第120話 l'enfant terrible 3
「まぁ、いいでしょう。大姫と小野の末の君と貴女は、学生時代に面識があったということですね。貴女、意外に使えそうな駒じゃないですか」
麻生を見つめる高村愛は完全に恐怖に支配され、膝がガクガクしていたが、必死で歯を食いしばっていた。
「何か面白いことができそうです。近いうちに、またお会いしましょう」
そう言うと、高村愛を蔑むように笑いながら、麻生が去った。これは、ちょっとまずい。
「殿下、すみません。ちょっとだけ止めてもらっていいでしょうか」
私に抱き着いている明楽君が、顔を私に押し付けて来た。昨日まで母親と信じていた存在が、警察に連行された。それだけでも、大変な精神的負担だ。それなのに、こんな気味の悪い男が、その母親をいたぶっている映像を見るというのは、絶対に良くない。気丈にも本当の両親が出ている記憶は見ると言ったけど、もう限界だ。
「明楽君、もう失礼させてもらおうよ。私たちは頑張ったと思うよ」
私がそう言うと、明楽君が驚いたように顔を上げた。私が大好きな豆柴のようなくりくりとした、黒目がちな丸い目が涙で潤んでいた。うん、明楽君、もういいよね。頑張ったよ。
私は、トリさんの世界の記憶や、彼女の変てこりんな思考を共有しているから、実は結構な耳年増だし、毎日濃すぎる人達に囲まれているせいか、精神的にはかなり鍛えられているけど、明楽君は、鷹邑卿の魔力を受け継いでいるだけで、本当の七歳児だ。今、ここで無理を通して、壊れたら、これからの長い人生が台無しになる。
「真護と私は、もう怖くて見ていられないから、後で、事情をかいつまんで説明してもらうことにするよ。わざわざ映像で見て怖い思いはしなくていいと思うよ。明楽君がどうしても気になるんなら、もうちょっと大きくなってから、見たらいいよ」
私の隣で真護が高速でぶんぶんと何度も首を縦に振る。お父さまの魔力で、回復したといっても、また疲弊するのは辛いもんね。これから先に出て来るのは、ロクでもない映像ばかりのはずだ。小野の末の君も、速水の大姫も今は亡い。二年前に、速水と千台で厄災による未曽有の洪水が起きたのも事実だ。その裏にあるものは、明楽君の心を傷つけてしまう。
明楽君は、私と真護の顔をじっと見つめて逡巡しているようだった。それから、小野家の三人の顔を見て、また私の方に向き直って、こっくりと頷いてくれた。
会議室に、ほっとした安堵の空気が流れた。頼子叔母様が、秘書の火村さんに目配せをすると、火村さんが、私たちを別の部屋に案内すると申し出てくれた。三人で手をつないで、火村さんの後に続いて部屋を出ようとすると、小野家の三人が、また口パクで「ありがとう」と合図を送ってくれた。小野家の三人は、もう大人だけど、辛いのは明楽君と同じだよね。
火村さんが私達を連れて来てくれたのは、会議室の隣の休憩室のような部屋で、大きなソファがいくつか置かれていた。
「このビルは全館自動冷暖房なんですが、今日は、日曜日なので、職員がいませんから、エアコンが切れるんです。ちょっと寒いですよね」
そう言うと、火村さんが、自分の顔くらいの大きさの火の玉をいくつか出してくれた。
「嘉承の若様の前でお恥ずかしい魔力ですが、これが小さくなって消える頃には、部屋が温まると思いますので」
火村さんが、私達にソファを勧めてくれた。大きなソファは、子供が三人で座るには十分過ぎる大きさなのに、真護と明楽君が、ぴったりとくっついてくるので、ちょっと窮屈になった。そんな私たちを見て、火村さんが笑顔になった。
「ふふっ。Peas in a pod、さやの中の豆の子兄弟って感じで可愛いですね。今、お茶を用意しますから、ちょっと待ってて下さいね」
火村さんは、火の魔力持ちなのに、穏やかな性格の女性のようだ。火の魔力持ちの女性は、すべからく頼子叔母様のような人ばっかりだと思っていたよ。男性は、西条や北条のおじさま達のように、普段は飄々としているけど、怒らせると怖いタイプが多い。そう言えば、文福叔父様も火だったな。あの人の場合は、火は火でも消す方だけど。
火村さんの作ってくれた宙に浮かぶ火球を見ていると、両隣がずしりと重くなった。二人とも眠ってしまったようだ。張りつめていた神経が緩んだんだと思う。昨日から人生がくるりと変わるほどの経験をしているんだもん。めちゃくちゃ頑張ったよ。
穏やかな火には、水に負けないくらいの癒し効果があると思う。暖炉や焚火なんかがそうだよね。ちなみに、私も、明楽君が抱きついていたので、こっそりと【仄火】を全身に巡らせていたから、ほんのりと温かいんだよ。ちょっとだけ痩せたけど、まだ丸いから、もたれ甲斐があるよ。
火村さんが、お盆に人数分の湯飲みを持ってきてくれた。
「すみません、普段は、皆さんのような若い方が来られることがないので、緑茶と、こんなお茶請けしかなくて」
海苔おかき。渋いな、西都総督府。
「火村さん、二人とも寝ちゃってますから、気にしないでください。私も寝てますから、叔母様のところに戻ってもらって大丈夫ですよ。私には、色々とおかしな加護がついているんで、手を出すバカもいないだろうし」
「そうですね。直視するのも怖いくらい、もの凄い風の魔力に覆われていますよね。これは、嘉承の殿ですよね。その周りをふわっと水が守っていて」
「はい、それは、うちの過保護な養父の仕業です」
あの父様の魔力の半分近い魔力で作られた【風壁】だけでも、妖の呪詛さえ軽く弾くというのに、お父さまも、しれっと乗せてくるんだよね。
「あと、不思議な火と、銀色の水が見えます」
「えーと、火伏せと、霊泉ですね」
火村さんの顔がだんだん引きつってきた。あははははは、と同時に乾いた笑いが出てしまった。
「あの、嘉承の君、私では頼りにはなりませんが、エアコン代わりにはなると思うんです。お三人が眠っていらっしゃる間に、こちらで付き添わせて頂けないでしょうか」
「無理のない範囲なら、こちらからお願いしたいくらいです。麻生の記憶、気持ち悪いですもんね」
二人がぐっすりと寝入っているのに、毛布も何も掛けてあげられないから、火村さんが、傍で温度調整してくれるなら有難い。火村さんは図星だったのか、ちょっと顔を赤らめた。火なのに、素直で可愛らしい人だな。私の中で火の魔力持ちの女性は、あの野生のサブ子がベースだから、新鮮な驚きだよ。
「御三方を言い訳にするようで申し訳ないんですが、私、蜘蛛がダメなんです。アラクノフォビアって言うらしいです」
蜘蛛恐怖症でなくとも、あの麻生は普通に気持ち悪いよ。そう言うと、あいつは喜んでいたけど。蜘蛛全般がダメなら、【魔鏡】を見続けるのは、火村さんには拷問だよね。
「じゃあ、私も寝ますので、火村さん、傍にいて下さいね。叔母様に何か言われたら、嘉承不比人に頼まれたって言っちゃて下さい」
「はい、嘉承の君、ありがとうございます」
火村さんが、ソファの横の椅子に座ったのを確認して目を瞑る。念のために、お父さまが上に掛けてくれた水の加護を薄く延ばして、明楽君と真護にもかけておいた。火村さんが、驚いて目を丸くしている。普通は、お父さまくらいの高位の魔力に干渉はできないんだけど、私にとっては、生まれてから、ずっと毎日かけてもらっている加護だから、ほとんど上に羽織っている服みたいな感覚なんだよ。
それにしても、火村さんは眼がいいな。お父さまの加護は、強力だけど本当に薄いのに、完全に見えているみたいだ。と思ったところで、気がついた。この人、西条の方の火に所縁を持つ人だよ。西条は嘉承の眼と言われる一族だから、見抜く力を誰よりも持っている。
そっか。西条の眼を持つ人なら、安心だ。じゃあ、私は、明楽君と真護が安心して寝ている間に、会議室に戻ろう。風を使うと、風の魔力持ちの二人に気づかれる恐れがあるから、ここは土だね。にゃんころ出てこい。
突然ぼよんと出て来た、丸っとしたキジ猫に、火村さんが声を上げそうになって、慌てて口を押えた。
「火村さん、私は会議室に戻りますから、真護と明楽君をお願いします。ついでに私の体も」
キジ猫がぺこりと頭を下げると火村さんも立ち上がって礼をしてくれた。
「はい。承りました。嘉承の君、頑張ってください」
猫の手ではドアが開けられないので【風巻】を使って開閉をする。ぽてぽてと直立歩行で、会議室に戻ると中にいた全員の視線が私を捉えた。
「えっ、野良猫?何で入って来れたんだ」
誰が野良猫だよ。総督府の官吏の一人のおじさんの言葉に「ぷっ」と私のにゃんころを知っている面々は吹き出した。
「すみません。その子は、甥の不比人なんです」
官吏のおじさんが私を捕まえる前に、お父さまが抱っこして保護してくれた。
「どうりで見覚えがある猫だと思ったら、昨日、牛鬼の毛針を体を張って受け止めた猫じゃないですか。嘉承の君の使い魔の妖だったんですか?」
みっちー宰相がお父さまに抱かれた私をまじまじと見る。
「いえ、本人です」
私が答えると、宰相の口がぱっかーんと開いたままになった。
「宰相閣下、ここは西都ですから、色々と考えると負けです」
賀茂さん、それ説明になってないから。
「やあ、また不比人の土の猫か。中にも入れるんだ。西都は色んな使い方をするもんだね」
「ええっ、土人形に入るんですか。何ですか、その非常識な土の使い方は」
宰相が驚いたように私を凝視した。え、帝都では入らないの?
「これが中々、便利なんですよ。リモートで作れば、良い通信手段になりますし」
「瑞祥公爵閣下、そもそものところで、我々、普通の土の魔力持ちは、リモートでは土人形は作れませんよ」
ニコニコしながら説明するお父さまに、みっちー宰相が困ったように伝えた。宰相、土の魔力持ちだったんだ。あ、菅原、原っぱだから、確かに土だね。
お父さまがお膝に乗せて下さったので、猫の手を会議机に乗せて、殿下の【魔鏡】を見ようと身を乗り出すと、向かいに座っている父様が親指と人差し指で何かを弾くと、ぴしっと私の眉間に当たった。
「いたっ」
風の魔力弾だ。猫の額は狭いのに、よくも当ててくれたな。
「お前は馬鹿か。せっかく外に出れたのに戻って来てどうする」
この人、分かりにくく過保護だよね。
「東宮、うちのバカ息子は気にせず、さっさと進めろ」
ちょっと。殿下に何て口をきいているんだよ。それにしても、さっきのは、ほんとに痛かった。私をわざと無視して会議机に頬をついて【魔鏡】を眺める嘉承の父の姿を見ていると、むくむくと反抗心が湧き上がってくる。
「ロケット猫パンチ発射!」
にゃんころの腕を切り離して、超高速で父様にお見舞いした。
結果は・・・。土の猫が勝てるほど、冥王は甘くないよね。瞬間、会議室の天井にぶら下げられちゃったよ。うわーん【魔鏡】が全然見えない。しょうがないので、にゃんころを諦めて、新たな土人形を作って入り直した。
「不比人、それは錫杖ですわね。何の人形ですの?」
嘉承の火の魔力を持つはずの叔母様が、何故か瑞祥の「良い笑顔」を浮かべながら、お父さまのお膝に戻った私に迫った。
しまった、人形の選択を間違えたよ。
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