第99話 魔王降臨

「宵闇の君だと、やっぱり魔力量が足りなかったな」

「もうちょっと全容が分かるところまで見せてくれれば、立件が楽になったのに。帝都育ちは、詰めが甘い」

「内裏に行って、東宮でも拉致ってくるか?」


嘉承の三侯爵が、陰陽師を含む現役の上級国家公務員が三人もいる前で不穏な話を始めたので、慌てて話を遮った。東宮殿下を拉致なんかしたら、それはもう、謀反だよ。


「それより、高村愛をどうするの?宮様が魔力切れを起こしたから、明楽君と香夜子姫も起きちゃうよ」


私がそう言うと、小野にゃんこーズが、またオロオロと私の周りをまわり出した。だから、それをやってもバターになっちゃうだけだって。


「東宮を拉致って来るのは、後だな。香夜子姫は、とりあえず宵闇の君と寝かせてればいいだろ。明楽は、そもそものところで、小野の人間なんだから、小野チームが回収しとけ」


父様、皆の扱いが雑過ぎるよ。それと、東宮殿下は後で拉致ってくるってどういうことなの?もう、嘉承一族が色々とダメ過ぎて、つらいよ。いよいよ、巨大ゴーレムを作って、牧田と料理長と逃げる算段をしておかないと。


「それでは、宮様が動けるようになるまで、董子に香夜子姫の傍にいてもらいましょう。宮様のお世話はさとしに頼みます。明楽君のことは、やはり小野家にお任せするのが一番ですね」


お父さまの横で、小野にゃんこーズが揃って、うんうんと頷いている。悔しいけど、かわいいな。いつものお父さまのレスキュー隊が現れて、宮様を運び出した。宮様の横で、お菓子や紅茶を給仕していた牧田が、お父さまに礼をして部屋を出て行ったので、一事が万事、上手くやってくれるだろう。やっぱり、うちで一番頼りになるのは牧田なんだよ。お父さまの侍従として、息子の智も頑張っているけど、瑞祥じゃなくて、嘉承の三代に耐えた牧田の経験値には遥かに及ばない。代替わりの時は、お蔵の宝物と呼ばれる迷惑な代物なんかじゃなくて、一番に牧田の雇用契約を譲渡してもらわないと。


私が両手をぎゅっと握って決意を固めていると、ちょんちょんと背中をつつかれた。振り向くと、小野のにゃんこの一人が立っていたが、誰か分からない。


「ふーちゃん、あみだくじ作ってよ」


あ、これ二の君だよ。こういう突拍子もないことを躊躇うことなく頼んでくるのは、小野良真卿に間違いない。


「何ですか、それ?」

「三人とも、鷹邑の方に行きたいんだけど、一人は嘉承にくっついて動向を知るべきだと思うんだよね。誰が嘉承にくっついて行くか決めようと思ったら、猫の手だとじゃんけんが出来ないことに気がついたよ」


それで、あみだくじな訳ですね、はいはい。とは言うものの、私たちは今、瑞祥の瀟洒なサンルームにいるので、紙とペンが手元にない。牧田は、さっき出て行っちゃったしね。自分の部屋から取ってくるか。


「それなら、関節を増やして可動域を広げた方が早いですよ。二の君、手を出してもらえますか」


お父さまが、笑顔で掌を上に向けて、二の君に差し出した。二の君が、両手を、ちょんとその上に載せると、お父さまが、にゃんこの手を、にぎにぎとしながら魔力を流しているのが分かった。その様子を見ていると、私の頭の中に「何ということでしょう。匠の技で、にゃんこの手が自在に動き、チョキも出せるようになりました」と、おかしなナレーションが、ご陽気な音楽と流れてきた。


トリさんだ。トリさんが、復活したよ。何が言いたいのか分からないけど、久しぶりの彼女の謎過ぎるツッコミに、高村愛の記憶を見て気持ち悪かったものが、一気に消えた。さすがは、トリさん。でも、トリさんには、私の食い意地を操って子豚にしている呪いの疑惑があるから、後で問いたださないと。場合によっては、喜代水案件にするからね。


改造が終わった二の君が、嬉しそうに、グー・チョキ・パーをしている横で、小野子爵と峰守お爺様も、大人しくお父さまに両手を握られていた。


「猫の手を魔法で改造する方が、あみだくじを作るより簡単なのか。簡単の定義がおかしくないか」

「あれ、見た目はほのぼのしているけど、めちゃくちゃ複雑な魔法だから」


陰陽寮の二人が疲れ切った声で言った。はい、仰りたいことは、私も土の魔力持ちなんで、よく分かります。


「あとは、高村愛だな。速水家はもう貴族ではないから、検非違使の管轄を外れるんだが、警察に、いちいち事情を説明するのも面倒くさいな。彰、あの深瀬という刑事、あいつ、瑞祥の領地の人間じゃないのか?」


出たよ、お父さまのいつもの悪い癖。この人、本当にこれがなかったら、帝国随一の魔力の使い手として、国中から畏怖と敬意を集めているはずなんだよ。


「そうですね、苗字がサンズイの字を二つ使っていますから、うちの領地の人間かもしれません。そうでなくとも、出自は確実に瑞祥の領地に所縁があると思いますよ」

「よし、じゃあ、帝都から引っ張ってくるから、彰が、事情を説明してくれ。それで、さっさと高村愛を引き取ってもらう」


いやいや、父様、それ、雑過ぎ。今時、子犬の譲渡だって、もう少し慎重だよ。


「ダメだよ。いきなり高村愛がいなくなったら、明楽君がショックを受けちゃうよ」

「それは小野の責任だろ」

「そうだけど、もうちょっと丁寧にやってよ」


私は、怖いんだ。明楽君がショック状態になったり、恐怖を感じたりすると、あの子の魔力が暴走しそうな気がする。土御門さんが教えてくれた播磨さんたちが病院送りになった話、あれは、認めたくないけど、私も明楽君だったんじゃないかと思う。その可能性が認められると、明楽君は陰陽師を襲った罪に問われる。子供だから、どこまで見逃してもらえるのか。お父さまに訊いたら教えてもらえると思うけど、口にするのが怖い。


「ふーちゃん、ありがとう。小野の子のことは、私達でちゃんとするから大丈夫だよ」


峰守お爺様が私を見上げて仰った。峰守お爺様が傍にいて下されば大丈夫だと思うんだけど、子爵と二の君がなぁ。じゃんけんじゃなくて、投票にしてよと思っているのは、私だけじゃないはずだ。


「兄様、南条侯爵を戻して下さい。高村愛と話をしようと思います。ただ、彼女がどう出てくるのか分からないので、女性の扱いに慣れた南条家に付き添って頂きたいんです」

「彰、あの女なら、南条に任せておけばいい」

「そうだよ、彰ちゃん。なー君の言う通りだよ。私と織比古で彼女と話をするから」


お父さまの意図はどうあれ、あの記憶を見た後だと、高村愛が何を言い出すか分からないという不安がある。過保護なお祖父さまと父様が、お父さまのお耳に入れたくないような言葉が、ばんばんと出て来そうで、私も嫌だな。


「ふーちゃんは、明楽君のメンタルが心配なんですよ。彼の気持ちと、高村愛が今までのことをどう考えているか次第ですが、場合によっては私が弁護を引き受けようと思います」


お父さまは、法人弁護士だ。瑞祥と嘉承の関連の法人の法律顧問をしておられるので、個人の弁護、特に刑事事件は引き受けないのに、今回は、明楽君のために高村愛の弁護を申し出られた。


「お父さま、ありがとう」


いまだに引っ付いている真護に離れてもらって、立ち上がってお礼を言うと、小野のにゃんこーズも、私の横で一緒に深々とお辞儀をしていた。お父さまは、ちょっと照れて、「まぁ、そもそものところで、本人からの依頼がないと始まりませんけどね」と仰った。うん、それはそうだよね。妖蛾の影響は取れたと言っても、高村愛には、貴族に対する根強い反感があるから、都の公達の頂点、ザ・雅なお父さまだと断る可能性の方が高いよね。


「分かった、彰、織比古を召喚してやる。ここでいいのか?」

「そうですね、高村さんの意識がそろそろ戻るでしょうから、こちらでお願いします。兄様たちは、評定で食堂に戻るんですよね」


お父さまたちの気負いの欠片もない気軽な態度に、賀茂さんと土御門さんが、私の後ろで、ぼそぼそと会話を始めた。


「晴明、間違っていたら、言ってくれ。召喚は、始祖様がお使いになっていたという伝説の魔法だったな」

「そう陰陽大学校では習いましたが、教科書を改訂しますか」

「対象をピンポイントで呼び出すなんて聞いたこともないぞ」

「魔法陣を使っても大変なのに、座標軸を頭の中で設定しているってことですよね」

「帝都に帰ったら、教科書だけではなく、陰陽寮の研修と大学校のカリキュラムを検討しないといかんな」

「義之さん、あんなの目指したら全員、魔力変換器官が焼き切れますって」


何かよく分からないけど、帝都の陰陽師の皆さんには申し訳ないことになるような感じがする。父様の周りでふわっと風が流れたかと思うと、南条の織比古おじさまが、手を振りながら現れた。一方の手で、やたらと大きな紙袋を持っている。


「いやあ、抜群のタイミングだよ、敦ちゃん。ちょうど、買い物が終わったところ。今回は、結構な距離を弾かれちゃったから、せっかくなんで観光しながら戻ろうかなぁと考えていたら、すぐに召喚がかかったから、ちょっと残念。はい、ふーちゃん、これ、お土産ね。で、私は何をすればいいの?敦ちゃんが呼び戻してくれたってことは、何かお仕事があるんだよね?」


おじさま、召喚に慣れ過ぎだって。陰陽寮の二人と小野のにゃんこーズがドン引きしてるよ。私は、頂いたお土産の方が気になるけどね。


「牛タンと笹かまぼこだ。わーい。おじさま、ありがとう」


私がお礼を言うと、また後ろで、ぼそぼそと陰陽寮の二人会議が始まった。


「あれがお土産って、どこまで飛ばされていたんだ」

「義之さん、あれは、どう考えても、帝都を越えて、せん・・・」


賀茂さんと土御門さんの顔色がどんどん悪くなっているようだ。嘉承一族では、日常茶飯事なので、さっさと食堂に戻って牛タンと笹かまを肴に飲みなおそうという話で盛り上がっている。

私と一緒にお土産の袋をのぞきこんでいた小野の二の君(推定、でもほぼ確定)の耳がぴくりと動いた。峰守お爺様と小野子爵と思しきにゃんこーズも立ち上がっている。


「ふーちゃん、鷹邑が起きたみたい」

「こっちに来るね」


パタパタと子供の軽い足音が聞こえると、明楽君がものすごく焦った顔でサンルームの入り口に現れた。明楽君は、周りに魔力の制御を指導する人がいなかったばかりか、魔力を隠して育ってきたので、感情のままに魔力が出てしまう。今も明楽君の体が風の青緑の魔力に覆われている。確かに、七歳児にしては、真護のそれをはるかに凌駕しているな。やっぱり小野の末の君なんだという確信が悲しいよ、明楽君。


「ふーちゃん、ちょっとマズイ感じだよね」


真護が、また引っ付いてきたが、お父さまが、怯える真護を自分の方に引き寄せて下さった。幼稚舎の頃から可愛がって下さっているお父さまなので安心するよね。でも、真護が怯えるほどに、明楽君は危うくなっている。あれは、魔力暴走の一歩手前だ。


「お母さん、お母さん」


明楽君が、必死の形相で、呆然自失状態で座っている高村愛を揺すぶると、目の焦点があい、はっきりと意識を取り戻したのが分かった。


「明楽、助けて。お母さん、この人たちに酷いことをされて」


ええっ、ちょっと待った。魔力暴走を起こしそうになっている明楽君にそんなことを言っちゃう?高村愛は、明楽君にすがりついて、おいおいと泣き出した。


「闇の【魔鏡】だけど、使用した魔力が弱いと、受動側には【魔鏡】が発動している間の記憶が残ってしまうんだよ。トラウマのことも考えて、陰陽大学校では、魔力量を上げて記憶が残らないように教えているんだけど」


賀茂さんが困り顔で説明してくれた。


「宮様、使えねー」


東条侯爵が呆れたように言った言葉が終わらないうちに、もの凄い風圧の魔力が飛んできた。ガシャーンと大きな音が響く。サンルームのガラスが割れた。家具もティーセットも何もかもが切り刻まれている。【風切り】だ。


「七歳児がこの【風切り】か。ぜひとも我が家の養子に迎えたい」

「とんでもないクソガキだわ」

「曙光玉を埋めてくれるわ」


ガラガラとサンルームが崩壊していく中、感動に打ち震える南条の先代の佳比古おじいさまの横で、西条の博實おじいさまと北条の時貞おじいさまが血まみれで悪態をついた。うん、嘉承一族、平常運転だね。


「あの、おじさま達、ご無事ですか。何かすみません。私が至らなかったようで」


お父さまが眉毛を八の字にして、申し訳なさそうに血まみれの老人達に声をかけた。確かにもの凄い威力の【風切り】だったけど、ここにいるのは侯爵レベルの魔力持ちなので、風チームは、小野にゃんこーズを含めて瞬間的に【風壁】を張ったので無傷だ。陰陽師ペアと真護は、お父さまの水の結界に覆われているし、北条侯爵と西条侯爵は、火の魔力で迎え撃っていた。私は、何もしなくても、帝国一の魔力の使い手による強力な防御に覆われているので、四侯爵全員が本気でかかってきても、数分は持つレベルだしね。


「彰のせいじゃないぞ。博實おじさまも、時貞おじさまも、子供だからって油断してるからです。隠居してボケてるから発動も一秒ほど遅れていましたよ」


父様、血まみれの老人達に容赦がないな。


「博實と時貞がボケようが、死のうがどうでもいいわっ。姫の大事なサンルームと家具がぶっ壊れた落とし前はどうつけてくれるんだ、ああっ?」


次の瞬間、火山が真横で爆発したような衝撃と高温が発生し、壊れたサンルームが完全に。お祖父さまが、切れてしまった。


「ま、魔王降臨・・・」


これは本気でマズイ。魔王の魔力暴走なんて、誰も防げないって。紅蓮の炎に包まれ、閻魔大魔王のように立ち上がったお祖父さまが、巨大な火の玉を右の掌に浮かべて咆哮した。


「小野のクソガキが、そこに直れ!」


一瞬で、お祖父さまの掌の上の火の玉が屋根まで膨れ上がり明楽君を襲う。そこに峰守お爺様が飛び出した。小さい猫の体から、巨大な【風壁】が浮かび上がり明楽君を必死に守ろうとする。峰守お爺様の青緑の風の魔力が、お祖父さまの凶暴なまでに強すぎる紅蓮の魔力に蹂躙されて、飲み込まれて、消えた。


峰守お爺様が、完全に消えてしまった。魔力反応もない。

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