第129話 小野のおうちのじじょー

温かい風がふわっと吹いたかと思うと、殿下の御体が宙に浮いた。


「本当に、切れたか。彰、いつものあれ、出してくれ」


父様が【風壁】で支えているので、殿下が意識を失っても、お体が床に倒れ込むことはない。次の瞬間、お父さまのレスキュー部隊が現れた。このゴーレム、最近、使用頻度が高いよね。何だか、シンパシーを感じるよ。


「お母さまに連絡も頼む。彰のゴーレムごと、一緒に送る」

「ああ、それなら、私も後で転送してください。内裏に行くので着替えないと」


お父さまのレスキュー部隊がストレッチャーに殿下をお乗せすると、そのまま瑞祥の屋敷に転送された。お祖母さまの闇の魔力を頂くのかな。他人同士の魔力は、量が多いと拒絶反応を起こすが、エネルギードリンクを飲むような感覚で、少量なら譲渡が可能だ。ただし、両者の魔力の差が大きいと、魔力の低いほうが魔力酔いを起こす。お祖母さまと殿下なら、全くの赤の他人というわけでもないので、大丈夫なのかな。


「じゃあ、敦人君、彰人君、私達もここで失礼させてもらうよ」


峰守お爺様が、立ち上がって、上着を着ながら、明楽君に微笑んだ。


「明楽、お婆様がお待ちだから、帰ろうか」


小野子爵が、すかさず手をさっさと差し出したが、明楽君は浮かない顔をして、子爵の手を取ろうとしなかった。


「明楽、どうした、疲れたのか?お兄ちゃんが抱っこしてあげようか」


子爵は、明楽君が弟だろうが、甥だろうが、スタンスは変えないようだ。そんな人だと思ってたけどね。なおも、返事をしない明楽君は、俯いてしまった。


「明楽、まさか、小野の子になるのが嫌なのか?」


子爵は、この世の終焉を迎えるような顔つきで、分かりやすく狼狽えた。峰守お爺様も心配顔だ。


「明楽君、どうしたの?」


私が声を掛けると、明楽君が顔を上げてくれた。


「あのね、ふーちゃん。お母さんは、あの、高村愛は、死刑になっちゃうの?」


ああ、そうか。明楽君は、本当にいい子なんだよ。とんだモラハラ気質はあったけど、それでも、今までの七年間、明楽君の傍にいたのは、高村愛だ。彼女のことは、気になるよね。


「うーん。私は法律のことは分からないから、専門家に伺おうか」


明楽君の手を引いて、お父さまのところに二人で行く。


「お父さま、高村愛は、どうなっちゃうの?」


お父さまは、さっきの明楽君の言葉を聞いて、もう涙目だ。


「まず、今の時点では、略取・誘拐罪という罪に問われるね。これは、明楽君を母親である速水凪子嬢から奪ったという罪だね。彼女が、本当に凪子嬢の妹なら、叔母という立場で、保護者としての立場を主張できるんだけどね」

「でも、高村愛は、本当は楢原伯爵の庶子だって」

「本人は、速水伯爵の子供だって母親に聞かされていたらしいから、論点は、そこになるし、小野家と明楽君が減刑を願い出れば、情状酌量に訴えるという手もあるね。ただ、それよりも何よりも、曙光帝国内で、一番重い罪に彼女は加担してしまっているからね」


お父さまの眉毛が完全に下がってしまった。ごめんね。困らせているのは分かるけど、明楽君は、まだ七歳だけど、それでも彼には、知る権利はあると思うんだよ。


「国家転覆、外患誘致。これらには減刑が適用されなくて、立証された途端に極刑、つまり死刑が確定してしまう」

「がいかん何とかって、何?」


七歳児の世界には存在しない難しい言葉が並んだが、明楽君は、ちゃんと食らいついている。ほんと、えらいよ、うちの豆柴ちゃん。


「がいかんゆうち、ね。外の患いを誘うって書くんだけど、外国の悪い人達と共謀して、曙光帝国を潰そうとする罪のことだね」

「悪いやつは、あの黒い蜘蛛でしょ。お母さんは、怖くて、仕方がなくて悪いヤツを手伝っちゃったんだよ」

「そうだね。怖かったから、悪いことをしちゃった。面倒だから、警察に協力しなかった。気に入らないから、速水凪子姫と周りに暴言吐いた。分からないから、知らない世界のありようを否定して侮辱した。詳しい話は、滝川君がしてくれるだろうけど、私たちは、彼女が君を浚って逃げてしまったと思っているよ。彼女は悪事に加担していましたが、仕方がなかったでは、二年前の厄災でお亡くなりになった方々とそのご遺族は納得できないよね。それ以外の多くの方々も、お家を失くしたりしている。トラウマと言って、嫌な思い出に、ずっと悩まされている方々もいるからね。全くの無罪という訳にはいかないってことは、分かってくれるかな」


お父さまの説明に、明楽君は、まだ完全に納得していない顔つきだ。


「そうだなぁ、じゃあね、ふーちゃんが車に轢かれて死んじゃいました。車を運転していた人は、ふーちゃんが後ろに立っていたのを知らなかったって言いました。そうか、知らなかったのなら、しょうがないよねって、明楽君は思うかな?」


お父さま、私を殺さないで。


「絶対に許さない」


瞬間、明楽君の魔力が殺気を帯びた。


「うん、そうだね。私も絶対に許さないよ」


お父さまの笑顔が突然、黒くなった気がした。だから、それ仮定もしもの話でしょ。二人とも、魔力から殺気を解こうよ。


「二年前の厄災が引き起こしたことで、明楽君や私のように思う人達が、何千人、いや、何万人もいるんだよ」

「だから、お母さんは、無罪にはならない・・・」


明楽君がそう言うと、ぽろぽろと豆柴の丸い目から涙がこぼれた。小野子爵は後ろで激しく狼狽えて、峰守お爺様は、ただただ悲痛な面持ちで明楽君を見守っていた。


「ふーちゃん、あのね、お母さんは、時々、ヒステリーを起こすんだ。でも、それは、お母さんには僕しかいなかったからなんだよ」

「うん」

「それでね、いつも同じような服ばかり買うの」

「うん」


明楽君には、誰かのお古の体操服を着せていたくせに。そういえば、高村愛はいつも新しい服を着ていたな。


「それで、お弁当も、いつも同じコンビニのお弁当を買ってくるの」

「うん」


子供をコンビニ弁当で育てるな。これだけで、私には極刑ものの罪だよ。


「僕が美味しいって言ったから、いつもそれなの」


ああ、そうか。服装も、きっと誰かに褒められたのかな。高村愛の異常な嫉妬心と不安定さは、自分自身に対する自信の無さだ。それは、あの母親との歪な関係に起因しているのかもしれない。妖は、人の昏い心を喰らう。それを妖蛾は、彼女の中で何十年も餌としていたんだろう。


「だけどね、遠足の時は、自分で黄色いお弁当を作ってくれたんだよ」

「黄色いお弁当?」

「うん。海苔の代わりに薄い玉子焼きを巻いたおにぎりの入ったお弁当。それと、たくあんを入れてくれた」


ほんとに、真っ黄色だよ。高村愛、幼児のお弁当は彩を考えて、もっとポップにしろよ。なんだよ、おかずが、たくあんだけって。


「黄色いおにぎり、美味しかったんだよ」


そう言うと、明楽君は、私に抱き着いて号泣し始めた。


「うわああああんん」


真護も大泣きして、私の背中にへばりついてきた。ちょっと、七歳児二人にしがみつかれて、身動きが取れないんですけど。助けを求めようとお父さまの方を見ると、父様にしがみついて号泣中だった。お父さま・・・。


高村愛は、明楽君には、最高の母親ではなかったかもしれないけど、最悪の母親でもなかったのかもしれない。明楽君の住んでいたアパートの玄関のたたきには、ごみ一つ落ちていなかったし、台所も、部屋も、何なら冷蔵庫の中も、清潔できれいに掃除されていたよね。


事実は、明楽君にしか分からないことで、私や他の者が知る必要はない。


そう思いながら、明楽君の号泣が落ち着いて、しゃくりあげが終わるまで、真護や私よりも、ずっと小さい背中を撫で続けた。両手に【仄火】を纏わせたので、明楽君が少しでも癒されるといいな。


しばらくすると、明楽君が落ち着いてきたみたいだ。背中にしがみついている真護に至っては、立ったまま寝ているような気さえするよ。享護おじさまの方を見ると、苦笑しながら、真護を引き取ってくれた。平和な寝息を立てて爆睡中だ。真護も、ここ数日、心労が続いていたからね。


きゅるりん・・・。


静かになった会議室に、かわいい腹の虫が響いた。


「明楽君、お腹がすいてるの?」

「明楽は、昨日からロクに食べていないんだよ、ふーちゃん」


小野子爵が教えてくれた。そうか、色々と心配で、食欲が出なかったんだろうな。さっき、私が稲荷屋に買いに行ったお菓子はもう殿下と私で食べちゃったから残ってないし。困ったな。また父様に稲荷屋に飛ばしてもらうかな。そう思いながら、上着のポケットに手を入れると、かさりと何かに当たった。


「これ、昨日、内裏に持って行った300円分のお菓子だよ。明楽君、食べる?」


昨日は持参したお菓子を食べる前に、陛下と殿下の餌付け攻撃にあったから、そのままポケットに入れっぱなしになっていたよ。私の手の中のお菓子を見ると、明楽君が顔を輝かせた。


「ふーちゃんの猫ちゃんだ」

「うん、にゃんころ餅。ポケットの中に入れていたから、ちょっと潰れて、ブタ猫になっちゃってるけど、賞味期限は切れてないから、まだ美味しいよ」

「ありがと」


明楽君が、私の手から、にゃんころ餅を受け取って、包装を取ると、ぱくりと美味しそうに食べた。泣いた後は、体力が落ちるから、甘いものが特に美味しくなるよね。


「お父さん、お兄ちゃん、あのね」


にゃんころ餅をもぐもぐと咀嚼しながら、明楽君が後ろで心配そうに様子を見守っていた峰守お爺様と小野子爵に声をかけた。


「何、明楽?何か他に食べたいものがあるのかい?お兄ちゃんが何でも買ってくるよ」

「俊生、落ち着きなさい。何かな、明楽?」


峰守お爺様が、分かりやすく動揺している小野子爵を窘めてから、明楽君に訊いた。


「僕が、お父さんとお母さんのお家に行ったら、また転校しなくちゃいけないの?」


それだ!それだよ。私と明楽君には、めちゃくちゃ重要な問題だよ。


「ああ、そうだね。確かに、南都の村の外れのあの家からだと、毎日、西都公達学園に通うのは無理だね」


峰守お爺様の返答に、明楽君は露骨にショックを受けた。ダメじゃん。絶対ダメだよ。


「山科のお家からだと通えるよ。小野の別の領地の志賀からでも。南条の暁子姫と小野子爵の末の君が同級生だって、織比古おじさまが仰ってたもん」


どうよ。ネタは上がってるんだよ。


「さすがは、嘉承の君。ふーちゃんは事情通だねぇ。篤子は、もう山科に戻るどころか、明楽のために、実家の南条家の近くに家を建てるつもりみたいだよ」

「やったー!」


峰守お爺様が、楽しそうに笑ったので、私と明楽君も、飛び上がって、ハイタッチをした。南条家の近くなら、うちから歩いて行き来できる距離だよ。そうなったら、最高なのにな。佳比古おじいさまと織比古おじさまだったら、篤子お婆様がお願いしたら、すぐにでも土地を用意してくれそうだ。


「明楽、これで、もうお兄ちゃんとお父さんと家に帰ってくれるかな」


小野子爵が、恐る恐る、明楽君に訊くと、明楽君が「うん!」と大きく頷いた。


「ふーちゃん、また明日、学校でね。えっと、真護君のお父さん、真護君にも、また明日って伝えて下さい」

「うん。起きたら、ちゃんと伝えるよ。それと、ふーちゃんが、小野の二の君に【帆風】をもらったから、そのお礼に、東条が明楽に【風刃】を教えるよ。末の君は【風切り】を得意としていたと聞いているから、明楽には良い素質があると思う」


【風刃】は【風切り】の上位互換だ。さらにその上、頂点を極めたのが東条の最終奥義【志奈津】だ。これは、東条が、明楽君に自分達の奥義に近い魔力の使い方を教えるということだ。


「うちは、明楽と真護の二人で、将来、ふーちゃんと盛り立ててくれたら、それでいいと思っているから。うちの嫡男は、どう見ても、頭脳派の明楽とは守備範囲が違うよ」


真護には悪いけど、今、会議室にいる全員が心の中で合意した。


「東条侯爵、ありがとうございます」


小野子爵が、深々と頭を下げてお礼を言った。峰守お爺様も同じように頭を下げたのを見て、明楽君も慌てて、頭を下げた。


「じゃあ、嘉承公爵、総督閣下、皆さん、私たちは、これで、本当に失礼します」

「おじさま、滝川の調書が上がったら、すぐにお送りしますよ」

「うん、敦人君、ありがとう。なー君や良真のお手伝いをしに、私達も時々、帝都に行くことにするよ」


良かった。外務省も、被害を受けたようだし、峰守お爺様や小野子爵のサポートがあれば強いよね。まだまだ帝都の復興と内裏の復旧の道のりには時間がかかりそうだけど、それでも、良い方向に進み始めた気がする。


チーム小野の三人が帰り支度を終え、会議室を出て行こうとしたところで、明楽君に声をかけた。

「明楽君は、峰守お爺様と小野子爵のことをお父さんとお兄ちゃんって呼び続けるの?」

「うん、おうちのじじょーだから」



ふふっ。何だか、明るく楽しい気持ちになってきたよ。





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次回、最終話になります。週末に更新予定です。詳細は、近況ノートにて後日ご報告します。

どうぞ、よろしくお願いします。

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