第93話 Double Sin 2

階段の下で、中野を発見したのは、井上と日野のお局コンビだった。あまりのショックに、二人とも腰を抜かし、泣き叫び、他の社員達が、尋常でない叫び声を聞いて駆けつけた時には、二人とも廊下を這うようにして中野から距離を取ろうとしていた。二人が震える指で指し示す場所には、すでに息をしていない中野がいた。


その姿を見て、部長の塩屋が、自身もよろめきそうになりながらも、救急車を呼ぶように部下達に命じた。


「それと警察も頼む」


廊下での騒ぎを聞きつけ、続々と社員が集まり、階段の下の中野を見て悲鳴を上げ、五分後に警察が到着するまでに阿鼻叫喚状態になっていた。


「皆さん、すみませんが社内から出ることを禁止させてもらいますよ。警官が事情を聞かせてもらいますから、一旦、自分のデスクに戻って下さい」


刑事部長の深瀬と名乗る男が指示を出して、廊下に集まっていた社員達をそれぞれの部署に戻した。第一発見者の日野と井上は、腰を抜かして立ち上がることも出来ず、ショックのあまり口が聞けないほどだったので、深瀬の部下の女性刑事に付き添われて、病院で診てもらうことになった。刑事と車に乗り込む前に、二人がヒステリックに「あの小娘よ、あいつが殺ったのよ」と騒ぎ立てたので、会社の正面玄関で、通行人の注目まで集めてしまった。


二人の叫びを聞いて、中野課長の部下達は、高村愛のことを思い浮かべたが、証拠もないことは、誹謗中傷にしかならないと考え、その場では賢明にも口を噤んだ。


深瀬は、先ず、総務部に部署ごとの社員名簿と会議室を用意させた。警官たちに、各部署から誰も外に出ないように見張りをさせ、自分は、部下の刑事二人と、会議室で、名簿にある社員たちを一人ずつ呼び出した。「最後に中野課長を見たのは何時ごろだったか、誰と一緒にいたか」という質問をすると、中野の課と隣の課の全員から、「14時前に高村愛と会議室に行った」という供述が集まった。


「おい、その高村愛って社員を呼んで来い」


部下に命じて、会議室に入ってきた社員は、色白で小柄の、まだ二十代前半と思しき若い女性だった。心細そうに立っている様子は、庇護欲をかきたてるタイプだ。


「高村愛さん?今、中野課長のことで色々と他の社員さん達に訊いたら、最後に姿を見たのは、あなたと会議室に入った14時頃だと言うんだけどね。あくまで任意なんだけど、ちょっと署で、お話聞かせてくれる?」


深瀬がそう言うと、高村愛は、大きな目に涙をためて訴えた。


「あたしじゃありません。あたしは、課内で井上さんと日野さんというお局社員二人に虐められていて、今日は二人のヒステリーがあんまり酷いから、中野課長があたしを会議室にかくまってくれたんです。二人が落ち着いたら、呼びに来るから、会議室で隠れていろって言われました。そうしたら、すごい悲鳴が廊下から聞こえてきて・・・」


そう言いながら、高村愛は泣き出した。


「そうそう、そういう話ね。その詳細を聞かせてほしいわけ。遅くなったら、うちの女性警官に送らせるから、一緒に来てくれるかな」


女の涙にも、男の涙にも、何なら殺人犯の鬼の涙にも耐性のあるベテラン刑事の深瀬には、愛の涙は通じず、愛はそのまま刑事たちに千台警察署に連れて行かれた。警官たちが、各部署のあるオフィスの戸口のところで立っているため、誰にも会わなかったのは幸いだったが、窓から刑事たちと車に乗りこむ愛を見つけて、数人の社員達が窓際に集まって来たのが見えた。その中に、良美や和久田や栗田たちの姿があった。


千台警察署に到着すると、刑事ドラマでよく見る取調室ではなく、普通の会議室に連れて行かれ、着席すると、緑茶まで出してもらえた。女性警官がやってきて、愛に身分証明のようなものはあるかと訊かれたので、財布の中から自動車免許を取り出して渡した。


「ありがとうございます。お預かりしますね。すぐに返却しますから」


女性警官が、愛に淡々としながらも丁寧に伝えた。


「あの、あたしは、容疑者なんですか」

「いえ、参考人です。お話を任意で聞かせて頂くだけですよ」


女性警官の言葉に、愛は少し安堵した。警官が「それじゃあ、担当の刑事が来るまで、しばらくお待ちくださいね」と言って立ち去った。


女性警官が、深瀬たちの待つ捜査一課に行って、被疑者の状況を伝えようとすると、捜査一課の刑事が苦々しい顔つきで立っていた。


「どうされました?」

「検非違使だよ。あの娘、貴族の庶子なんだと。高村愛の身元を洗ったら、誰が出て来たと思う?速水伯爵だよ。検非違使庁が慌てて、我々警察は一切関わるなと言ってきた」


深瀬が吐き捨てるように言った。被害者の中野は一般市民だが、容疑者の高村愛には、貴族の血が流れているため、この事件自体が検非違使の管轄になる。速水と言えば、この地域の中にある貴族家の中でも最上位にある伯爵家だ。庶子と言えども、警察が手を出せる存在ではない。


一時間も経たない間に、いかにもオーダーメイドなスーツを着た、気位の高そうな男が、黒のジャガーXJで千台警察署に現れた。


「検非違使の麻生と申します。速水伯爵家の愛様を保護しに伺いました」


言葉使いは丁寧だが、深瀬は目の前の男の視線から、侮蔑の念を感じた。


「愛様ねぇ。検非違使様の見解は、彼女はシロだということですか」

「完全な事故ですよ。事件性は全く見当たりませんね。これが証拠です」


麻生が、深瀬にディスクを渡した。


「あの場所にはカメラはありませんでしたが」

「闇魔法ですよ。あそこの場所の14時から死亡推定時刻と思われる15時前後の記憶を読み取ったものがこれです」


深瀬も他の刑事たちも耳を疑った。場所の記憶を読み取るとは、人間技を超えてている。


「そんなことが可能なんですか」

「可能ですよ。さして難しい魔法でもありませんしね。疑うのなら、担当の闇の魔力持ちに盟神探湯くがたちでもさせましょうか。その代わり、こちらが正しいと証明された場合は、そちらの署長殿に、それなりの謝罪を要求しますがね」


麻生の言う謝罪とは、署長の首だ。そこまで言われては、引かざるをえない。念のため、再現された映像をPCで確認すると、会議室から出てきた中野が階段のところで、めまいを起こしたかのように、額を押さえ、足がもつれたように体が前傾したかと思うと、そのまま急な階段を転げ落ちていった。確かに事故だ。


「念のため、確認しますが、高村愛は魔力持ちではないんですね。貴族の血が流れているなら可能性はありますが」

「ないですね。陰陽寮のデータベースで確認しました。あの娘の家族は帰化したとはいえ、元々は外国籍ですから、速水伯爵家の高貴な血が好まなかったのでしょう。魔力の欠片もありませんよ」


麻生がきっぱりと言った。ほどなくして、女性警官に付き添われて、高村愛が会議室から出てきた。千台警察署には場違いな雰囲気を持つ麻生を見て、戸惑っているようだ。


「愛様ですね。検非違使庁の麻生です。お父様のご依頼で迎えに来ましたよ。さ、ご自宅までお送りしましょう。こんなところに長居は無用です」


そう言って、麻生は高村愛の背中を軽く押すようにして、千台警察署を出ていった。「こんなところで悪かったな!」と残された捜査一課の全員が思った。


「さすがは検非違使。乗っている車がジャガーですよ。あれ、公用車かな、自家用車かな。検非違使は我々とは給与の桁が一つ違うんでしょ。羨ましいなぁ」

「検非違使なんて、さっきの麻生みたいに、ろくでもないやつばっかりじゃないの」


若い刑事の原田が言うと、女性刑事の高田が怒ったように言い返した。高田が憤るのも分かる。帝都の検非違使は程度の差はあれ、麻生のように警察を小馬鹿にするやつばかりだ。深瀬以外の刑事たちは、帝都出身なので、ほぼ全員、検非違使を毛嫌いしている。ましてや、貴族となると、全く関りがなく、動物園のパンダの方がまだ馴染みがあるレベルだ。


深瀬は、銘茶で有名な西国の大公爵の御領地で生まれ育った。大学進学と同時に帝都に来て、すでに三十年以上になるが、いまだに帝都の貴族社会と一般市民生活との隔たりに慣れない。故郷では、何があってもご領主様に相談すれば問題なしと子供が教えられて育つほどに、領地を治める貴族家と深い繋がりがある。自分の父親が大病をした時も、ご領主さまの使いだと言う人がふらりとやってきて、母親に見舞金と言って分厚い封筒を渡してくれたので、借金をすることなく入院費用が全て払えた。当時、小学生の妹が、母が嘆く姿を見て、家族に内緒でご領主様に手紙を送っていたのだ。妹が、お礼に自分が描いた絵を、見舞金を持ってきたお使いの人に手渡すと、後日、綺麗な挿絵のかぐや姫の絵本が送られてきた。妹は三十年以上経っても、まだ宝物として持っているはずだ。


それから数年後、自分は、家から通える西都大学に行きたかったが、学力が足りずに帝都大学に進学することになった。帝都での下宿費用が捻出できないと進学を諦めようとすると、高校の教師も、近所の人達も、嘉瑞学生ローンに申し込めと教えてくれた。嘉瑞学生ローンは、西都の二大公爵家が旗振りをして、貴族家の有志と資金を出している、恵まれない学生達が進学を諦めないように生活費などを貸し出してくれる支援システムだ。無利子だが、貸し付けを受けた者の中には、社会的に成功をおさめて、完済した後も多額の寄付をしているという者も少なくないようで、最近では、西都や御領地以外の学生たちにも対象枠を広げている。深瀬も十年かけて完済し、最後に感謝の気持ちで三十万円の寄付をしたら、帝都にいる自分のところに、懐かしい西都の稲荷屋のお狐様饅頭が届いた。


「高い饅頭だな、三十万だぞ」


と、笑いながら泣いて、西都の方角に向かって深々と頭を下げたことは今でも鮮明に覚えている。深瀬にとって、貴族のイメージは、いつも西都の大公爵だ。雲の上の存在だが、誰が助けてくれなくとも、公爵様に相談すれば、必ず助けの手が差し伸べられると、故郷の誰もが信じていることを、自分と家族は真実だと知っている。手紙を書けば、流麗な手蹟の返事と共に、お狐様饅頭が届くことも。


それなのに、帝都では、貴族も検非違使も、選民意識を持った高慢なやつばかりだ。あの麻生の慇懃無礼な態度が、まさにそうだ。高村愛が、まさか貴族とは思わなかったが、伯爵家の娘というのであれば、麻生にはきちんと扱ってもらえるだろう。


「久しぶりにお狐様饅頭が食いたいもんだ」


独り言のつもりだったが、耳聡く聞きつけた若い刑事の原田が同意した。


「ああ、南武デパートに入っている和菓子屋の饅頭ですか。あれ、うまいっすよね」

「いや、西都の老舗の菓子屋の名物だが」

「稲荷屋ですよね。南武デパートに入ってますよ。オンラインでも買えますよ」


西都の一番の老舗がオンラインか。時代は変わったものだ。西都の公爵家も変わってしまったのだろうか。今でも手紙を送ると、書道の教本よりも美しい文字が書かれた返事が届くのだろうか。深瀬は、無性に故郷に帰りたくなった。

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