第105話 牛鬼

「さてと、不比人のご挨拶も終わりましたから、本来の目的を遂行させてもらいますよ」

「検非違使佐は、今日は参内して、詰め所にいるようだよ」

「まぁ、内裏にいようが、検非違使庁にいようが変わりませんけどね。帝都全域に魔力を流しますから」

「お前も長人も相変わらず出鱈目なことよの」


 先代と当代の皇帝陛下が、諦めたように溜息をつかれた。


「東宮を後で貸してくださいね。場合によっては、曙光玉も貸してください」

「曙光玉はやる。全部持って帰れ」


 国宝だったよね。すごく大事な玉なんじゃなかったのか、曙光玉。あと、東宮殿下の扱いが軽すぎないか。レンタルできる皇太子なんか聞いたこともないよ。


 父様がさっきの鳳凰と太陽と月の大広間に向かった。陛下方もご一緒にお見えになったけど、護衛とか大丈夫なのかな。父様が、帝都を覆う魔力を放出したら、中々の魔力酔いになると思うんだけどな。


 大広間には、10代の美少年が立っていた。あれは、もしかしなくても、東宮殿下だ。


「公爵、お久しぶりです」

「おう、東宮、今回は悪いな。後で色々と頼むわ」


 ちょっと待った、殿下へのご挨拶が「おう」でいいの?


「この子が、不比人ですか。さすがは、大姫様の血を引くだけあって、すごい美少年だ」


 東宮殿下はおかしな美意識の持ち主なようだ。そんなこと、生まれてこの方、言われたこともないよ。とりあえず、頭だけ下げてよっと。ぺこりとお辞儀をした。


「ごきげんよう、不比人」


 殿下が話しかけて下さったので、私も挨拶を返す。


「嘉承不比人にございます。東宮殿下におかれましては・・・」


 挨拶の半ばで、デジャヴュのように、がっつりとハグされてしまった。これが皇家の平常運転らしい。


「ああ、不比人は、ぷにぷにで可愛いね。こんな可愛い従弟がいるなんて嬉しいよ」


 分かった、この人、デ〇専だよ、間違いない。あと従弟じゃないし。正確には七親等くらいでしょ、ほぼ他人だから、それ。


「不比人、君、何か、変なことを考えていないかい」


 うぎゃああ。東宮殿下もサイキックだった。


「おい、ふー、東宮と遊んでないで、享護とちゃんと【風壁】で防御しろよ。今から【嵐気】と【風天】にちょっとしたアレンジを加えた混合魔法で竜巻を作るから、よく見てろ」


 え、私も防御部隊なの?お父さまがいらっしゃらないから、児童労働状態だよ。


 父様が、何の気負いもなく、いつものように魔力を錬成し始めた。ご覧になった御三方は、呆気に取られているようだった。


「不比人、お前の父親は、もう人間を止めたのか?」


 先帝陛下、それ、私に訊かないでください。


「享護、頼んだ」

「うん。ふーちゃん、私と【風壁】を合わせられる?無理そうならいいよ」

「あ、大丈夫。享護おじさまなら、魔力が真護と似ているから」


 享護おじさまの目が風の緑青に変わると、大きな【風壁】が発現して皇家のお三方と賀茂さんを覆った。うん、魔力量はさすがに違うけど、真護とそっくりだ。これなら問題なし。私も【風壁】を出して、享護おじさまに重ねた。


「あははは。何、この厚さ。魔力もエグイほどに濃厚だね。さすがに敦ちゃんの子だよ」

「よし、行くぞ」


 父様の体が一瞬で青緑のオーラで包まれ、濃密で圧倒的で美しい魔力が、凶暴な龍のようなうねりを持って四方に広がっていった。


「あれ、いつもと違うよ」


 青い竜のうねりの中に微かな、ちろちろとした赤い炎が見える。風の混合魔法じゃなくて、火も合わせているよ、あの人。


「おじさま、あの赤い火は何?」

「ふーちゃん、私に分かるわけがないよ。うちは風の一族だよ」

「そうだけど、おじさま、父様と付き合い長いでしょ」

「いや、あれは初めて見るよ。四つくらい混ぜているのは分かるけどね。もっとかな。賀茂君、分かる?」

「私には四つも見えませんが」

「公爵って、めちゃくちゃだよね。私は属性が違い過ぎてよく分からないけど、帝都が公爵の魔力で完全に覆われているのは分かったよ。この魔力の濃さと大きさは、もう魔王だ」


 焦った顔の賀茂さんと対照的に、おっとりとお笑いになる東宮殿下。


「殿下、うちでは、それは祖父なんです。父は冥王です」

「あははは、それは良いな。魔王は長人か。あれもたいがい酷い男だからな。褒めて良いのは瑞祥の大姫への態度だけぞ」


 先帝陛下が大笑いされた。【風壁】の中は平和だよ。それにしても、先帝陛下は、本当にお祖母さまのことを可愛がっておられるんだな。


「ふーちゃん、ちょっとの間、【風壁】を頼める?父の【遠見】が飛んできた気がする。いったん、外れるね」


 アメーバの分裂のように【風壁】が二つに分かれた。壁を保持するのは、一人でも大丈夫だけど、こんなことなら、奥のお部屋にあったお菓子を持ってくるんだったよ。お腹がすいてきた。

 おじさまが、父様に話しかけているのが見えた。おじさま、よくアレに近づけるよね。私なら、【風壁】を張っても絶対に酔うな。そう思っていると、おじさまが壁の中に戻って来た。


「陛下、殿下、西都から報告がございました。検非違使佐は、もう人ではありません。八百近い人間の魂を取り込んだ牛鬼ぎゅうきが麻生に成りすましているのではないかという疑いがあります」


 何か、また怖い名前が出てきたよ。八百の魂とか、怖すぎるって。ぼよんと私の【風壁】が厚くなった。


「ふーちゃん、落ち着いて。制御が乱れたよ。壁を今より厚くすると、無駄に魔力消耗するだけだからね」


 無理だって。おじさま、私が怖がりなの知ってるでしょ。


「蜘蛛のあやかしか。また、面倒なのが出てきたものよの」


 先帝陛下が顎に手を当て考え込まれた。


「つきましては、我が殿が、西都に残っている西条、北条、南条の召喚許可を願っております」

「許可する、東条、すぐに敦人に伝えなさい」


 今上陛下が即決断された。話が早いな、陛下。ところで、おじさま、私、さっきから、ソロ【風壁】なんですけど。これは、もう、私の担当なの?


「ご即決、ありがとうございます。ふーちゃん、あと100数えたら、解除していいんだって。もう網にかかったらしいよ」

「網?」


 壁の中にいた全員の声が揃った。


「はい、虫取りには昔から網だと我が殿が」

「閣下の網は、虫取り網なんて可愛い代物ではなく、地引網のようなえげつないものではないかと」


 おじさまの返答に、賀茂さんが冷静なツッコミを入れた。それ、今、いる?


「えげつない男よの。帝都中に風を使って、火影ほかげを届けたわ。ただ、蜘蛛は光には無頓着な生き物ゆえ、言霊で呼びつけたか」

「今、おそろしい数の異形がこちらに向かっていますね」


 先帝陛下と今上陛下が、状況を説明して下さった。私の壁の中にいるのに、完全に視えていらっしゃるんだ。そんな高位の魔力持ちを何で、子供の私が守っているのか、意味が分からないよ。お腹がすいたから、もう解除していいよね。


 ほどなくして、父様の青緑の龍のうねりが消えたので、【風壁】を解除した。


「不比人は小さくて可愛いのに、すごい魔力だねぇ」


 すぐに、東宮殿下が頭を撫でて下さった。やっぱりこの方の美的センスはおかしい、一層デ〇専疑惑が深まったな。


 父様が、こちらに向かって歩いて来ると、その両脇に三侯爵がいた。早っ。私が殿下に不敬な疑念を抱いている間に、もう召喚が終わってたよ。


「内裏には陰陽師300人の張った結界があるのに」

「陰陽師じゃ、500人いても敦ちゃんに勝てるわけないよ」


 賀茂さんの驚愕に、享護おじさまが止めをさした。皇家のお三方は、明後日の方角に視線を彷徨わせていらっしゃる。


 父様が私達の方に来ると、三侯爵が跪いた。


「良い、良い。今は礼儀どころではないだろう。我々の警護も良い。自分の身は自分達で守るから、東条も不比人も、敦人についていなさい。敦人の魔力には酔うが、蜘蛛ごときに遅れをとるつもりはないぞ」


 曙光帝国皇帝、曙光祥明は、潔いお方だ。名より実を取るタイプとみたよ。統治者としては理想的だ。


「じゃ、大伯父様も、祥にい様も、ご自分で頑張ってくださいね。俺達、忙しくなるんで」


 げげっ。父様、それ、最大の不敬では。


「敦人、お前の魔力は、えげつないが、相変わらず可愛いやつよの」

「ツンデレというやつだな、分かっているぞ。もうそういう風に呼んでもらえないのかと思っていた」


 両陛下は、すごく嬉しそうなご様子だから、いいのかな。嘉承家の前では、不敬罪はもう完全に形骸化しちゃっているみたいだ。


「不比人、麻生の後ろにいるのは牛鬼だった。お前が始末しろ」

「ちょっと待って。何で?無理無理無理。私はだたの人畜無害な小学生だよ」


 父様の思いがけない言葉に、高速で首を横に振って拒否した。


「賀茂、西都の人畜無害は、帝都の定義と異なるのか」

「いえ、嘉承一族独自の定義かと」


 陛下の質問に真面目な賀茂さんが律儀に答えた。だから、それ、今、いる?


「何でって、今日は召喚と転移の連続で、俺の魔力がほとんど空だからだろ。お前は、嫡男なんだから引き継ぐのが道理だな」

「そんな理不尽な道理、聞いたこともないよ。それは無理ってやつ!」

「ほっほっほ。昔から、無理を通せば、道理が引っ込むというしな。まさに、これよ」


 必死で、父様に訴える私の後ろで、先帝陛下が、雅に扇で口元を隠して笑っておられた。


「ほんに、先人は上手いことを言いますねぇ」


 今上陛下も楽しそうに相槌を打たれた。


 この雅な人たち、状況の深刻さを把握しておられるのかな。冥王の魔力が空で、そこらの七歳児にあとを委ねようとしているんだよ。恐ろしい数の異形がこっちに向かっているって、さっき陛下も仰ってたよね。それで、八百の魂を取り込んだ大妖怪が麻生の後ろにいるんだよね。もう滅茶苦茶だよ。うぐーっっ。


「陛下っ、お菓子、食べていいですか!」


 もう、腹を括った。父様の魔力が空なら、仕方がない。四侯爵と私で迎え撃つしかないんだ。


「ふー、雑魚どもは、享護たちに任せればいい。お前は牛鬼に専念な。織比古、あと何分ほどで来る?」

「三分もないかな。数は、およそ100。後続の方が多いね。一陣に麻生はいないから、私達で対応するよ。ふーちゃんは、お菓子を食べていればいいよ」


 腹は括ったけど、このまるで緊張感のない大人たちに、泣きそうだよ。真剣に事態を心配をしているのは私だけなの?もう家に帰りたい。


「ふー、最後の魔力で、もう一人呼んでやったから、後は本気で頑張れよ」


 俯いている私の後頭部に父様の声が飛んできたので、顔を上げると、牧田がにっこりとして立っていた。


「牧田だーっ!」

「はい、若様。お茶とお菓子を頂きましょうか」


 うんうん。お菓子を食べるよ。せっかくリュックに料理長がいっぱい詰めてくれたのに、あの鬼畜の冥王が300円までって取り上げちゃったから、もうお腹がすいて倒れそうだよ。


 賀茂さんが、苦笑しながら、魔力で奥の部屋にあった豪華なソファセットと、茶器とお菓子の山を移してくれた。


「今回は、これくらいしかお役に立ちそうにないのが口惜しいですね」

「東宮、内膳司ないぜんしに命じて菓子と茶を切らすことなく準備させるように。賀茂、陰陽師に命じて、嘉承の家令に従って運ばせよ」


 陛下が殿下と賀茂さんに牧田の手助けをお命じになった。陛下、牧田のこと、ご存知でいらっしゃるんだ。牧田は何も言わずに、静かに立ったままだ。陛下からお言葉がないから、お礼を申し上げるわけにはいかないからね。でも、牧田、頭は下げなくていいのかな。


「久しいな。状況が状況なので、無礼講でいかせてもらう。不比人の良いように」


 陛下のお許しが出たので、早速、お茶を淹れてもらって、お菓子を頬張った。こうでなくちゃ。


「陛下、牛鬼というのは、牛の鬼と書きますのに、何故、蜘蛛なんでしょう」


 私の前のソファに腰を下ろした東宮殿下が、牧田の淹れたお茶を優雅に飲みながら、陛下にお尋ねになった。


 ちょっと、待った。何で皇家のお三方まで、一緒になって、牧田のお茶を飲んでいるの。もう、これ、お茶会だよ。異形の大群が来るんでしょ。分かってるのかな。不敬だけど、曙光皇帝チーム、雅びが過ぎて、めちゃくちゃ心配になるよ。


「牛鬼は土蜘蛛ぞ。賀茂、説明してやれ」


 賀茂さんの、殿下向けの丁寧な言葉の説明を、かいつまむと、土蜘蛛という妖が、人を襲って魂を取り込むと、どんどん大きく進化していき、眷属も増やしていくそうだ。だいたい、800人で牛鬼という、真っ黒な棘をもつ巨大な蜘蛛になるらしい。ただ、この800という数も、だいたいだそうで、魔力持ちの魂を取り込むと、格段に成長が進む。牛という名前は、その醜く盛り上がった顔の様子と体の大きさから来ていると言われている。 


「蜘蛛だけに、眷属がもの凄い勢いで増えていきます。それから、魂を取り込まれて、蜘蛛の子の養分にされてしまうと、遺体が完全に炭化します」


 賀茂さんの最後の言葉に頭を殴られたような衝撃を受けた。


「末の君・・・」

「そう。だから、閣下は、ふーちゃんに麻生を任せたいとお考えなんだと思うよ」


 小野の鷹邑卿を真っ黒な遺体にして、小野一族に地獄の二年を齎した元凶か。分かったよ。怒りで血なのか、魔力なのか分からないが、私の中で何かが激流のように滾り出した。


「牧田、お替り!」


 お茶を牧田にもらって、稲荷屋のお狐様饅頭をもう一つ頬張った。賀茂さんが、静かに、水の魔力で結界を張ったのが分かった。私の中から出てきた魔力に酔わないように、陛下方をお守りしているようだ。牧田は、全く動じることなく、いつものように穏やかな笑顔で給仕を続けているけど。


「麗しくないお客さん達のご到着だよ!」


【遠見】であたりを探っていた南条侯爵の声が飛んだ。既に、両手には深奥【風鞭ふうべん】がある。


「よっしゃ、一陣は西条に任せて」


 西条侯爵が、深奥【火箭かせん】を発現させた。百を超える火の矢が宙に留まり、静かに敵を待っている。西条が前衛を担い、その斜め後で南条が両手に風の鞭を持って陣取る。冥府の王のように腕組みをして立つ父様の左右を、【火扇ひせん】を持った北条侯爵と、大太刀【志那津しなづ】を左手に持って肩にかけた東条侯爵が守る。


「ほぅ、嘉承の四傑の深奥か。これは見応えのあることよ」

「賀茂、手すきの陰陽師を全て集めよ。これほどの学びは一生にあるかないかだ。聖明まさあき、しかと目に留め、記録に残せ」


 先帝陛下が感嘆されると、今上陛下が、賀茂さんと東宮殿下に、またお命じになった。確かに、これは私だって初めてだ。ちゃんと見ておいて、明楽君と真護に伝えないと。宵闇の君、回復してたら、私の記憶を、ちゃちゃっと【魔鏡】で二人に見せてあげてくれないかな。


「おい、変なのも来たぞ」


 父様の声が聞こえた。変なの?

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