第52話 もっと暗雲

「享護、相手は鬼でも嘉承でもないのですから、【志那津】に魔力を注入し過ぎず【風壁】で守りながら動きなさい。攻守の守りの配分を七割に。弱者を時間をかけて、いたぶるのは、若様の情操教育に良くありませんから、さっさと片付けて来てください」


 牧田が、いきなり上から目線な口調で、享護おじさまに告げた。牧田、おじさまのことを呼び捨てちゃってるよ。あと、嘉承を鬼と同列にしないで。鬼は叔母様だけだよ。


「はいっ、先生、ありがとうございますっ!」


 享護おじさまは、気にした様子を見せることもなく、今まで見たこともないくらい満面の笑顔で九十度のお辞儀をした。えええっ。東条侯爵家は、陛下にもそこまでの角度でお辞儀をしたことがない傍若無人が家風の家だよね。先生?


「誠護、若様に良くない魔力が来ないように【風壁】をお願いします」

「はい、先生、ただちに」


 ちょっと待った。誠護おじいさままで、めちゃくちゃ嬉しそうだよ。何がどうしてどうなった、東条。


「ほらね。牧田さんは、ふーちゃんさえ良ければ後はどうでもいいんだよ」

「逆に、ふーちゃんにくっついていれば安全ってことだよ、宣親」

「なるほど、そういうことですね、父様」


 シャム猫とアビシニアンが、こそこそと喋っているが、牧田の聴力は人間を遥かに超えているし、私を挟んで真横で話をされると、嫌でも耳に入ってくる。


 がしっ、と両脇に猫がしがみついてきた。二条侯爵の猫は本物そっくりなので、艶々の毛並みで、ぷにぷにの肉球の猫達にしがみつかれるのは、何だか嬉しいな。


 にやにやとしていると、突然、影が差し、二匹の猫が後ろから首根っこを掴まれたかと思うと、ぽーんと放り出された。


「「うぎゃあああああぁぁぁぁぁぁぁっ」」


 普段の二条の優美さの欠片もない叫び声が上がったかと思うと、叫び声が遠くなると共に、飛んでいく二匹の猫の姿も小さくなっていき、空の彼方に消えていった。


「牧田っ、何するの?ダメだよ、二条は風じゃないんだから怪我しちゃうよ」

「ああ、それは問題ないよ、ふーちゃん。土の魔力持ちが、地面に落ちて怪我をするはずがないからね」


 誠護おじいさまが、ニコニコしながら仰ったが、だから、何で、そんなに嬉しそうなの。


「そういうことじゃなくて、いきなり後ろから掴んで投げ飛ばすとか、色々おかしいから」

「全く問題ありませんよ、若様」

「あるよっ。さっきのあれは、通り魔の犯行だよ。それに、二人がいないとオレンジ侯爵とトーリ君のお父様の人形が作れないよ。私が作ると、ぽちゃっとするから、すぐにバレちゃうんだから」


 私が、ガミガミと牧田に怒っていると、牧田の頭にぺにょっと折れ下がった三角耳の幻影が見えた。ちょっとは反省してくれたのかと思った瞬間、牧田が顔を上げた。


「誠護、来ますよ」

「はい、先生。大丈夫、抑えます」


 急に辺りが翳った。これは、宵闇の君や、東宮殿下が魔力を発動する時と同じだ。


「牧田、これ、闇魔法だよね」

「ええ、享護が、オレンジが張っていた闇の帳を切り裂いたんですよ」


 そう言う傍から、どんどん辺りが暗くなって、黒い靄に包まれていった。


「先生、なかなかの使い手のようです」

「享護の魔力なら大丈夫でしょう。私が言ったことを守っていれば、の話ですが」

「守ってないとどうなるの?」

「闇に支配されます」


 いやいやいや、牧田、何でそんな怖いことを真顔で言うかな。享護おじさまは、父様の次に大きな魔力を持つ人だよ。そんな人が闇に支配されたら、どうなっちゃうか、考えるだけでも恐怖だよ。


「大丈夫だよね?」

「うーん、予想が外れましたか。誠護、このまま【風壁】を動かしながら、オレンジに近づいてください」

「はい、先生」


 夕闇の帳のような外の暗さが、歩を歩めるごとに、どんどん濃くなっていく。【風壁】の中の空気には変化はないが、透明のガラスのような壁なので、視界は外の暗さに影響される。


「若様、足元が悪いので気をつけてください」


 すっと牧田に抱きかかえられて、目線が高くなった。近くで見る牧田の目は、いつもの暗い藍色から青い銀色に変わっていた。夜目か。


「牧田の目は、夜の闇の中でも綺麗だね」

「ありがとうございます」


 大きなふさふさの銀色の尻尾が嬉しそうに揺れている幻影が見えた。


 誠護おじいさまの【風壁】の中を更に進んでいくと、ゆらりと幽鬼のように立つ人の背中が見えた。享護おじさまだ。その前に、オレンジ色に染められた髪の女性が立っていた。あれが、梅園侯爵。本当に女の人にしか見えないよ。


「暗いからよく見えないね」


 享護おじさまの様子を見ようと乗り出すと、牧田の腕に抱え直された。


「まったく、享護は、馬鹿ですか」


 牧田が溜息をついた。享護おじさまが【志那津】を杖のようにして凭れながら、肩で息をしながら立っている。これって、もしかして、結構、まずい状況?


 享護おじさまの足元に、更に黒い靄が現れ、大蛇の形をとっていく。あれは、闇の魔力なのかな。瘴気のようにも見えて、嫌な記憶が呼び起されて、肌がぞわりとする。享護おじさまの周りは【風壁】で囲われているのか、漆黒の蛇がおじさまに近寄れないで、ぐるぐると周りを這い始めた。気持ち悪い。


「若様、ご自分の周りだけ、しっかりと【風壁】を張ってください。誠護も自分の守りに専念しなさい」


 牧田に言われた通り、【風壁】を張ると、それまで私たちを覆っていた誠護おじいさまの【風壁】が、さっと小さくなって、おじいさまに張り付いた。それを確認すると、牧田が、そっと地面に降ろしてくれた。


「若様、こちらで三秒ほどお待ちくださいね」


 瞬間、銀の閃光が走り、闇の蛇が霧散したかと思うと目の前に、右手に享護おじさま、左手に梅園侯爵をヘッドロックした牧田が立っていた。二人とも完全に気絶している。えっ?


「えーと、牧田、この二人、どうするの?」

「旦那様に頼んで、纏めて【召喚】してもらいましょう。後は、大旦那様に任せるのが宜しいかと」


 いやいやいや、変なのを拾って連れて帰ったら、怒られちゃうよ。衝撃が強すぎて、気づくのが数秒遅れたけど、漂っていた黒い靄が晴れて、周りは、すっかり元の夕闇色に戻っていた。


「ふーちゃん。ごめんね。すぐに敦ちゃんを呼んでくれるかな」


 誠護おじさまが、申し訳なさそうに仰るので、ここは素直に父様を呼ぶしかない。


「あ、でも、その前に、二条親子だよ。利親おじいさまと宣親おじさま、どこまで飛んで行っちゃったんだろう」

「そこにいますよ」


 牧田の視線を追うと、地面から頭だけ出したシャム猫とアビシニアンが「てへっ」と笑っていた。怖っ。


「何やってるんですか、二人とも」

「うん、何か、不穏な感じだったでしょ。牧田さんがせっかく飛ばしてくれたのに、空気を読まずに戻ったら、足手まといになるだけだから、安全な土に潜って様子を伺っていたんだよ」


 そうだった。宣親おじさまのあまりに見事な土人形の技術に感動し過ぎて忘れていたけど、二条家は、そもそものところで【潜伏】を得意とする家だったよ。それはともかく、どう見ても猫の生首がぺらぺら喋っているようで、衝撃的な絵図になっている。


「あの、御二人とも、すみませんが、直ぐに出て来てもらっていいですか。地面から猫の頭が生えているのは怖すぎるんですけど」


 シャム猫とアビシニアンが、「よいしょ」とか言いながら、大根が土から抜けるように、するりと土から出てきた。本物そっくりの見事な毛皮には汚れ一つない。


「じゃあ、父様を呼ぶね」


 私が【遠見】を飛ばして父様を呼ぶと、すぐに父様が【召喚】してくれた。よく知る魔力に包まれたかと思うと、ふわりとした浮遊感があり、見慣れた食堂の壁が視界に飛び込んできた。


「享護くん、大丈夫?」

「闇は、一番対決が面倒だからね」


 床の上に寝かされた享護おじさまの顔をシャムとアビシニアンが誠護おじいさまと一緒に覗き込んでいる。そのすぐそばには、梅園侯爵が横たえられていた。


「これがオレンジ野郎か。土人形は置いてきたのか」


 父様が、もの珍しそうに床に横たわっている梅園侯爵を見下ろしながら私達に訊くと、二匹の猫がぶんぶんと首を振った。


「そんな時間なかったよ。享護おじさまの様子がおかしくなってたから、牧田が回収してくれたんだけど」

「そうか。二条、オレンジ野郎が気絶している間に、さっさと土人形を作ってくれ」

「はい、分かりました」


 シャム猫の二条侯爵が、梅園侯爵を凝視しつつ、魔力を練り出した。梅園侯爵と同じくらいの背のアンドロイドタイプの土人形が出現して、それが、どんどんと床の上で気絶している侯爵と瓜二つになっていく。もの凄い魔力量と制御力だ。


 あっと言う間に、目と鼻と口が形作られ、オレンジ色の髪が生え、梅園侯爵と同じ長さになるという時に、突然、ぽろりと土人形の頭が落ちた。首に見事な切断面がある。え、何で切断面?


「享護、お前は、常日頃から馬鹿だが、これはもう、大馬鹿野郎としか言いようがないぞ」


 苛立ったように言う父様と私と猫たちの目の前に【志那津】を構えた享護おじさまが立っていた。白目が黒く変化し、眼窩に漆黒の眼球を持った嘉承の狂犬。その大太刀が向けられている先にいるのは、


 私だ。

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