吸血鬼




🔴これは昔々の、吸血鬼がいた時代の話。


ある街道の途中に、塔がありました。


宿場町と宿場町との中間にあり、ちょうどよい休憩場所になりそう。


実際、貨物を馬車に積んだ商人たちや旅芸人一座が、ひとときの安らぎを求めて扉をたたいたものです。


しかし、妙な噂がありました。


休憩させてもらおうと塔に寄り、主人夫婦の歓待を受け、2、3時間後、「さあ、おいとましょうか」となると、必ず誰か1人か2人、消えているのです。


一行のメンバーたちは、辺りを探し回ったり、大声で呼んだりしますが、どこにも見当たりません。


「きっとそこらで休んでいるんでしょう。『おつれの方たちはもう出発しましたよ。次の宿場町で合流なさい』と言っておきます」


そんなふうに塔の主人に言われ、一行は頭をかしげながらも出発します。


しかし、二度と合流できません。


それもそのはず。


塔の主人夫婦は、吸血鬼なのですから。


いや、正確に言うと、妻が吸血鬼で、夫はまだ人間。


さかのぼること20年前。


夫婦でスカンジナビア半島へ旅行へ行ったときのこと。


断崖絶壁の崖の上で、荒れ狂う海を眺めた夜。


旅館へ帰る道の途中、妻の方が野生の吸血鬼に咬まれたのです。


夫は持っていた小銃をブッ放しましたが、手遅れでした。


数時間後、妻は狂ったように人間の血を求めだしたのです。


仕方なく夫は、旅館の隣部屋に泊まっていたイギリス人貴族を、「寝る前にワインをご一緒しませんか?」という誘い文句で招き入れ、妻に咬ませました。


翌日は、下の階に泊まっていた会計士を狙おうとしたのですが、前日のイギリス人貴族が吸血鬼に変わって暴れ出したので、ほうほうのていで帰国する羽目に。


それから20年。


人間と吸血鬼という奇妙な夫婦。


もともと2人は同じ村の出身。


結婚したときは、美男美女カップルともてはやされ、村中の祝福を受けたものです。


亡くなった親戚の遺産として、由緒ある塔をゆずり受ける幸運にも恵まれ、いずれ子供が生まれたら、にぎやかな家庭を作ろうと考えていた矢先の悲劇でした。


妻はまだ人間としての理性が残っているのか、あるいは夫を人間のままにしておく方が得だと考えているのか、夫に咬みつこうとはしません。


確かに、その方が好都合でした。


吸血鬼になってしまうと日光は浴びられないし、やはり普通の人間とは様子が違います。


目の血走り具合が尋常でないので、すぐバレるのです。


そんなわけで、旅行者を塔へ招き入れるのは、夫の役目でした。


キーとなるのは、睡眠薬入りの紅茶。


獲物が飲んだら、あとは激しい罪悪感にさいなまれつつも、妻の部屋へ導くだけ。


これは愛だったのでしょうか。


以前とは、なにもかもが変わってしまいました。


もう子供は望めません。


妻が旅行者の血をすすっている横で、パンをかじらなければなりません。


不老不死の力を手に入れた妻は、20代の美しさを保ったまま。


一方、かつて同じく美貌を誇ったはずの自分は、年々シワが寄り、頭髪はうすくなり、足も弱りがち。


殺す方法はわかっていました。


吸血鬼が眠っているときに、ポプラの木でできた杭を心臓へ打ち込み、首を切断すれば、二度と動かなくなるのです。


何度か、そうしようと考えたことはありました。


一度などは、ポプラの木の杭を手に入れ、心臓に打ち込んだことさえあるのです。


ただそのとき、ふと見ると妻は目を開けていました。


杭へ懸命にハンマーを振り下ろす夫を、抵抗もせず、食い入るように見つめていたのです。


その目は血走りながらも、恋する少女のそれと同じでした。


甘く、うるんで、動かない。


夫は黙って杭を引き抜きました。


人間のくせに吸血鬼の片棒をかつぐのか。


何人の旅人を犠牲にすればいいのか。


罪の意識に引き裂かれつつ、地獄への坂を一歩、また一歩と下りるしかないのか。


そんな絶望が、夫の心から離れなくなった頃。


とうとう2つの宿場町が合同で、吸血鬼討伐隊を結成しました。


これまでの「悪事」がバレたのです。


昼間、吸血鬼が眠る時間を見計らって、総勢20人の屈強な男たちが塔を取り囲みました。


樫の木でできた扉といえども、10人の男がかかえる丸太に突進されたらひとたまりもありません。


どやどやと侵入してくる討伐隊を、夫は最上階へつながる階段の途中で待ちかまえました。


そして数発の弾丸を発射したときです。


気づいたら、妻が夫を飛び越え、男たちへ飛びかかっていました。


階段部は狭く、窓はすべて板でふさいがれています。


地の利をいかした妻の襲撃は、討伐隊を恐怖の渦へおとしいれたようでした。


しかし。


1発の銃弾が夫の胸をつらぬきます。


真っ赤に染まったシャツを見れば、致命傷なのは明らか。


ほんのかすかな夫の叫びを聞きとったのか、全身に血を浴びた妻が戻ってきました。


階段で倒れている夫を抱きかかえます。


夫は自分がまもなく死ぬとわかっていました。


かすれる目で最愛の妻を見上げます。


「すまない……先に地獄で待ってるよ……今までありが……」


最後まで言い終えないうちに、妻はこう言いました。


「いいえ。あなたは吸血鬼としてよみがえり、地上で私と暮らすのよ。永遠に……」


そして、夫の首に咬みついたのでした。







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