第58話 気絶させてください
「どういうこと?」
楚我鋳鹿は、1400年の間、帝国で最も忌避される人物の名前だ。世間では、勢力をつけ過ぎ、皇家をないがしろにし、皇帝に成り代わって帝国を牛耳ろうとした男が、後に皇帝になった皇子と、その忠臣によって討伐されたと流布されている。
ところが、一部の公家に口伝で伝えられている真相は、更に闇を孕んでいて、彼の男は、絶対に手を染めてはいけない蛮行を繰り返していたというものだ。
鋳鹿は、
皇帝になるために、己の魔力を高めようと、周りにいた弱い魔力持ちを次々に喰らっていった。最後は、父の毛人も距離を置くほどで、その父でさえも襲撃しようとしたそうだ。
生贄と言うおぞましい言葉とともに、存在そのものが禁忌となった男の名前が出てきたことに、心臓がばくばくする。
「鋳鹿に生贄を捧げて、どうするの?」
「あの男の死霊でも呼び出すんじゃないか」
鋳鹿の名前が出ると、帝国では、何か猟奇性のあるものを繋げてしまう。そのせいで、麻生も、その裏にいた高博士も、当初は、赤ん坊だった明楽君を使って、鋳鹿の死霊を受肉しようとしたと思われていた。実際は、黒幕は牛鬼だったが。
「復讐だろうな。皇帝と皇族でも弑逆するんじゃないか」
父様が、こともなげに恐ろしいことを言う。
「皇帝や公家、帝国の体制に不満を持っている者達は、昔から鋳鹿を神のごとく崇めるんですよ。邪神教です。曙光の歴史の中で、楚我は、唯一、政権を簒奪しようとした一族ですし、鋳鹿の狂気は、似たような闇を抱えるものには、魅かれるものがあるんでしょう」
賀茂保憲氏が、淡々と説明を続けた。
「今回のことは、その心に闇を抱えた者が、オレンジ侯爵だったり、もっと黒い魔力を持っている者だったり、鞍作一族だってこと?」
「恐らく」
それまで静かに、賀茂氏の話を聞いていたお祖父さまが、峰守お爺様に訊ねた。
「鞍作一族は利用されているだけのような気もするがな。峰守、南条と芳野で、鞍作本家に行った感じはどうだった?」
「うん。私も、なー君寄りの意見だな。うちの南都の外れにある別荘、元は、南条家のものなんだけど、あれをずっと管理してくれていたのが鞍作本家なんだよね。それで、今回、明楽の教育のために、西都に住むことになったから、南条に別荘を返す予定があることを伝えに来た、みたいな名目で季利さんを訪ねたんだけどね。何か、感じが変わっちゃったなぁって思ったね。私達と同世代なはずなのに、ずいぶんお爺さんになっちゃったなぁ、みたいな」
「お前は童顔だし、魔力持ちの老化は、体よりも魔力器官に影響されるからな、季利と比べるのはどうかと思うがな」
「それは分かっているんだけど、彼も魔力は持ってるしね。年齢で、というよりは、心労で酷く疲れ切ったような感じなんだよね。佳比古くんは、地下倉庫のことがバレたのかと怯えているからじゃないかって言ってたね。南条は、篤子の実家だから、南都の家のことで小野と一緒に行動している理由は成立しているけど、彼らも馬鹿じゃないからね。小野が嘉承の元にいるのは知っていると思うんだよ。その小野が、突然、嘉承の側近の南条と現れたら、構えるよね」
「そこは、お前と南条の口の上手さで乗り切れよ。その為の人選だろうが」
「いや、なー君、うちと南条を詐欺師みたいに言わないでよ。まぁ、でも頑張って話を聞いてきたよ。鞍作一族が、季利さんを見張っているというのが、私たちの一致した見解だよ。常に誰かの目があった。私たちを、季利さん一人で会わせないみたいな作為を感じたね。それで、私と佳比古くんが喋っている間に、織比古くんが【遠見】を飛ばして、鞍作本家を探ろうとしたんだけど、弾かれたんだよ。織比古くんの魔力を弾ける、普通?」
南条の織比古おじさまは、東条の享護おじさまには負けるけど、嘉承の側近の一角を担うだけあって、帝国でも、五指に入る魔力量と制御を誇る魔力持ちだ。ただの都のスケコマシじゃない。その【遠見】を弾くのは、膨大な魔力による結界だ。
「闇の魔力に反応したんだって」
「牧田の話では、梅園の魔力は、確実に享護より小さかったんだが、相性が悪かったな。油断もあったんだろう。織比古も同じだ。風は闇と相性が悪いというのは常識だ。油断すると自分よりも弱い魔力持ちに流される。火か水なら、何とかなるんだがな。ああ、なるほど。それで、闇と相性のいい土の家の鞍作が隠れ蓑にされているのかもな」
「梅園侯爵は、斑鳩にいたでしょ。敦ちゃんじゃあるまいし、斑鳩と芳野で魔力を同時展開なんてありえない。梅園侯爵以外にも、確実に強い魔力持ちが鞍作の後ろにいるよね」
お祖父さまと峰守お爺様の言葉に、私が頷くと、ヤモリ君もこくこくと体の半分を使って大きく頷いた。
「プレーリーの兄弟が、梅園侯爵よりも強い闇の魔力持ちを確認しているよ。トーリ君の家を監視してたって。ね、ヤモリ君」
「はい。外にいるのに、家の中にいる私が気絶するくらいに濃い魔力でした。実は、気絶しているところを、あの人間に見つかって、介抱してもらって。えーと、それから、ご飯とかお菓子をもらっていたというか・・・」
ヤモリ君が、ちらちらと私の顔色をうかがう。もう、いいよ。ちゃんと反省してくれているんなら私もガミガミは言わないよ。
「家の中にいるイモリが気絶しそうなくらいの魔力というのは、どれくらいなんだ、牧田?」
お祖父さまの質問に、牧田が首を傾げた。お祖父さま、イモリじゃなくて、ヤモリ君だから。
「そんな雑魚の妖力なぞ分かりかねますが、若様の【風壁】を解いて実験すれば良いのでは?幸い、ここには、色んな魔力量の魔力持ちが集っていることですし」
牧田の言葉に、ヤモリ君が、私に飛びついた。黒い大きな目には涙が滲んでいる。
「牧田、ダメだよ。そんなことをしたら、ヤモリ君が死んじゃうよ」
慌ててヤモリ君を胸のポケットに匿う。
「なら、喜代水から、あの毛玉どもを捕まえてきましょう。あれなら、無限に増えますから、一、二匹死んでも問題は・・・」
「あるから。プレーリーの小僧さん達は、私の友達だから」
間髪を入れずに抗議をしたはずが、牧田はもう目の前にいなかった。え?
次の瞬間、両手に二匹ずつプレーリードッグを掴んだ牧田が現れた。ぽんっと床の上に転がされたプレーリーの兄弟たちは、完全に気絶していて、それを私のポケットから見ていたヤモリ君もショックで気絶した。牧田、仕事が早すぎるって・・・。
「牧田、手荒なことは止めてね。皆、私の友達なんだから」
「何もしていませんよ。彼らは私が近くにいると、勝手に気絶するんです」
まぁ、そうかもしれないけどさ。
「ふー、せっかくだから、ちょっと実験させてもらおう。相手の魔力の大きさを知るのは、良い手だと思うぞ。闇が相手なだけにな。敦人が下手に動くと南都が壊滅する」
やっぱりそうか。この家、七歳児に容赦がないと思っていたんだよ。去年の内裏の牛鬼の変だって、父様は魔力切れだからと言われて、私が牛鬼を片付ける羽目になった。確かに魔力は減っていたようだけど、あの時、父様の魔力は切れてはいなかった。生まれる前から知っている魔力だからね、私には自分の魔力のように分かるよ。
「お祖父さま、それは、その、また私が悪いやつの相手をするということですか?」
あははははは、と悪い大人達の乾いた笑いが食堂に響いた。鬼がいる、悪魔がいる、魔王もいるよ。
「悪いな、嫡男。お前くらいの魔力量が、一番、使い勝手がいいんだよな」
冥府の大魔王が、にやりと笑った。どうやら、西都には、児童保護法はないらしい。もう、私も気絶したいよ。
「ふー、それにな、本当に闇の魔力持ちが、あの男の狂信者なら、皇帝や皇族と同じくらいに狙われるのは、お前だと思うぞ」
いやいやいや、何で私?何がどうなったら、私を狙うの?おかしいから、それ。鋳鹿を討ったのは、やんごとないお父様だよね。
「私は、不比人で、不比等じゃないし。不比等は、楚我一族が殲滅された時には、まだまだ小さい子供だったよ。全然、無実。もう全く、一切、関係ないから。恨むんなら、不比等のお父様でしょ。フヒト繋がりとか、四属性繋がりで、不当に私を狙うんなら、その前に父様を狙うべきだよ。その方が妥当だよ」
「ここで俺に力説されてもなぁ」
面白そうに笑う父様を思いっきり睨む。笑いごとじゃないよ。
「だから、父様は、私の前に狙われないと順番がおかしいんだってば。向こうから見れば、父様は、フヒトの父親なんだから。フヒトは、無実だからね。巻き込まないでよ」
ほとんど、ヒステリー状態で、父様に不満をぶつけると、牧田が冷静な声で大爆弾を落とした。
「若様、そもそも、不比等様のお父様が、あの外道とその一族を討伐したのは、不比等様を狙ったからですよ。お父様は、よく言えば平和主義、そのままで言うと面倒くさがりな方だったのですが、楚我が、唯一の逆鱗に触れたんです」
面倒くさがりは、嘉承のDNAだったのか。1400年経っても、まだ脈々と流れる由緒正しい面倒くさがり。何だよ、それ。
「何で、不比等が狙われたの?」
「四属性を食べれば、魔力を上げるのに効率がいいと思ったからです」
うげっ。瞬間、かりっと焼かれた子豚の丸焼きが脳裏に浮かんだ。いやいやいや、勘弁してよ。私は脂肪だらけで美味しくないから。
「四属性に加えて、不比等様の周りには、赤さまの頃から、妖がごまんといましたからね。その肉を喰らえば、妖を手下に出来るとも考えたようです。それで、お父様が、鋳鹿を阻止しようと楚我に討ち入ったんですよ」
牧田の言葉は、推測や想像ではない。歴史を見た者が語る真実だ。誰の言葉よりも重い。
「そもそも、楚我は、土の魔力持ちの家だったんですが、鋳鹿の母が、曙光一族の闇の力の元となった古い一族の出身だったのですよ。彼は、闇と土の二属性で、生まれた時は、それほど強い魔力を持っていませんでした」
普段、あまり多くを語ることがない牧田に、霊泉先生が少年のように目を輝かせていた。先生も、ブレない方だよね。
「不比等様のお父様の方が、確実に本来の魔力は大きく強かったんです。風が闇と相性が悪いとはいえ、彼には、最大の攻撃力を持つ火がありましたからね。ところが、実際は、大苦戦」
「鋳鹿が、魔力持ちを喰らっていたから、魔力が大きくなってたの?」
「そうです。それで、風を捨てて、ご自分の魔力器官を火に全振りしたんです」
「全振り?そんなことが出来るの?自分の持って生まれた力を変えちゃうなんで出来るの?」
思わず牧田に訊いたが、牧田は魔力持ちではないので、その辺はよく分からないらしい。
「多属性の魔力持ちが制御を極めれば、出来ると言われている。多属性は、数は少ないが、珍しくはない。俺や敦人やお前のような完全多属性との違いは、俺達が自分の持っている複数の魔力の配分をいかようにも振り分けられるのに対し、そうでない多属性が、制御を持って無理やり持って生まれた魔力配分を変えると、魔力器官への影響があるからな。命を削るようなもんだ」
お祖父様が静かな声で説明をして下さった。
「その状態で魔力が切れるほどに魔力を行使すると、魔力器官が壊れるようですね。瞬間的には、火の力が爆上がりして、鋳鹿を完全に仕留めたんですがね」
「不比等のお父様の魔力器官が壊れちゃったの?」
「はい。見事な制御力を持つ強大な二属性の魔力持ちでしたが、完全な二属性ではなかったんですよ。幸い、そばにいた水の魔力を持つ朝臣が【回復】をかけたので、命に別状はありませんでしたけどね」
水の力を持つ忠臣。瑞祥の先祖で、後に不比等の養父になる朝臣だ。
「それで、お父様はどうなったの?」
「ご存知の通り、皇帝になりましたよ。ただ、大事な不比等様が守れないというので、朝臣に託しました。変わった人間で、不比等様の周りにいた雑魚妖どもにも、沢山の水晶を与えていたんです。朝臣が死んだら、代わりに不比等様を守れと。でも、不比等様は人間なので、妖よりも先に肉体が滅ぶでしょう。次の不比等も、次の次の不比等様も、いつの不比等様も守るために力を貸せ、そこで不比等を待てと妖に与えられた水晶。それが曙光玉です」
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