第10話 Run away(2)

「ヤバいよ、響。逃げる準備をして」

「え? なんで?」

「石川ちゃん、感染してる」

「え?」


 玲奈の言葉に響が石川先生の方を見ると、石川先生のしているマスクは赤く染まっており、目からは血の涙を流していた。


「あれは、亜種だね」


 そう言ったと同時に玲奈は図書室の机の上に飛び乗り、隣の机へと飛び移った。


「と、と、と、しょしつでは、しずかにぃぃぃっぃぃ」


 石川先生が言葉にならない声を叫ぶ。

 デッドマンは亜種と呼ばれるウイルスが発生してからは、進化を遂げていた。デッドマンウイルスに感染すると脳がやられて知性を失うとされていたのだが、亜種の場合はその進行が遅いのか妙な言葉を叫んだり、人としての感情が残っていたりするのだった。

 だが、亜種であってもデッドマンには変わりない。カニバリズム・ウイルスと呼ばれるように、感染者は非感染者を襲うのだ。


「響っ、急いで」


 机から机へと飛び移るのに手間取っている響に玲奈が声をかける。

 その声に反応して、石川先生は玲奈の方へと向かってきた。

 ゾンビとデッドマンの違い。それは運動神経。映画に出てくるゾンビたちはゆっくりと歩くイメージが強いが、デッドマンは運動神経が落ちるわけではない。感染者の運動神経はそのまま動くのだ。

 石川先生が玲奈の足を掴もうとした時、玲奈は近くにあった本棚へと手をかけた。次の瞬間、分厚い本が本棚から落下して石川先生の顔面に直撃した。広辞苑だった。

 鈍い音がした。石川先生の顔の中央部が凹むのが見えた。

 石川先生はそのまま仰向けに倒れて、動かなくなった。

 死因、広辞苑。学校司書としては、最高の死に方だろう。

 そんなことを思いながら、玲奈と響は図書室を脱出した。


 図書室を出た玲奈と響は、とりあえず自分たちの教室へと向かうことにした。

 すでに夕方になっており、ほとんどの生徒は帰宅している。


「やばいよ、玲奈」

「なにが?」

「東京都に非常事態宣言発令だって。都民は屋内に退避するようにって出ているよ」

「マジで?」


 響が玲奈にスマートフォンの画面を見せる。

 そこには、動画サイトで緊急記者会見を開いている東京都知事の姿が映し出されていた。

 玲奈は自分のスマホを確認しようとカバンから取り出す。

 電池の残量15%。なんで、こんなに電池がなくなっているわけ。玲奈が画面を操作して確認をしてみると、そこには無数の着信履歴が残されていた。


「なんか、嫌な予感」


 玲奈はそう呟きながら折り返しの電話を掛けてみる。


「もしもし、玲奈さん。無事? 大丈夫? 何ともない?」


 電話の相手は出るなり、捲し立てるように言った。


「え……まあ……」

「良かったー。心配したのよ。いま、どこ」

「学校ですけれど」

「わかった。迎えに行くから待ってて」

「あ、響も一緒に」

「大丈夫」

「……あの」


 玲奈がそう言いかけた時には、すでに電話が切れていた。

 電話の相手は父親の知り合いの女性だった。小鳥明菜。小鳥いわく、小鳥は父の弟子なのだそうだ。父の仕事関係から私生活まで色々と面倒を見てくれている人だった。

 ただ、いま父は行方不明である。


「誰だった?」

「小鳥ちゃんだった」

「ああ。なるほど、また過保護が発動したわけね」


 響は含み笑いをしながら言う。玲奈と小鳥の関係を響は良く知っているのだ。


「車で迎えに来てくれるらしいから、一緒に帰ろう」

「いいけど、あの人の運転って絶対に酔うんだよね」

「それ、わたしも」


 ふたりはそう言って笑いあった。

 すぐ近くに感染したデッドマンがいるということも知らずに。

 その感染者は、男子生徒だった。

 成績優秀、スポーツ万能、イケメンの三拍子が揃った彼は、女子生徒たちから王子様などと呼ばれてもてはやされていたが、いまはその見る影もなく、デッドマンと化していた。

 王子様は、まず最初に近くにいた親衛隊と称する女子生徒の首元へと噛み付いた。何を勘違いしたのか、噛みつかれた女子生徒は赤面して「死んでもいい」と思った。

 王子様はその女子生徒の頸動脈を噛みちぎり、返り血を浴びながら次々とクラスメイトたちに襲いかかっていった。

 そんなことが起きているとも知らずに教室へと戻ってきた玲奈と響は、部屋の中に充満する血なまぐさい臭いに顔をしかめた。


「響……」

「玲奈……」


 同時にお互いの名前を呼んだ時、目の前に血まみれの王子が姿を表した。

 この時の光景を見た玲奈たちのクラスメイトである佐藤タツオは後にこう語っている。


「格闘技好きな僕ですが、あんなにキレイなハイキックを見たのは最初で最後ですよ」


 その言葉の通り、絵に描いたようなキレイなハイキックだった。

 響の右上段回し蹴りと玲奈の左上段回し蹴りが同時に繰り出され、二人の足に挟まれるようにして王子の顔が潰された。

 ダブルハイキック。ふたりの息がぴったりでなければ成し得ない技だった。

 両方から挟まれるように蹴りを受けたため、王子の顔はどこにも衝撃を逃がすことができずに潰されることとなった。

 そして、脳が揺さぶられ、王子は昏倒した。

 王子が倒れたのを見届けると、玲奈と響は自分の席からカバンを回収して教室を出た。教室の中には王子以外の生徒たちがデッドマン化しており、長居するには危険すぎた。

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