第101話 錯乱
お父さまが、深瀬刑事の額にすっと手を翳して、赤く腫れあがっていた部分が元に戻った。むしろ前よりきれいになっているような気もする。
「やっぱり水の魔力は優雅だよなぁ」
「品がいいわな」
おじいさま達には、水の魔力に謎の憧れがあるようだ。そう言えば、土御門さんとチェス対決をした時に、当代のおじさま達も水の播磨さんの駒の使い方にめちゃくちゃ文句を言っていた気がする。
「あ、そう言えば、賀茂君も水の家の子だよね」
西条の博實おじいさまが、ぽんっと手を打ったので、四侯爵家の先代の視線が賀茂さんに集まった。
「いえ、あの、うちは、水ですけど、皆様が仰る瑞祥一族のような優雅な水の魔力持ちというより、先祖代々、魔力の研究ばかりしている気の利かない学者一家でして、・・・」
ぎくりとした賀茂さんが、顔を引きつらせながら後ずさりをする。
「賀茂君、最近、肩が上がらなくて」
「私は膝が痛いんだけど」
先代侯爵たちに四方を囲まれて、逃げ場をなくした賀茂さんに、土御門さんが、静かに合掌していた。この人、上司を売っちゃったよ。
「土御門さん、賀茂さんが助けて欲しそうだよ」
「やだな、ふーちゃん。私は、ふーちゃんのお祖母様から、一ヶ月は絶対に魔力は使わないようにって、あの良い笑顔で言われた身だよ」
確かに。先代の四侯爵VS瑞祥の大姫だと、問題にならないよね。迷わず後者に従うよ。
「義之、ボケじじいどもには、賀茂の雷でも食らわしとけ」
「あれは、うちの最終奥義ですから、ぽんぽん出していたら魔力器官が何個あっても足りませんっ!」
賀茂さんのお家は、雷が使えるんだ。カッコいい。気ままな嘉承一族に巻き込まれて、カッコウの賀茂、じゃなくて、格好の鴨、まさしく侯爵達の餌食になった陰陽頭。完全崩壊したサンルームの中で、盛り上がるおかしな大人たちを前にして、深瀬刑事は、完全に目が泳いでいた。
「あ、あの公爵、その、これは一体?爆発事故でもあったんでしょうか」
「そうですね。ちょっと魔力の暴走が起きた程度ですので、どうぞ、お気になさらないでください」
「ちょっとですか」
「ええ、ちょっとです」
お父さまがニコニコしながら言い切ると、さすがのベテラン刑事も勝てなかったようだ。
「公爵様、さっきのあれ、魔法ですよね。痛みが完全に消えました。ありがとうございます」
深瀬さんが、主人を見つめる忠実なわんこのような目でお父さまにお礼を言うと、壮大な音楽と共に「彰人は仲間をゲットした」というメッセージが流れてきた。トリさんが何を言いたいのか分からないけど、また「お支えする会」の会員が増える気はする。
【風壁】が解除されて、ぐったりと疲れ切った様子の高村愛を南条家の二人が両脇を支えて、別の部屋に連れて行こうとした。賀茂さんの説明によると【魔鏡】で記憶を見られると、使用された魔力量が少ないと、受け手の負担が酷くなり、錯乱など、精神に悪影響を与える恐れがあるらしい。これが昔から闇の魔力が疎まれる理由の一つだそうだ。そのため、現代では、闇の魔力持ちの中でも、一定の基準を越えない魔力量の者は【魔鏡】の使用を禁じられているそうだ。陛下のように魔力量が多い場合も然りで、以前、おじさま達が仰っていたように「適当な魔力持ちを見繕う」ことが【魔鏡】では重要だった。宮様は、残念ながら、予想よりも魔力が少なかったみたいで、その弊害が高村愛に見られた。それについては、こちらの見込み違いなので、気の毒な気はしないでもないけど、それでも、明楽君に対するあんな態度は、どんな事情があっても許されないと思う。
南条家と高村愛の後ろを、お父さまと深瀬刑事が続こうとすると、バタバタとこちらに向かってくる足音がして、本体の峰守お爺様が現れた。
「ちょっと、これ、誰がやったの!」
峰守お爺様のお顔に、ハロウィーン風にプロ並みのゾンビメイクが施されていた。峰守お爺様が、着ていらしたシャツまで、衣装に着替えさせられて、結構なゾンビ感だよ。何をやってんのかな、嘉承公爵と愉快な侯爵達は。小野家の意識のない三人を酒の肴に、いまどき小学生でもやらないような悪戯で大盛り上がりしていたに違いない。三侯爵がお酒や食べ物を大量に持ち込んできた時に気づくべきだったよ。
「誰の仕業かって聞いているんだけど」
むっとした声で、詰問する峰守お爺様を見て、狂ったような悲鳴が上がった。
「いやあああああ、来ないで」
高村愛だ。首を横に振りながら後ずさりして、織比古おじさまと、佳比古おじいさまの腕をふりほどいて逃れようとする。
「小野先輩、あたしじゃないです。ほんとです。あたしは悪くないんです」
高村愛は、ほとんど半狂乱と言ってもいいほどにガタガタと震えて、足がもつれて、床に強かに尻もちをついた。それでも、這うように峰守お爺様から逃げようとする。
それまでの軽妙で陽気な場の空気が一瞬で変わった。
小野の末の君ご本人に、私たちは会ったことはないが、小野子爵と二の君は、顔立ちも小柄でスリムな体形も声も、峰守お爺様とそっくりだ。魔力属性も同じで魔力量もほとんど変わらないので、オーラ、雰囲気までこの三人は本当によく似ている。末の君も、峰守お爺様によく似ていたという理由で、高村愛に気づかれないように三人が猫になっていたくらいだ。
ましてや、ゾンビメイク。高村愛が峰守お爺様に誰を見て半狂乱になっているかは明白だ。いつもは、好奇心がいっぱいの柴犬のような丸くて黒い目の峰守お爺様の目が怖いくらいに鋭くなった。
「高村さん、相変わらず、自分だけは悪くないと思ってるんだ。罪の意識はないの?僕はね、高村さんに自分の罪を償ってもらわないと気が済まないよ」
これ、峰守お爺様は、末の君のふりをしているんだよね。緊張のあまり、誰も何も言わない。
「違います、あたしじゃないです。小野先輩も分かっているじゃないですか。全部、麻生のしわざです。あの男が先輩を撃ったのを見たら、あたしは、もう怖くて怖くて、従うしかないじゃないですか。あたしは、小野先輩と速水先輩の赤ちゃんを盗んだけど、今までちゃんと育ててあげたじゃないですか。あたしは、悪くないです」
高村愛が、錯乱状態で叫んだ言葉に全員が息をのんだ。
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