事故物件
🔴10年前の話です。
山本耕司さんは大学進学のため、18歳で田舎から東京へ出てきたのですが、アパート探しで大変苦労しました。
入学式直前の3月後半という時期も悪かったのでしょう。
良い条件の物件がなかったのです。
家賃が予算オーバーだったり、広さが3畳しかなかったり、安いけれども風呂トイレ共同だったり。
悪条件ばかりのリストを見せられ、困り果てている耕司さんへ、不動産屋の担当者さんが言いました。
「男性だから言うのですが、試しに事故物件を見てみます? そりゃ安いですよ」
聞けば、それまで見てきた物件の相場より、3万円以上家賃が安く、広さも十分なアパートでした。
念のため内見させてほしいと頼んだところ、1人で行ってくださいと、地図と鍵を渡されました。
担当者さんは、近よりたくないんだそうです。
あまりに怖がるので、どんな「事故」があったか聞いてみました。
いわく、「前に住んでたのは女の人だったんですが、部屋で首を吊りましてね」
くわしい話は担当者さんも知らないようでした。
場所はその不動産屋から歩いて10分ほど。
なんの変哲もない、白塗りの綺麗なアパートでした。
2階建てで、それぞれの階に3部屋ずつ。
全部で6部屋。
「事故物件」は103号室です。
鍵を使ってドアを開けました。
ガランとして、ほんのり化学的な臭いがします。
きっと床板から壁紙まで、すべて張り替えたせいでしょう。
許可をもらっていたので、中へ入ってみました。
玄関を上がってすぐに風呂があります。
風呂トイレ別ではなくユニットバスですが、割と広めタイプ。
リビングへ入ってみます。
8畳ほどでしょうか、なかなか広々としています。
壁紙は、清潔感のありそうな白色。
床は、焦げ茶のフローリングです。
部屋の南側にある大きな窓を開けました。
残念ながら、目の前は壁でした。
このアパートの隣も、似たようなアパートで、建物同士の距離が10センチほどしかなかったのです。
つまり、日当たりは最悪。
しかし、その1点をのぞけば、不満はありません。
むしろ「窓を開けたら壁」くらいの方が、カーテンはいらないし、10センチの隙間では人は通れませんから、泥棒の心配をしなくてすみます。
そう思った耕司さんは、ここに住むことにしました。
これから花の東京生活が始まるのです。
さまざまな出会いもあるでしょう。
一生に一度しかない大学生活なのに、まさか3畳風呂なしのボロアパートで過ごすわけにはいきません。
引っ越してみると、意外に快適でした。
駅から少し遠いのが難点ですが、周りは静かだし、近くにコンビニもあります。
耕司さんは大学で、博物館巡りサークルと映画研究会に入りました。
両方とも、趣味の合うメンバーが多くて、すぐに溶けこむことができました。
徐々に友達もでき、夜遅くまで居酒屋でおしゃべりしたり。
こんな毎日がずっと続けばいいな。
そんなふうに感じていた、ある夜。
飲み会から帰った耕司さんが、シャワーも浴びずベッドへ横になって、寝ていたときです。
ふと目が覚めました。
酔いはほとんど残っていません。
そういえばシャワーを浴びてなかったなと思い、起き上がろうとしました。
なぜか体が動きません。
動かないというより、力が入らないのです。
首から下の感覚が、まるでありません。
なんとか首だけ横へ向けることができました。
部屋の隅に、なにかがいました。
最初はわからなかったのですが、よく見ると、緑色のワンピースを着た女性がうずくまっています。
背中の肩あたりを爪でひっかいています。
叫ぼうとしました。
しかし、のどがつまって、声が出ません。
と、その女性がゆっくり振り返りました。
本能的な恐怖からでしょうか、相手の目を見たらヤバいと思い、急いで目をつむりました。
1分……
2分……
3分……
なにも聞こえません。
なにも見えません。
何時間たったのか、かすかな光の気配をまぶたに感じ、そおっと目を開けました。
窓の外がうっすら明るくなりかけています。
女性は消えていました。
よかった。
そう思った瞬間。
窓のすぐ外に女性がいました。
幅10センチしかない、隣のアパートとの隙間に立っています。
窓に顔をくっつけ、耕司さんを見ていました。
目が合ったのでしょう。
吸いよせられるように、耕司さんは窓ガラスへ突っ込んでいました。
ガシャンという割れる音がしたときには、もう気を失っていました。
目覚めたのは、10時間後。
病院でした。
ガラスの割れる音で隣の部屋の住人が気づいて、救急車を呼んでくれたそうです。
幸い、切り傷だけで済みましたが、それでも36針縫う大ケガでした。
退院するなり、引っ越したのは言うまでもありません。
あれは本当にあった出来事でしょうか?
夢だった気もするのですが、頬に走る10センチの傷跡を鏡で見るたびに、現実だったのだと思い知らされるのです。
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