわけにはいかない。そのため、以前までは許可されていた警察によるデッドマンに対する銃火器の使用は禁止され、警察はデッドマンの前では無力化されてしまったのだった。


 そこで登場したのが、抗デッドマン・ウイルス薬の生みの親でもあるペンタグラム社の武装警備組織、PSSである。PSSはデッドマン・ウイルス感染者の捕獲および治療を目的とした銃火器の所持、使用を国から認められた特殊な警備会社であった。

 PSSはデッドマン・ウイルス感染者捕獲作戦を実行し、多くのデッドマン・ウイルス感染者たちをペンタグラム社の所有するデッドマン・ウイルス感染者専門病院へと入院させることに成功した。

 しかし、その一方でPSSにも敵対する組織がいた。反ワクチン団体である。元は抗デッドマン・ウイルス薬を投与されたことによって死亡した人の遺族で作られた団体であったが、いまはその影もなく、ただの武装過激派集団と化している。彼らはどこからか手に入れた銃火器で武装し、ペンタグラム社のワクチン接種会場などを襲撃したり、PSSの車両を奪ったりと暴徒化していた。

 世の中は、デッドマン、PSS、反ワクチン団体の三つ巴の争いとなり、それに一般市民たちが巻き込まれて行く形となっていた。


 先日も、ペンタグラム社の病院が武装過激派・反ワクチン団体に襲撃されて、入院患者の半数以上が殺害されたというニュースをやっていたばかりである。

 そんなニュースなどを毎日のように見てると、ゾンビ映画の脚本などは非現実的なファンタジー物語にしか思えなくなってしまうのだ。


「そもそも、ゾンビたちに襲われそうになったからって、大型スーパーマーケットへ行くっていうのが、ナンセンスなのよね」

「え、なんで? 大型スーパーなら食料もあるし、色々と武器になるものもあるんじゃないの」


 玲奈の発言に対して、響が反論をする。


「チッチッチ。その考えが甘いのよ、響ちゃん。人が大勢集まるところには、絶対に感染者もいるわけでしょ」

「まあ、そうだけど」


 納得がいかないといった様子で、唇を尖らせながら響がいう。


「デッドマン・ウイルスが感染爆発した時に、人の多いところは避けましょうみたいなアナウンスを政府がしていたでしょ。大型スーパーなんて、まさにそれだよ。あんなところに行ったら感染者だらけだって」

「じゃあ、食料はどうしたらいいの?」

「自給自足」


 玲奈が胸を張って答える。


「それは長い時間をかけた場合の話でしょ。すぐに食料が手に入らないとダメじゃない。お腹が空いているのは今なんだし。ナウ、なんだよ」

「うぐぐぐ」


 響の反論に、玲奈はまさにぐうの音も出ない状態となっていた。


「まずは手っ取り早く食料を手に入れる必要があるの。だから、大型スーパーに閉じこもる。そこで、なんとかゾンビたちを駆逐くちくして、食料と武器、燃料を手に入れる。屋上では野菜を育てて、長期戦に備えた準備を整えるってわけよ」

「そう簡単に行くかな?」

「やるしか無いのよ、玲奈。指を咥えて見ている間に、ゾンビたちは次々と襲いかかってくるんだから」

「そ、そうね……。でも、これは相手がゾンビだから通用する手段よね。現実問題、デッドマンが相手だったらどうかな」

「デッドマンか……」


 響は頭を抱え込むような仕草を見せた。

 現実、この世界にはデッドマンが溢れかえっていた。そして、デッドマンよりも厄介な武装反ワク団体や武装警備会社PSSなんかもいるわけだ。反ワクやPSSは共にデッドマンたちを狩る。しかし、その両者が出くわせば銃撃戦がはじまったりするからたちが悪い。いまや警察なんかは役立たずであり、反ワクやPSSには手を出せないでいるのが現状だった。


「あ、こんなところにいた。あなたたち、もう帰宅しなさい」


 図書室に入ってきたのは、学校司書の石川先生だった。石川先生はここ数日、風邪を引いて休んでおり、きょう復帰したばかりであった。

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