第100話 風壁
「魔力反応がない」
賀茂さんと土御門さんが、瞠目し、ふらふらと立ち上がった。
「うわあああああん。お祖父さまの馬鹿っ。大馬鹿大魔王っ。峰守お爺様が死んじゃった」
私が泣き叫ぶ姿を見て、明楽君に正気が戻ったのか、ぺたりと床に座り込んだ。すがりついていた高村愛をふりほどいて、「猫ちゃん、どうなっちゃったの」と怯えた声で、周りの大人たちの顔を見た。小野子爵と二の君が明楽君に飛びついたのが見えたが、すぐに涙で視界がぼやけて、よく見えなくなった。
「誰が、大馬鹿大魔王だ、クソガキ」
お祖父さまが、ぎりっと睨んだけど、怯むもんか。いくら大公爵家だって、やっていいことと悪いことはあるんだよ。
「ふー、落ち着け。お前が魔力暴走したら、色々と変な加護を抱えているから面倒だろうが」
その加護を与えたうちの一人が面倒くさそうに溜息をついた。
「ふーちゃん、うちの父なら大丈夫だよ」
「うん、食堂で悔しがってる。【遠見】で見てみなよ」
へ?
今、小野のにゃんこ兄弟が何か変なことを言った。明楽君も陰陽師ペアもきょとんとしている。
「ふーちゃん、なー君の火の色、見てなかったの?赤い時は、全然、本気じゃないよ」
「本気の時は、青白いから、峰守の【風壁】でも瞬殺だ」
博實おじいさまと時貞おじいさまが、親切に、他にも火の魔力について色々と説明して下さるけど、その姿はどう見ても、二体の幽鬼だった。二人ともダラダラと血を流しながら仰るから、怖すぎて、何も頭に入って来ないよ。
「あの、おじさま達、子供たちが怯えていますので、せめて血だけでも洗わせて頂けませんか」
真護は、周りを見るのが怖くて、お父さまの胸に顔をぴったりと押し付けて動かなくなっているし、明楽君は、小野のにゃんこ兄弟をがしっと抱いたまま固まっている。うん、気持ちは分かる。大人の賀茂さんと土御門さんもドン引きして、口がきけなくなっているくらいだからね。とりあえず【遠見】を飛ばすと、峰守お爺様の本体が、ソファの上で俯せになって、両手をぼすぼすとソファに叩きつけていた。
「赤い火だから大丈夫だと思ったのに、また押し負けた。悔しーっ。鷹邑にカッコいいとこ見せたかったよーっ」
小野一族は、峰守お爺様だけが、まともな人だと信じていたけど、よく考えたら、あの残念兄弟の実父だもんね。「また」って、何だよ。私の涙を返してよ。いきなり放出されたアドレナリンが、私の中で行き場をなくして、急速にものすごい脱力感に変化して倒れそうだ。そこに、お父さまから清涼な魔力が飛んできて、涙で、かぴかぴになった私の顔と、血まみれ老人達のお顔を洗い流した。気持ちが妙にしゃきっとしたので、軽い【回復】との混合魔法だったみたいだ。
「彰人、クソガキとボケじじいどもを甘やかすな」
大魔王様は、まだご立腹のようだ。めちゃくちゃまずいよ。大馬鹿とか言っちゃったし。
「まぁまぁ、なー君、この年になると、小さな傷でも治りが遅いんだよ」
「治っても、痕になったり、シミになったりするから、水の魔力は大助かりだ」
「おお、ご婦人達が目を変える、アンチエージングってやつだな」
「水の魔力持ちっていいなぁ。一家に一人は欲しいよなぁ」
先代の侯爵達が、普通に会話をしているので、フリーズから再起動した賀茂さんと土御門さんが、私のことを、ものすごく気の毒そうに見た。はい。お二人の仰りたいことは、だいたい分かります。すごいな、サイキックじゃないのに、陰陽寮ペアと以心伝心が出来ているかも。
「猫ちゃんは、僕を守ってくれた、あの猫ちゃんは、死んじゃったの?」
おかしな会話をしている老人達の横で、動揺と混乱で震え出した明楽君の大きな目から、ぽろぽろと涙が流れた。
「鷹邑、父上なら、ケロッとしているから、全く心配ない」
「ふーちゃんみたいに、魔力を辿って【遠見】で見るといいよ」
小野兄弟が、立ち上がって、明楽君を慰めようとした。小野兄弟、あれだけ約束したのに、直立して、ぺらぺらと喋り出しちゃったよ。
「いやああああああっ、化け猫」
高村愛がものすごい大声で叫んだかと思うと、金切り声で明楽君に命じた。
「明楽、化け猫よ。切り刻んでやっつけて。お母さんがいなくなってもいいの?」
高村愛の声に、明楽君が反応して、またその小さな体から緑青の魔力が漏れ出した。
「不比人、明楽を止めろ。明楽の魔力器官が焼き切れる」
珍しく焦った父様の声に、考える間もなく、がっしりと明楽君の小さな体を抱きしめた。そうだ、あれだけ大きな魔力で【風切り】を放った直後だから、また同じことをすると、魔力器官が壊れる。
「明楽君、落ち着いて。にゃんこ達は、化け猫なんかじゃないよ。土人形だよ。私のゴーレムで土の魔法は見たことがあるよね」
私が明楽君の耳元で、そう言うと、緑青の魔力が小さくなって言った。
「明楽、何をしているの、早くしなさい。あんたみたいな化け物と、あたし以外の誰が一緒にいてくれるの。一人で野垂れ死んでもいいのね」
高村愛は、もう完全にヒステリーを起こして、さっきまで宮様やお父さまに見せていた姿は消え去り、完全に自制をなくしている。それに応じて、明楽君の魔力がまた漏れ出した。
「明楽君、落ち着いて。皆が明楽君の傍にいるよ。明楽君には、ちゃんと家族がいるんだよ。お父様もお母様も、お兄様だって二人もいらっしゃるんだ。思い出してよ。西都に来てから、明楽君に魔力があるから、化け物って言った人がいた?いないよね、そこの高村愛以外は」
自分の声が、高村愛の名前を出したとたんに、はっきりと分かるほどに、冷たいトーンになった。ダメだ、これじゃ、明楽君を説得できない。高村愛が魔力持ちを化け物と言うから、感情が引っ張られた。
「明楽君、制御だよ。ふーちゃんと僕と三人で、魔力制御を完璧にして、【風天】を覚えて、空を飛ぶんだよね」
真護が、飛んできて、私の横で叫んだ。明楽君の体がぴくりと反応した。
「空を飛ぶ?」
明楽君の両目が緑青から、いつもの明るい茶色に戻って、ほろりと涙が流れた。
「そうだよ、明楽君。私と真護と空を飛ぶって約束したよね」
「三人で飛んだら、楽しいよ」
真護も必死に言う。
「うん、僕、ふーちゃんと真護君と空を飛ぶ」
そう言って、明楽君が泣きじゃくりながら、私の肩に顔を埋めて来た。その背中を、必死で【仄火】を纏った体で摩った。わんわんと赤ちゃんのように泣き続ける明楽君を、真護も、一緒になって、摩ってくれた。
「大丈夫、大丈夫」
そう繰り返し言いながら、真護と二人で、明楽君を摩り続けていると、どれくらい時間が経ったのか、鳴き声もしゃくりあげも、次第に収まってきた。そして、完全に静かになったかと思ったら、明楽君の体が、ずんっと重くなった。うげっ。
「寝ちゃったよ」
小野兄弟が心配そうに、寝落ちした明楽君の顔を覗き込もうとする。
「ふーちゃん、東条の君、ありがとう。本当に、何てお礼を言っていいのか分からないよ」
小野子爵と思しきにゃんこが、深々とお辞儀をした。
「私からもお礼を。猫ちゃんじゃなくても、命のある限り、ふーちゃんについていくよ」
いや、二の君は、ついて来なくていいです。私に感謝しているなら、西都から遠く離れた帝都で、お仕事頑張ってください。
「ふーちゃん、今、何か失礼なこと考えているよね」
二の君もやっぱりサイキックだった。
「よくやったな、クソガキどもが!」
「おう、よく頑張った」
大きな手が二つ、首がもげそうなくらいの勢いで、私の頭をぐりぐりと撫でた。うちの最凶山賊親子だよ。真護は、誠護おじいさまと享護おじさまに羽交い絞めにされている。愛情表現が、ちょっとおかしくないか、嘉承一族。
ちょっとの間、心の中に虚無感を漂わせていると、お父さまの魔力が流れたのを感じた。明楽君の泣いて腫れあがった瞼や頬を冷やして下さったらしい。にゃんこ兄弟がぺこりとお辞儀をしてお礼を言っている。
「兄様、お疲れでなければ、深瀬刑事も、ここに呼んで頂けますか」
お父さまが、良い笑顔で、父様に依頼した。出たよ、瑞祥の良い笑顔。西都で一番優しい大公爵は、一番怒らせたら怖い人でもある。
「お、おう」
父様も、ちょっと腰が引けている。というか、父様以外、全員、確実に1メートルほど後退している。小野のにゃんこ兄弟、私について行くって言った舌の根も乾かぬうちに、さっさと逃げてないか。やっぱり外交官は二枚舌なのかも。ところで、私の父様の加護、お父さまの魔力にも効くんだよね?
「兄様、いきなり召喚せずに、【遠見】できちんと不都合がないか確認してくださいね」
「おう」
父様、さっきから「おう」しか言ってないし。
「ああ、大丈夫そうだな」そう言って父様の目が緑青になった途端に、「えええっ」と男性の大きな声が聞こえた。高村愛の記憶より、少しだけ老けた深瀬刑事だ。某コンビニのグリーンの熊ちゃんがついたレジ袋を手にぶら下げている。あ、あれ数量限定のやつだよ。羨ましい。
「え、俺、今、コンビニから出たよな」
きょろきょろと周りを見回す深瀬刑事に、お父さまが声をかけた。
「深瀬さん、突然、申し訳ありません。私は瑞祥彰人と申します。どうしても深瀬さんにご協力を頂きたいことがございまして。不躾ですが、先ずは、私共の事情を聞いて頂けませんか。今日中には必ず無事にご自宅にお送りしますので」
「え、え、瑞祥って、公爵様ですか」
「はい、皇帝陛下から公爵位を拝命していますが」
お父さまが答えると、深瀬刑事が、がばりと土下座をした。
「公爵様、ありがとうございます。公爵様の恩情で、親父が助かりました。妹は送って下さった絵本を今でも大事にしています。俺も公爵様のおかげで大学に行けました。ずっとお礼を直接申し上げたいと思っていたら、まさか、コンビニでご本人様にお会いできるとは」
いやいや、刑事さん、こんな風雅な麗人、コンビニにはいないでしょ。周りを見ようよ。
「深瀬さん、どうぞ、立ってください。失礼ですが、深瀬さんは、おいくつですか」
「俺、いえ、私は今年で50になりました」
「それですと、深瀬さんをお助けしたのは、私ではなく、祖父ですね」
「え、公爵様のおじい様ですか」
「はい、私は、深瀬さんより年下ですので、深瀬さんが大学に進学された頃ですと、高校生でしたから」
「でも、御視察に来られた公爵様ですよね。いや、あれは三十年以上前だから、ご本人なわけないか」
狐につままれたような顔をして、深瀬刑事がお父さまの顔を見た。
「ああ、オーラか。そう言えば、瑞祥のお父様と彰人はそっくりなオーラだな」
お祖父さまが、呟いた。そうだよ、嘉承のカッコウの伝統で、うちの大魔王も、瑞祥で養育されていたんだった。お父さまによく似た瑞祥の曾祖父に育ててもらって、何で山賊になるかな。
「ふー、お前、今、失礼なことを考えてないか」
しまった。ただの山賊じゃなくて、サイキック山賊だった。峰守お爺様のにゃんこみたいに、焼かれちゃうよ。ただでさえ、文福叔父様の【火伏せ】の加護の威力を試したがっている人なのに。
「ああ、深瀬さんは、領地の方でしたか。それなら、魔力のことも、よくご存知ですよね。実は、深瀬さんもよく知っている、この女性なんですが、少し話を聞きたいことがあるので立ち会って頂けませんか」
お父さまが立っていた位置をずらして、高村愛のいる方向に視線を向けた。
「あれは、高村愛ですよね」
とたんに深瀬刑事の目が、険しくなった。
「ええ、そうです。あれから何年も経っているのによく分かりましたね」
「あれほど気持ちの悪い事件はなかったからですよ。あれほど腑に落ちない事件も、悔しい事件もありませんでした。公爵様、あの女に何をお聞きになるんで?」
「真相です」
「それなら、こちらから立ち合いをお願いしたいくらいです」
深瀬刑事が、高村愛を睨みつけたまま、歩みを進めた。そして、ごつんと大きな音を立てて何かにぶつかって、痛みに悶絶しながらしゃがみこんだ。
「皆さん、いい加減【風壁】を解除してくれませんか。11枚の【風壁】なんて、私でも払えませんよ」
えへへ。お父さま、ごめんなさい。だって、高村愛がきーきーと五月蠅かったんだもん。お祖父さまと、父様と、誠護おじいさまと、享護おじさまと、佳比古おじいさまと、織比古おじさまと、小野子爵と、良真卿と、峰守お爺様と、真護と私が犯人だ。
ね、明楽君。皆、明楽君の傍にいつもいて、君をちゃんと守っているからね。
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