第127話 水の長の謝罪

「兄様、すみません。少しだけ、滝川君と話をさせてください」


ドクター滝川が、織比古おじさまの【風壁】で作られた透明の箱に入ったまま、連行されようとしたところで、お父さまが父様にお願いをした。父様は、もちろん渋い顔だ。


「彰、こいつは罪人だ。変な情けはかけるな」

「はい、それを承知でお願いです」


父様は、私や頼子叔母様には容赦の欠片もないくせに、お父さまには極端に甘い。実は意外に頑固者のお父さまが食い下がって、父様が折れなかったところなんか見たことがないよ。


「5分だけだぞ」


ほらね。


「ありがとうございます」


お父さまが父様に頭を下げると、宙に浮かんでいた南条の【風壁】の箱が降ろされ、解除されると、気絶したままのドクター滝川が床に横たわった。お父さまが、片手をドクターの額に翳して、ごく少量の水の魔力を与えたのが分かった。お父さまは、水では誰よりも魔力が強いので、下位の魔力持ちが受け取ると魔力酔いを起こすが、あれくらいの量なら、良い回復になるはずだ。ドクター滝川の瞼がぴくぴくしたかと思うと、目が開き、お父さまの姿を認めて、がばりと額を床につけて土下座をした。


「彰人先生。・・・申し訳ありません。とんでもないことをしてしまいました」

「そうだね」


お父さまは、いつもの上品な御姿を保っておられるが、いつもの優しい目からは何の感情も読み取れない。


「頭の中に声がこだまして、何度も抗ったのですが、弱い私は悪魔になってしまいました」

「そう。それはいつから?」

「もう10年以上になります。始めて声を聞いたのは、公達学園の高等科にいた頃です」


その頃、ドクター滝川にはガールフレンドがいた。高村愛だ。そして、彼は、愛のボーイフレンドとして、高村家でいつも歓待され、あの祖父とディベートを楽しんでいた。


「頑張りましたね。10年以上、苛まれても、君は闇落ちしなかった」


お父さまが、ドクターの頭を、子供をあやすように、優しく撫でた。


「私は、ずっと嫉妬していたんです。私は、凪子姫の傍にありたかった。でも、彼女の横には小野の末の君がいて、彼が亡くなったら、姫は心を閉ざしてしまって。そこに土御門の二の君が現れて、私は・・・」

「そうですか。北条侯爵と、南条侯爵に全てを話してください。先の厄災では何万人もの方の生活が脅かされました。亡くなった方もいらっしゃいます。まだ、トラウマで立ち直れない人達も。君は頑張りましたが、極刑は免れません。私は、水の長として、今回のことは、陛下と曙光帝国の国民に謝罪する立場になりますから、君の弁護はできませんが、一条に、君と高村愛を託すことにします。君の最後と彼女の行く末が、出来るだけ、穏やかなものになるように。滝川家は爵位を失い、直系は曙光玉を頂くことになるでしょう。これも、三条に託して、できるだけのことをします。いいですね?」


お父さまが、静かに淡々と伝えると、ドクター滝川は号泣して、返事もままならなかったが、何度も頷き、最後にまた深く土下座をした。瑞祥が、最側近の一条と三条を助けに付ける、これ以上の慈悲はない。そして、ドクターは、よろよろと立ち上がると、南条侯爵と北条侯爵が待つ戸口のところに向かって歩いて行った。織比古おじさまは、もう彼を取り押さえる【風壁】は張らなかった。


三人が会議室から退出すると、お父さまが姿勢を正して、静かに深いお辞儀をされた。


「東宮殿下、嘉承公爵閣下、西都総督閣下、この度は、一連の水の一族の失態、申し開きのしようもございません。至急、帝都に参り、陛下のご裁可を仰ぎたいと存じます」


思いもしなかった、お父さまの謝罪の姿に、私は動揺した。お父さまは何も悪くない。何で、西都の雅の頂点、西都観音が、あんな外道どもの所業の責任を取らないといけないんだよ。悔しくて、涙が出て来た。


お父さまが、頭を上げると、今度は小野家の三人の方に歩いて来られた。


「小野家の皆様には、水の一族が、末の君を殺めてしまったこと。本当に申し訳ございませんでした。この罪は、断絶した麻生と、断絶間違いない滝川に代わり、瑞祥が末代まで償います」


お父さまが、また同じように深くお辞儀をすると、小野家の三人は、揃って困った顔をしていた。


「彰人君のせいじゃないよ。水の一族って言っても、麻生も滝川も速水も、帝都の貴族だしね。麻生なんか西都に足を踏み入れたこともない家でしょ。そんな奴らのために、彰人君が頭を下げることなんかないよ。それに、うちは、こう見えても、外交の一族だからね。弱みを見せると、後々、大変かもよ」


峰守お爺様がおどけて、お父さまに、小野家特有の柴犬のような「にぱっ」とした笑顔を見せて下さった。


「ありがとうございます、おじさま。でも、瑞祥の後ろには、過保護な大魔王と魔王がおりますので、流石の小野一族でも、大変なことを画策するには、なかなか骨が折れますよ」


悲痛な面持ちだったお父さまだったけど、峰守お爺様のおかげで、ようやく、いつもの穏やかな表情が戻った。さすがは年の功。


「瑞祥公爵、うちは、鷹邑に何か起こったのか知りたかったのと、彼を殺めた犯人に正当な裁きが下ることを願っていただけです。麻生については、ふーちゃんが天誅を下してくれました。後は、きちんと何があったか教えてもらえれば、水の一族に対して思うことはありません」


小野子爵も、にぱっと柴犬の笑みをお父さまに見せてくれた。


「そうそう、うちは、閣下が培養している小魔王についていくって決めているから、変な禍根を持つわけがないですよ」


二の君が、いつもの軽いノリで茶化してくれた。培養じゃなくて、養育だってば。あと、小魔王じゃないから。あの二人と一緒にしないで。でも、二の君のおかげで、少しだけ空気が軽くなったよ。会議室にいた全員が、どこかほっとした顔をしていた。


「殿下、私は、そろそろ戻りませんと」


突然、みっちー宰相が、時計を見て立ち上がった。毎日、忙しいって言ってたし、二年前の厄災討伐の取りこぼしやら、検非違使庁や外務省や、下手をすると他の省庁にも、土蜘蛛の眷属が入り込んでいる可能性もあったりで、宰相の激務が続くことは予想に難くない。


「そうだね、宰相は先に戻って、陛下に報告を頼むよ」


あら。東宮殿下は、まだお帰りにならないんだ。


「みっちー、それなら、西条と戻ってくれ」

「嘉承の眼、事情通の西条侯爵に、陛下へのご報告をお手伝い頂けるのであれば、願ってもないことです」

「うん、いいよ」


チーム嘉承の軽い態度に、宰相のこめかみがピクリとした。宰相、ダメだって、うちの大人達相手に、真面目にやってたら、禿げるだけだよ。


「ワタクシから、だいたいの内容は、両陛下にご報告申し上げますが、西条侯爵が隣国で何をして来たかは、ご自分でちゃんと報告してくださいよ」


墓荒らしと、遺体損壊罪ね。下手したら、大きな国際問題になるような話を宰相の口からは言いにくいよね。英喜おじさま、もしかして曙光玉を頂いちゃうんじゃないの。


「あはははは。遠慮しなくていいよ。あれは、一連の報告の中で、なかなかに盛り上がるところだから、皇帝陛下も、先帝陛下も、ご興味を持って聞いて下さるよ」


全然、反省してないよ、この困った大人。


「エンタメじゃないんですから、盛り上げなくていいんです。粛々と事実のみをお話してください」


みっちー宰相、だから、真面目に相手してると血管が切れちゃうってば。もうチーム嘉承の言うことは話半分で聞いておいて、適度に流さないと。


「あの、別の妖に匂いを嗅いでもらうって話は、斬新だったよね。さすがは嘉承一族と感動したよ」


あの奇天烈な話に感動した二の君こそ、流石だよ。


「それで、宰相閣下と西条侯爵が参内されるんなら、私も一緒に連れて行ってもらえないですか。そろそろ、戻らないと私もまずい立場でして」


二の君が帝都に戻ると聞いて、明楽君が慌てて駆け寄った。


「良真お兄ちゃん、帝都に帰っちゃうの?」

「うん、鷹邑、じゃなかった、明楽。お兄ちゃん、お仕事があるんだよ。年末になったら、また来るから、父様と母様と待ってて」


二の君が明楽君の頭を撫でながら言った。そのまま、手をつないで、小野子爵と峰守お爺様のところに行く二人を見て、昨日だけで、かなり距離が近くなっていることに驚いた。


「兄上、私の荷物、後で送ってくださいね」


二の君が、小野子爵と握手してから、峰守お爺様に向き合った。


「父上、明楽が来てくれて良かったですね」

「うん。これで篤子も小野一族も元気になるよ。明楽、生まれてきてくれて、今まで頑張ってくれて、ありがとう」


後ろで、誰かのすすり泣きが聞こえた。峰守お爺様の心からの言葉に、皆で涙目になったチーム小野にもらい泣きしたんだろう。火村さんは、火の魔力持ちなのに、どこかの大姫と違って本当に優しい女性だ。


「宰相閣下、ティッシュです。お使い下さい」

「は?」


振り返ると、火村さんの手からティッシュを箱ごと受け取った、ぐちゃぐちゃな泣き顔で、鼻を真っ赤にした宰相がいた。みっちーだったよ。


・・・曙光帝国、色々と大丈夫なんだろうか。


二の君が、明楽君を私と真護のところに連れて来てくれた。


「ふーちゃん、真護君、明楽を頼むよ。それから、学園がお休みになったら、帝都まで三人で遊びに来るといいよ。色々と案内してあげる。ふーちゃんは、両陛下の御気に入りだから、内裏も見学できると思うし」


いやいや、あの御方々が私の中で気に入っているのは、お祖母さまの孫という血縁だけだよ。


「ふーちゃん、明楽君、うちのお爺様が、嘉承の大殿の御側に上がる当番の時に一緒に行こうよ」


二の君の提案に真護は、大喜びだ。ぱあっと顔を輝かせている。ああ、西都所払いの刑ね。先代の四侯爵の付き添い、当番制になっていたのか。普通は、もう引退している身だけど、あの元気なご老人達は確実に楽しんでいるだろうからね。それに、私と真護は、二年前の厄災のせいで、今まで、旅行どころか、ろくに西都を出たことがなかったから、お祖父さまのご様子を見に行くついでに、帝都ツアーもいいかも。


私が帝都名物には何があったかと考えていると、突然、会議室の扉が、コンコンと叩かれた。


「誰かしら、今日は休日なのに。どうぞ」


叔母様が入室の許可を出すと、扉の向こうに、二人の上品な紳士が立っていた。

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