第94話 Double Sin 3

かなりヘビーな話になりますが、結末に向かって重要な伏線がありますので、読んで下さると嬉しいです。よろしくお願いします。

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麻生と名乗った男が運転する高級車の中で、高村愛は、居心地悪そうに身じろぎした。男の纏う独特の香りのオーデコロンが強すぎて、閉め切った車の中で頭が痛くなりそうだ。


「あの、どこに行くんですか。あたしの疑いは晴れたんですよね」

「ご自宅にお送りするだけですよ。お父様からは、そういうご指示を頂いています」

「さっきから、お父様、お父様って、一体誰のことなんですか。あたしには、お父さんはいません」


こともなげに答える麻生に、愛が苛立ちを見せたが、運転席の麻生は、愛の方を見ずに答えた。


「そうですね。そういうことにしておいた方が、貴女の為ですね」


この麻生という男、何者か分からないが、あまり逆らわない方が良い感じだ。愛はそう判断して、訊きたいことも、言いたいことも山ほどあったが、車内とは言え、初対面の男と二人という状況を鑑みて、押し黙ることにした。


「それから、念のために 言っておきますが、警察には、今回のことは事故で、貴女は全く無関係ということにしていますが、こちらは、証拠を握っているということをお忘れなく」


麻生が、ちらりと愛の方を見て、また前方に視線を戻した。


「証拠って何ですか。あたしは何もしてません。映像で証明されたって、言ってたじゃないですか」

「映像なんか、いくらでも作り出せますよ。あの部長刑事が疑ってきた時は、多少、焦りましたが、どうせ盟神探湯をするのは、闇の魔力を持った少志しょうしですしね。処分したいと思っていたところですから、ちょうど良い理由が出来るだけです。あんな気持ち悪い魔力は、1200年の歴史を持つ栄光の検非違使庁には、ふさわしくありません」


狂っている。この麻生という男が、何を言っているのか愛には完全に理解できなかったが、それでも得体の知れない禍々しさを感じて、出来るだけ距離を取ろうとして、助手席の端にそろりと動いた。


「これで、伯爵に恩が着せられるかと思えば、安いものです。凪子姫の幸せのために、伯爵は、私に感謝するべきでしょう」


逢魔が時の怪しい空の光を受け、恍惚とした表情で麻生が呟いた言葉に、愛は一瞬、耳を疑った。伯爵家の凪子姫と言えば、帝都公達学園の高等科の二学年上にいた、あの忌々しい速水凪子ではないか。貴族というだけで、誰も彼もがちやほやして、何の苦労もせずに、のうのうと生きている、気取った嫌な女だ。


どうして、愛の父親の話から、伯爵に恩を売る話になって、あの速水凪子の名前が出て来るのか。愛の頭の中で、血がどくどくと流れる音が聞こえてくるようだ。頭の中で処理する情報が衝撃的過ぎて眩暈がする。何故、今、ここで、速水伯爵家の話が出て来るのか。愛の父親の話から、速水伯爵の話になるのは何故か。愛が下を向いて悶々としていると、車が音もなく停まった。


「到着しましたよ。もう貴女と会うことはないでしょう。最後にもう一度だけ警告しますが、伯爵家に関わろうとは考えないこと。そんなことをすれば、ただちに、こちら側の証拠を提出します。そうすれば、間違いなく、あなたは監獄で残りの人生を過ごすことになるでしょうが、その前に、貴女の上司のような不幸な事故が起きないとも限りませんしね。薄汚い蛾の小娘風情など、こちらは、いかようにも処分できますからね。覚えておきなさい」


麻生は、愛の方を見ることもなく、ハンドルを握ったまま、前方を凝視して、まるで天気か何か軽い話をしているかのように言った。淡々とした語り口とは真反対に、麻生の言葉の一つ一つが、愛の脳に、異臭を放つヘドロのように、重くべっとりと張り付いた。麻生の意味することは、完全に把握できないが、監獄、事故、処分という恐ろしい言葉が、頭の中でぐるぐると廻っている。


「さ、もう降りて頂けますか」


麻生が、言葉だけは丁寧に愛を急かした。愛も、この男の前から一刻も早く立ち去りたい気持ちはあるが、恐怖のあまり、手足がガクガクと震えて車の外に上手く出ることが出来ない。そんな愛を見て、麻生が舌打ちをした。麻生が自分のシートベルトを外した、かちゃりという音に、愛がびくりと体を震わせて、麻生を恐怖を湛えた目で見上げると、麻生の侮蔑が浮かんだ氷のような視線にぶつかった。


「貴女ね、私が、薄汚い蛾に触るとでも思うんですか。これから至高の美蝶の姫にお目にかかるというのに」


心底嫌そうに顔をしかめて、そう言うと、車の外に出て、さっさとボンネットの前を過ぎて、助手席側の方に周り、ドアを開けた。


「私も暇ではないんです。これから伯爵家に伺って事情を説明申し上げないといけませんからね。さ、さっさと出て下さい」


そう言うと、麻生は愛の左の二の腕を掴み上げ、無理やり車の外に引き摺り出した。恐怖で膝がガクガクして、きちんと立てない愛に、小馬鹿にしたような一瞥を向けると、麻生は、本性の酷薄さを隠そうともせず、唇を奇妙に歪めて、芝居がかったお辞儀をした。


「それでは、愛様。お会い出来て、大変嬉しゅうございました。どうぞ、この検非違使すけの麻生の言葉、ゆめゆめお忘れになりませんよう。ごきげんよう」


そう言うと、麻生は、愛のことを顧みることなく、さっさと運転席に戻った。黒い高級セダンが、その名の通り黒豹のごとく、するりと愛の横を通り過ぎ、小さくなって見えなくなった。途端、愛は糸が切れたように地面に座り込んだ。恐怖ですくみ上った脳が安堵したのか、頭の中でどくどくと血が流れる音が、どんどん大きく聞こえてくる。頭が割れるように痛い。


そして、したたかに捻った手首が、ひどい熱を持って変色していたのに気づくと、今頃になって痛みで腕が痺れてきた。手首を捻った理由が走馬灯のように意識に浮かびあがり、怒涛のような恐怖と後悔が愛を襲う。吐き気がこみあげた。


麻生はを知っている。


震える四肢を叱咤し、傍の街灯にすがるようにして立ち上がろうとすると、頭上でブブンという嫌な羽音が聞こえた。見上げると、街灯に張られた大きな蜘蛛の巣にかかった一匹の蛾が、もがいていた。なす術を持たない、その姿に、こみ上げる吐き気を押さえ切れず、愛は、祖母が物音に気付いて玄関先に現れるまで、吐き続けた。

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