第53話 魔王・小魔王降臨

「梅園、俺の側近にかけた闇を解け。でないと、お前、生まれてきたことを後悔するぞ」


 父様が、いまだに床に横たわる梅園侯爵に向かって、今まで私が聞いたこともないくらいに、冷たい口調で言うと、侯爵の肩が小刻みに揺れた。目を閉じたまま、くつくつと不敵に笑う侯爵に、食堂に流れていた不穏な空気が、一気に殺気に変わった。


「全員、手を出すな。享護は俺の側近だ」


 北条、西条、南条の三侯爵が頷き、瑞祥の二侯爵も是と言わんばかりに、後ろに下がった。二条侯爵親子は、猫の体なのに私の前に立って盾になろうとしてくれている。


「ふふふふ。後悔なら、生まれてきてから毎日ですよ。残念ながら、魔力切れで、もう何とも出来ません。さすがは嘉承の狂犬、魔力が大き過ぎ・・ま・・・」


 余裕の表情で笑っていた梅園侯爵の顔が突然、苦痛に歪み、ごほごほと血を吐きながら、体を海老のように丸めた。


 アビシニアンの肉球が、ぷにっと私の両目に置かれた。利親おじいさま、お気持ちは有難いけど、もう見ちゃったよ。あと、享護おじさまの【志那津】が私に向いている時に、視界を遮られると、もっと怖いから。


「織比古、確保しろ。英喜、東宮を呼んできてくれ」

「「御意」」


 父様は、普段は、まるでやる気のない面倒くさがりのおじさんで、だいたいのことは、お父さまに丸投げだ。でも、自分の身内に手を出されると、瞬間、魔王に変化へんげする。うちの魔王が目覚めると、必ず、何かが倒壊するからね。隣に牧田が立っているので、私自身は、全く不安はないけど、二条の猫親子を抱えて、早くお祖父さまのいるところまで非難したい。


 幽鬼のようになった享護おじさまの手が、すうっと上がり、カチッと【志那津】が音を立てた。刃の向きが変わった。本当に斬り込んでくる気か。私のことは、牧田が絶対に守ってくれる。二条親子も察してくれたのか、私の盾になることはやめて、しがみついてきた。瑞祥は四条以外の三家は、めちゃくちゃ空気を読んでくるよ。どこかの風の一族とは違うよね。


「うわああああああああっっ」


 瞬間、雄たけびを上げながら、先に斬り込んだのは、真護だった。


「ふーちゃんを傷つけたら、父上でも絶対に許さないっ!」


 顔を真っ赤にして涙を流しながら、めちゃくちゃに振り回している真護の両手には、小さな太刀があった。あれは、東条の最終奥義の【志那津】だ。まだまだ小太刀で、刃も透明ではなく、曇り硝子のようだけど、あれは間違いなく、東条の直系だけに発現する風の太刀だ。


「【志那津】が双剣で発現してる・・・」


 六百年ぶりの双剣の【志那津】に、その場にいた誰もが息を吞んだ。真護、すごいよ。東条の長い長い悲願を、七歳で達成したよ。わんわん泣きながら、なおも父親に斬りかかろうとする真護を、父様の長い腕が捉えた。


「真護、落ち着け。魔力器官が焼き切れるだろうが。三条、頼む」


 父様が、三条の柊おじいさまと椿おじさまのいる方に真護を【風天】で投げ飛ばすと、すぐに、真護の体が大きな水の繭に包まれた。あれは、魔力器官が焼け爛れてしまう前に、体中に起きている炎症を抑える魔力持ちのための緊急措置。病院のICUみたいなものだ。峰守お爺様と明楽君が、すぐに心配そうに駆け寄った。


「制御もままならんガキが、いきなり自力で深奥に辿り着いたか。それも自分の親父相手に斬りかかる為とはな。狂犬中の狂犬じゃねぇか。大した孫だな、誠護」


 お祖父さまの言葉に、誠護おじいさまが、大きく頷いた。


「うん、ありがとう、なー君。真護は自慢の孫だ」


 うん、私にとっても自慢の側近だよ。


「でも、不肖の息子が本当に申し訳ありません」


 そう、その誠護おじいさまの不肖の息子は、いまだに私に斬りかかることを諦めていないようだ。


「まぁ、昔から馬鹿な側近ほど可愛いというからな。享護は敦人に任せておこう」


 土下座せんばかりに頭を下げる東条の先代に、お祖父さまが、ぽんぽんと肩を叩いた。


「享護君が闇に憑かれているのは分かるけど、ふーちゃんにだけは手出しはするなというのは、西都の公達の嗜みだよ」

「まったく、面目ない。意識が戻ったら、ふーちゃんに歯向かったら魔力器官が爆発するとか、何かそういう呪いを霊泉に頼むよ」

「その前に、先生か敦ちゃんに瞬殺されるから、別に必要ないでしょ」


 いやいやいや、そこの先代たち、何を呑気に恐ろしい話をしているの。呪いを頼むとか、瞬殺とか、身内に気軽に使っていい言葉じゃないよね。私の両脇でしがみついている二条親子も呆れたように一瞥して、私の顔を気の毒そうに見た。はい、仰りたいことは分かりますよ。うちは、そういう一族なんです。もう諦めてますよ。


「俺の【業火】は、父様より洗練されていないから、ちょっと痛むぞ、享護」


 瞬間、矛先を変えて父様に斬りかかろうとした享護おじさまが、白い大きな炎に包まれ、手に持っていた【志那津】も蒸発するように消えた。


「うぐぁあああああああっ」


 父様の白い炎の中で、享護おじさまが髪を掻き毟るように頭を抱えて、膝から崩れ落ちると、床の上でのたうちまわった。誠護おじいさまが思わず駆け寄ったが、拳をぎゅっと握って、苦悶に満ちた目で見守るだけだった。また、ぷにっとした肉球が私の両目と、今度は両耳も塞いだ。二条親子、気持ちは嬉しいんだけど、もう見ちゃってるから。


 私は生来のネガティブ気質だから、視覚と聴覚からの情報がないと、確実に最悪な状況を想像しちゃうんだよ。だから、逆に良くないと思うんだけど、瑞祥一族というのは、さすがにお父さまが率いているだけあって、過保護一族らしい。


 享護おじさまが【業火】の中でのたうちまわったのは、実際は、一分も経っていないはずなのに、とても長く感じられた。長い長い緊張感のあと、白くて綺麗で切ない炎が、徐々にその威力を失い、消えていった。享護おじさまの動きが完全に止まったので、誠護おじいさまが抱き起して呼吸と脈を確認した。その顔には、ほっとした安堵の表情があった。


「敦ちゃん、ありがとう。気絶しているけど、脈も呼吸も落ち着いているよ」

「いえ。俺の側近なんで。おじさまには、辛いところをお見せして申し訳ありませんでした」

「うん、私の馬鹿息子なんで。ふーちゃんも、このバカがごめんね」


 誠護おじいさまが、父様の言葉を真似て、少しおどけた物言いで笑って下さったが、享護おじさまを抱える指に力が入っていたのが見えた。大事な息子が炎の中で、もだえ苦しみながら叫んでいるのを見るのは辛いよね。ましてや、その息子を、孫が斬りかかろうとしたんだから。


「時影、享護についてくれるか」

「もちろん」


 北条の時影おじさまが答えると、宣親おじさまのシャム猫が、私の腕から、ぴょんと飛び出して、お父さまのレスキュー部隊によく似た土人形を出してくれた。


「時影兄様は、私と同じで体力と筋力がないんだから、これ使って」

「遠慮なく使わせてもらおう。ありがとう、宣親」


 普段は能面のような表情のまるで無い北条侯爵だが、内面は、めちゃくちゃ細やかな気遣いのできる優しい人だ。二条侯爵に応える声も優しかった。北条が二条と仲がいいというのは、本当なんだな。


 レスキュー部隊が、享護おじさまを回収して、時影おじさまの後をついて部屋を退出した。嘉承病院に連れて行くらしい。ほどなくして、真護が、三条の水の繭から出された。


「真護君も、入院させた方がいいね。すぐに繭に入れたから傷めたところは、全て【回復】させたし、本人の治癒力も高いんだけど、24時間は安静にしておいた方がいいと思うよ」


 柊おじいさま、ありがとう。でも、帝国一の魔法小児科の医者が、さっきレスキュー部隊に運ばれちゃったよ。こんな肝心なときに、これこそ、まさに東条クオリティだよね。ザ・本末転倒、ザ・頓珍漢。


「柊おじさま、椿、ありがとう。誠護おじさま、梅園と鞍作のことは私と不比人に任せて、真護についていてください。あの様子では、享護も数日は使い物にならないし。私たちでは【志那津】を発現させたあとのダメージが分かりかねますしね」

「もちろんだよ、敦ちゃん。三条も、本当にありがとう。危うく、東条家は六百年ぶりに出た双剣の深奥の使い手を、私自身は可愛い孫を失うところだったよ。三条、この御礼は改めて。東条は、絶対にこの恩を忘れない」


 誠護おじいさまが、普段の「いかにも東条」な態度からは考えられないほど、まともな先代侯爵ぶりで、皆に頭を下げた。人の良い三条家の先代と当代は、「当然のことです~」と、ぱたぱたと手を顔の前で振った。お父さまが照れた時と同じ仕草だ。


 ふふっ。二条と三条の皆は、お父さまにちょっと似ているね。


「さてと、ふー。斗利の父ちゃんを捕獲するぞ」

「うん。二条に土人形を作ってもらわなくてもいいの?」

「いらん。もうまわりくどいことはしないで、正面突破する。誰が後ろで糸を引いているのか知らんがな、俺の身内に手を出したらどうなるか、教える必要があるようだからな。斑鳩と天河に飛ぶ。その後、芳野だ。付いてきたいヤツは、付いて来い」

「父様、私は行くよ。真護は、私の最側近だからね」


 そうだよ。真護は、まだ生まれてから八年足らずなのに、私といるせいで、見なくてもいいものを見るし、聞かなくていいものも聞くことになってばかりだ。それなのに、私を守るために、自分の父親をも斬るという選択をさせてしまった。


「誰が裏にいるのか知らないけど、それが誰であっても、外道は、絶対に一発殴る」


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