第104話 l'enfant terrible

「着いたぞ」


父様の声で目を開けると、どこかの大きな門の前にいた。


「父様、ここ何処?」

摂家せっけ門、うちは、先祖代々、ここから入ることになっているからな」


そう言いながら、父様が降ろしてくれた。


「閣下、私は、陰陽寮の人間ですので、この門から入るのは不敬になります」

「賀茂は、うちの案内人な。二年ほど前に、彰人と挨拶に上がった時に、先帝陛下が不比人に会いたいって仰っていただろう。今日は、嘉承の嫡男が先帝陛下と今上陛下にご挨拶申し上げる。その後で、嫡男が内裏を見学したいと言っても何もおかしくはない。そうすると、内裏には、検非違使の詰め所があったりするわけだな」

「嘉承の君は、初めての帝都で参内だからな」

「そういうことだな、享護。ついでに、検非違使庁にも行きたいと嫡男が言うんだから、しょうがない」

「さようですね。嘉承の君が初めて帝都に来られたわけですから、お望みの場所には、ご案内申し上げないわけにはいきませんね」

「ま、そういうことだ。よろしく頼むな、陰陽頭おんみょうのかみ


あっはっはーと、三人が、摂家門で小芝居をしていたが、ちょっと待った。参内って何?


「父様、私、先帝陛下と今上陛下にご挨拶申し上げるの?」

「おう。着袴も終わったしな。挨拶しておかないと不敬だろ」


いやいやいや、聞いてませんけど。私は、麻生を成敗しに来たつもりだよ。この人、いつも肝心なところで、言葉が足りないというか、わざと言わないで人の反応を見て楽しむ悪魔のような趣味があるんだよ。


「閣下、いらっしゃいませ」

「おお、師宣もろのぶ、まだ生きていたか」


私が、ぷりぷりしていると、白髪で白い御髭のお爺さんが、音もなく現れて、父様に丁寧なお辞儀をした。父様、ちょっとその挨拶、ひどくない?


「はい。老いさらばえてはおりますが、陛下のご厚情でご奉公を許されておりますれば」

「そうか。これが、うちの嫡男の不比人だ。よろしく頼む」


父様が、ご老人の言葉を遮って、私を前に押しやったかと思うと、勝手知ったる顔でさっさと歩き始めた。ええ、ちょっと、歩くの早いって。ご老人がいるんだから、ゆっくりと歩いてあげなよ。そう思うと同時に、師宣と呼ばれたご老人が、すぅーっと滑るように父様の後に続いた。え、お爺さん、めちゃくちゃ早いし、足音がしてないよ?


野分翁のわけのおきなだよ、ふーちゃん。名前の通り、風の魔力持ちで、先帝陛下の侍従長」


享護おじさまが、こっそりと教えてくれた。私以外に【風天】で歩く人を始めて見たよ。父様が、どんどん歩いて行くので、私も【風天】で追いかけると、野分翁が、ぎょっとした目で私を見た。


「失礼しました、嘉承の君。私以外に【風天】で歩く人を始めて見たものですから」

「私、体力より魔力がある方なので、こっちが楽なんです」

「ほぅ、奇遇ですな。私めも同じでございます」


野分翁が、好々爺のようにニコニコしながら、目を細めて私を見た。食えない老人だな。私の魔力をはかっているよ。土御門さんで慣れちゃったから、魔力を視ている目が分かるようになったよ。相手の承諾なしに勝手に視るのは、帝都では失礼じゃないのかな。そう思っていると、野分翁が「ひいいいいっ」と声を上げて尻もちをついた。


しまった、トリさんが悪戯で、「ハーイ!僕、チャッキー!」と挨拶をする、めちゃくちゃ気持ち悪い赤毛の人形の映像を流してしまった。何かよく分からないけど、禍々しい感じの人形だ。トリさん、か弱い老人に容赦がないな。


「どうした、師宣、とうとうボケたか?」

「いいえ、全く。嘉承の君は、本当に公爵閣下にそっくりでいらっしゃいますな」


野分翁が、きっと父様を睨んで立ち上がる。意外に元気そうだな。なるほどね。段々分かってきたよ。うちの冥王様だって、一応、貴族の礼儀はわきまえている。ここまであからさまに失礼な態度を取るということは、つまり、要注意人物ということだ。


「ふーちゃん、ナイス!あの慇懃無礼ジジイに泡を吹かせるなんて流石だよ」


享護おじさまが【遠見】でこっそりと話しかけてきた。何だか内裏って疲れそうなところかも。もう西都に帰りたくなってきたよ。


父様の後をついて、数分歩き続けると、鳳凰と太陽と月の壁画が見事な広間についた。


「公爵閣下、陛下がお見えになるまで、しばしお待ち・・・」


野分翁が父様にかけた言葉が終わらないうちに、「敦人―!」と奥から父様を呼ぶ声がした。

「陛下」と小さく呟いて野分翁が舌打ちをしたのが聞こえた。いやいやいや、陛下の侍従長ともあろう人が舌打ちとかしちゃう?牧田だと絶対に許さない態度だよ。


「ああ、敦人、よく来た」


心の中でぼやいていると、お祖父さまよりも更に年上と思しき老人が現れた。父様とおじさまと賀茂さんが、丁寧に頭を下げたので、私も慌てて、三人にならった。


「よいよい、余はもう皇帝ではないぞ。それより、その子が不比人か。小さい頃の敦人のようではないか」


野分翁と違って、本当に嬉しそうな笑顔で、私に手招きしておられる。えーと。お傍に行ってもいいのかな。もう皇帝ではないと仰るからには、先帝陛下でいらっしゃるよね。


「不比人、先帝陛下にご挨拶申し上げなさい」


間違いない。先帝陛下の曙光寿明様だ。二年前の小野子爵家の外務大臣ポストをめぐる一連の帝都貴族とのゴタゴタに嫌気がさしてご退位された方だ。


「嘉承家嫡男、不比人にございます。先帝陛下におかれましては・・・」


跪いて、挨拶を申し上げていると、突然、がしっとハグをされてしまった。ぐえっ。先帝陛下、お爺ちゃんなのに、力が強い。


「かわいい子ではないか。こんなに小さいのに立派な挨拶もできるか」


まだ挨拶は終わってませんけど。


「野分、案内ご苦労。お前はもう下がるがよい」

「は、陛下」


陛下が野分翁に下がるように命じたので、野分翁は、いかにも不本意という顔をしつつも綺麗なお辞儀をして、音もなく静かに去った。あれ、ダメだよ。牧田なんか一度も不満を顔に出したことなんかないよ。嘉承の魔王と冥王についてて、それって、すごいプロ根性だよね。それに比べて、先帝陛下の侍従長職にある人が、あのレベルなんだ。


「さぁ、不比人、お爺ちゃんとお菓子を食べようぞ」


陛下が、私の手を引いて、奥の部屋に案内して下さった。奥の部屋には、豪華なソファがあって、テーブルには、高級ティーセットの他に、大皿に山ほどお菓子が積んであった。やった。


「さ、不比人は、私の横に座るがよい。敦人も」

「陛下、お茶を飲みに来たわけではありませんよ」

「分かっておる。されど、不比人は連れて行かずともよいのではないか。まだ小さいのに危ないではないか」


あら、先帝陛下、めちゃくちゃ過保護でいらっしゃる。お気持ちは嬉しいけど、私は、悪いやつを殴りに来たんだよ。


「敦人と東条で済ませればいいんだよ。不比人は、そこの賀茂に護衛させなさい。陰陽寮から播磨と葉月も呼ぶかい」


別の観音開きのドアから、父様よりも一回り年上の紳士が現れた。父様が、立ち上がり、また綺麗に頭を下げる。この方はもしや。


「陰陽頭では不比人の護衛にはなりませんよ、陛下」


今上帝、曙光祥明様だったよ。うわーん。いきなり国のツートップに囲まれちゃったよ。お菓子を食べている場合じゃないって。


「そうなのか、賀茂?」


皇帝陛下が、ドアの前で、享護おじさまと控えている賀茂さんに声をおかけになった。


「恐れながら。嘉承の君は、始祖様と同じ完全四属性でいらっしゃる上、放出も全く同じ。魔力量においては、お若い身でありながら、この賀茂を既に遥かに凌ぐ量かと。さらに、霊泉、茶釜、小野の加護をお持ちで、喜代水の五百羅漢も掌握される御方。土御門晴明が、勝負を挑んで、あっさりと負けました」


いやいや、土御門さんは、あっさり負けてないよ。私がラッキーで辛うじて勝ったレベルだよ。賀茂さん、話をかなり盛ってるってば。


「ほぅ、その年で、あの晴明を負かしたか。さすがは、大姫の孫よの」

「あははは、それは愉快。晴明の顔が見たかったなぁ」


そうだった。先帝陛下は、ここにおられる今上陛下よりも、実妹の娘のお祖母さまを溺愛しておられるのは有名な話だったよ。今上帝は、お祖母さまの従弟にあたる御方だけど、お父様が自分より従姉の方を可愛がられて何ともないのかな。


「晴明ごとき敵にもならぬということか。さすがは、お姉様の土と水の魔力。孫の代でも遜色はないと。それは重畳」


うーん。何だろ。今上帝、曙光祥明様から、そこはかとなく、私と同じ匂いがする。


「そうでした、陛下。実は、此度の騒ぎで、母の大事なサンルームが崩壊してしまったんです」


父様が、しれっとした顔で何か言い出したよ。


「何と。あのサンルームがないと、姫が寒い思いをするではないか。敦人、冬が来るまでに、すぐに建て直しなさい。資金は余の私財から出そう」


・・・鬼畜だ。ここに鬼畜というセコイ鬼がいる。あれは、明楽君がガラスを割っちゃったけど、完全に崩壊させたのは、お祖父さまの火なんだから、嘉承の責任だよ。


「ありがとうございます。それで手を打ちましょう。皇弟殿下にはどうぞ、心安らかにお過ごし下さいとお伝え願えますか」


父様、陛下を恐喝してないか。


「敦人、お前は、ちょっと見ない間に、可愛くない子になっちゃったね」


今上陛下が、父様に向かって、露骨にため息をつかれた。皇家を強請るのは、可愛くない子ってレベルでいいのか。父様は、いつものように、長い足を組んで、ぶすっとしている。父様、足っ、陛下の前で足を組んじゃダメだって。


「陛下、お言葉ですが、これは完全に帝都のしくじりですよ。尻ぬぐいで、ここにいる享護も私も、我が子の成長を二年も見逃しました。不比人の着袴も二年も遅れましたし。これは金で済むような話ではありませんよ」

「分かった、分かった。それでは、私からは不比人に着袴の祝儀を送ろう。不比人、何か欲しいものがあれば、何でも言いなさい」


今上陛下が、私にお尋ねになるが、物品とかで欲しいものってないんだよね。


「いえ、あの、私の人生は、料理長と家令と瑞祥の父がいれば、万事恙無く回りますので、欲しいものはございません」

「不比人は、お姉様に似て、誠に無欲で美しい。遠慮しなくていいから、何でもいいなさい」


何でもいいのか、それだったら、一個あるよ。


「そうですか、強いてあげるなら、うちの曙光玉を皇家か陰陽寮で引き取って頂ければ・・・」

「不比人、無理強いした私が悪かったな」


ええっ、陛下、何でもいいって仰ったのに、いきなり遮られちゃったよ。


「そうだ、不比人は、菓子が好きなんだったな。菓子代を送るから、好きなものを買いなさい」


はい、この話は終わり!とばかりに、陛下がお菓子で話を閉じてしまわれた。何か、めちゃくちゃ子供騙しな終わり方だな、おい。


「陛下、恐れながら発言をお許し頂きたく」


賀茂さんが、跪いて陛下に発言の許可を求めた。


「どうした、賀茂?良いぞ」


今上陛下がお許しになると、賀茂さんが、うちのお蔵の秘密をぺろっと報告してしまった。


「1600個。何で、そんなにあるのだ」

「知りませんよ。私の代替えの目録には百個だけだったのが、蔵の中から30個入りが50箱も出て来たので、こっちも持て余しているんですよ。半分くらい帝都で引き取って下さい」

「無理だ、敦人。こちらは20個でも持て余しているくらいだ。絶対に、西都から出すなよ」

「そうだ、敦人、あれは元々、不比等を守るために貴き御方が彼の朝臣に下賜されたものではないか。返上など不敬の極みぞ」


曙光玉、たしか国宝だったよね。持て余しているって、それ、国宝の定義、おかしくないか。


「1600個を内裏に送ろうとするなど、不比人は、なかなかに末恐ろしい子だな」


陛下、さっきまで、可愛いとか、無欲で美しいとか仰っていらしたのに、着地点、そこ?

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