ピスタチオ
🔴その男性はいつもおびえていました。
仮にAさんとしましましょう。
Aさんのおびえっぷりは尋常ではありません。
なんというか、24時間おびえているのです。
本当に、24時間。
例えば、歩くとき。
1分ごとに振り返っては、辺りをキョロキョロ見回します。
まるで多額の借金があり、非合法の借金取りにでも追われているというふうに。
そうかと思えば、駅のホームで電車を待つとき。
常に線路から離れたところに立ちます。
誰かに突き落とされはしまいかと、心配しているというふうに。
電車に乗りこむときも、おかしな行動をとります。
ドアが閉まる直前に飛び乗るのです。
要は、目の前の電車に乗るかどうかギリギリまで判断を遅らせ、尾行者を混乱させようとしているふうに、私には見えます。
Aさんのそんな行動を不思議に思い、私はときどき笑っていました。
あるときなど面と向かって、こう言ったこともあります。
「Aさん、なにをそんなにオドオドしてるんです? 尾行者なんて、どこにもいませんよ。まるで国家機密を握ってるスパイが、暗殺者から逃げ回っているような警戒ぶりじゃないですか」
しかしAさんは、私に対してもおびえた目を向けるだけで、事情を説明しようとはしませんでした。
ただ、こんなことを言いました。
「きみは平気な顔をしてるけど、この世は悪魔だらけなんだよ。もし自分が命よりも大事なものを持ってると思ってごらん。いくら心配しても、しすぎることはないんだ」
『悪魔』『命よりも大事』などという大げさな言葉が出てきたので、私は思わず吹き出してしまいました。
もっとくわしく聞こうとしたのですが、Aさんはそれ以上、話してはくれませんでした。
しかし、それからしばらくして、私はAさんの秘密をつかんだのです。
ファミレスでランチしているときでした。
Aさんがコソコソと自分のカバンをあさっていました。
そして、黒い布に包まれたものを取り出して、ホッとしたような表情を見せたのです。
ピンときた私は、あえて何も言いませんでした。
その代わり、彼がカバンをおいてドリンクバーへ行った隙に、黒い布に包まれたものを抜きとりました。
布を開けると、小石が出てきました。
なにやら緑色の石で、赤い筋が入っています。
変わった模様だといえばそうですが、特に高価だとは思えません。
とはいえ、私は小石をポケットに突っ込み、代わりにテーブルに上にあったピスタチオを先ほどの黒い布に包んで、大急ぎでカバンへ戻しました。
ラッキーでした。
Aさんはトイレに行くときはカバンを持っていくのですが、目に見える範囲にあるドリンクバーなら大丈夫と考えたのでしょう。
その隙にAさんの秘密をつかんだのです。
私は何食わぬ顔で、テーブルの上のピスタチオの殻を剥き、口へ放り込みました。
その瞬間からです。
私の全身に悪寒のようなものが走りました。
そのうちドリンクバーからAさんが戻ってきて、私の前に座りました。
と、不思議なことが起こります。
Aさんの顔が変形しているのです。
目は吊り上がり、鼻は尖り、口には牙が生えています。
どうしたんでしょうか?
私があっけにとられていると、驚くことに、Aさんはピンク色のよだれを垂らしながら言ったのです。
「ありがとう。やっと呪いが解けたよ。あの石は『ブラッドストーン』と言ってね。由来はよく知らないが、一説によると、十字架にかけられたイエス・キリストの血が垂れたものだと言われている」
憑きものが落ちたようなスッキリした顔で続けます。
「今、オレの顔が悪魔に見えてるんじゃないのかい? あの石のせいさ」
Aさんは気分がいいのでしょう、これまでの寡黙っぷりがウソのように、ペラペラと話してくれました。
あの石を持っていると、周りの人間すべてが悪魔に見えて、日常生活が破壊されたこと。
車に轢かれたり、身内に不幸があったりと、運に見放されること。
あの石の所有者が変われば、元に戻れる。
ただし、あげたり、捨てたりしてはダメ。
盗まれなくてはならない。
実際、Aさんは何度も捨てたにもかかわらず、翌朝になると、枕元に戻ってきていた……
Aさんの話を苦々しい思いで聞いている最中にも、ファミレスの店員が私の足を踏んづけていきます。
そして気づいたのです。
Aさんが芝居を打っていたことに。
つまり、こういう筋書きです。
ブラッドストーンを秘密めかして持っていれば、いずれ誰かが関心を寄せる。
何十人かが興味を持てば、そのうち1人くらいは盗もうと考える間抜けが出てくるかもしれない、と。
その間抜けこそ、この私だったのです。
私はあの「不運」な日からずっと、秘密めかした行動をとるようにしています。
誰かから追われているようにキョロキョロ見回し、電車に飛び乗り、まるで大事なものが入っているかのように、コソコソとカバンを隠すのです。
こうしていれば、いつかどこかのバカが引っかかってくるはず。
そう、45年前の私のように。
今、私にはあなたの顔が悪魔に見えているんですよ。
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