第90話 宵闇の君

牧田の言葉に、にゃんこーズの耳がぴくんと動いた。扉が開いて、高村愛と明楽君がサンルームに入って来た。


「うにゃああああああああんんっっ」


二匹のベンガル猫が、大声で叫びながら、明楽君に飛びついた。ある程度、予想はしていたけど、これは、ひどい。直立とお喋りは禁止していたけど、泣くのと飛びつくのも禁止しておけば良かったよ。


「え、何?猫ちゃん?どうしたの、この子たち?」


明楽君が驚きながらも、飛びついてきた二匹の猫を抱えようとした。


「重っ。この子達、見た目はシュッとした猫ちゃんなのに、結構重いんだね」

「うん、ごめんね。真護、手伝って」


小柄な明楽君に、お父さまの土人形を二匹分は重過ぎるよね。真護と二人で、明楽君にしがみついて離れようとしない小野子爵と二の君を剝がした。いい大人なんだから、約束は守ってよ。ちゃんと猫のふりをする約束だよね。必死にしがみつこうとする猫たちを無理やり剝がすと、明楽君のシャツに爪で小さな穴がいくつか開いてしまった。


「うわっ、明楽君、ごめんね。後で、猫の飼い主に弁償してもらうから」

「全然、いいよ。僕、猫ちゃんにこんなに好かれたのは始めてだから、すごく嬉しい」


いい子だよね、ほんと。それなのに、何で上の兄二人はこんなに残念なんだ。どっちがどっちか分からないが、小野子爵と二の君を無理やりソファに戻すと、ソファの上で、峰守お爺様にゃんこが静かに明楽君を見つめているのに気がついた。石英の薄緑の眼が潤んでいる。ああ、これは、しょうがないよね。


そっと峰守お爺様にゃんこを抱きあげて、明楽君のところに連れて行く。


「明楽君、この子は、大人しいから抱いていてくれる?」

「いいの?」


明楽君が、いつもの豆柴のにぱっとした笑顔で手を伸ばしてきたので、峰守お爺様にゃんこを預けた。峰守お爺様にゃんこが、そろそろと前足を明楽君の首にまわして抱き着いたので、明楽君が嬉しそうに背中を撫でた。


「この子、名前は何て言うの?」

「みーだよ」


お祖父さまが、いつもそう呼んでいらっしゃるから、嘘はついていないよ。


「うなあああああんっ」「うにゃああああんんっ」


この感動的な光景を木っ端みじんにする小野のにゃんこ兄弟の雄たけび。真護が、二匹を両腕でヘッドロックをして取り押さえているが、真護、それ、限りなく動物虐待だから。香夜子姫がドン引きしているし。


「えーと、真護君、猫ちゃん達、首が締まって苦しいんじゃないかな」


明楽君が心配そうに言うので、明楽君と香夜子姫に背を向けるようにして、小声で「約束をちゃんと守ってくれるんなら、明楽君のところに行ってもいいですよ」と伝えた。とたんに大人しくなった二匹は、ちらちらと私の顔を見つつ、明楽君の足元に歩いて行った。


「あ、あの今日は、招待ありがとうございます」


呆気に取られていた高村愛が、お父さまに声をかけた。宮様と香夜子姫が、眉を上げたが何も言わなかった。ほっ。仰りたいことは分かりますが、今日は大事な日なので、目を瞑れるようなら瞑ったままでお願いします。


「高村さん、明楽君、今日は来てくれてありがとう。高村さんが退院してから、二人がどうしているか気になってね。今日は、気軽なランチだから、気楽にね。ふーちゃんと真護君は知っているから紹介はいいよね。こちらが、私の妻で、こちらは、私の友人の梨元さんと、お嬢さんの香夜子ちゃんだよ」

「高村さん、こんにちは。瑞祥董子です。明楽君とは、この間、会ったもんね」


お父さまが、高村愛を刺激しないように話しかけられた。宮様が「梨元さん」で香夜子姫にいたっては「ちゃん呼び」だ。お母さまは、図書館の児童書担当のお仕事をされている時の話し方なので、全く違和感がないけど、お父さまも、なかなかだよ。宮様も先にお父さまが話を通していたので、嫌な顔一つ見せずに、笑顔で高村愛に握手しようと右手を差し出した。さすがに隣国に大使として派遣されていただけあって、切り替えが早くて、会話は上手い方のようだ。


「高村さん、初めまして。明楽君には、うちの娘が学校で仲良くしてもらっているそうなんです。ありがとうございます」

「はい、あの、初めまして。こちらこそ、明楽と仲良くしてもらって、ありがとうございます」


今日は、まともだな。お父さま達が、高村愛を刺激をしないように、お公家言葉を使わないように気を付けていらっしゃるせいもあるけど、いつもの無駄に明るい感じや、高慢にも見える勝気な性格が完全に影を潜めている。喜代水のプレーリードッグさん達、いい仕事してるよね。これが、彼女の本来の性格なのかな。


「高村さん、私達は、帝都から4月に西都に来たので、友人はおろか、知り合いもまだまだ少なくて。今日は、ランチに娘と誘ってもらって、本当に嬉しいんですよ。香夜子、こちらに来て、高村さんにご挨拶をしなさい」


上手いな、宮様。私達と一緒に明楽君に群がる小野のにゃんこーズを見ていた香夜子姫が呼ばれた。香夜子姫が「宮家のおひい様」みたいに話すと、いつもの反貴族社会のリベラル主義を唱えるのかな。


「香夜子です。はじめまして」


香夜子姫がぺこりと頭を下げた。え、それだけ?さっきの仰々しい帝都の宮家の姫感満載の挨拶は、どうしたの?


「香夜子姫、さすがはスパイなだけあるよね。完全に切り替えてる」


真護が私にだけ聞こえるように囁いた。ほんと、それだよ。やっぱり、都の東西を問わず、どこの姫も要注意だよ。


「こんにちは。明楽も、こっちに来て、梨元さんに挨拶して」


明楽君が呼ばれたが、重量のある猫二匹が足元にへばりついているせいで身動きが取れないでいる。


「ああ、いいよ。こちらから行くから。明楽君、こんにちは、いつも香夜子と仲良くしてくれてありがとうね」


そう言って、明楽君にも握手をしようと手を差し出したが、明楽君の両手は、峰守お爺様にゃんこを抱えているので塞がっていた。「大人気だね」と宮様が笑って、代わりに明楽君の肩をぽんと叩いた。宮様、気さくだな。演技だとしても大したもんだよ。


一通り挨拶が終わったところで、牧田が美也子さんと美咲さんと一緒にお料理の載ったワゴンを持って入室してきたので、お母さまが、皆に席につくように品良く促した。峰守お爺様にゃんこは、明楽君が困らないように、ひらりと床の上に降りて、明楽君の座る席の後ろにあるソファに小野の兄弟にゃんこーズと陣取った。


「あら、この猫ちゃんたち、すごくお利口さん」


そう、1匹だけはね。今日は、食事に丸いテーブルを使うので、それぞれの親子が隣同士になって座った。真護は私とお母さまの間だよ。今日はランチなので、気軽な三品のコースらしい。最初はビーツのスープだった。ピンク色の見た目もかわいいし、何より自然な甘さで美味しいんだよね。


「愛さん、お元気そうで安心しましたよ」

「ほんと、お肌の色つやもいいし。見違えましたよ」


美也子と美咲さんが、御給仕しながら、そっと高村愛に話しかけた。普段なら、絶対に牧田のプロ根性が許さない行為だが、今日は、「地味に高村愛をちやほやしよう作戦」を展開するそうだ。


「愛さん、香夜子ちゃん、美容にも良いスープですので、沢山頂きましょうね」


お母さまがにっこりと笑って勧める。今日の香夜子姫は、香夜子ちゃんで通すらしい。香夜子姫も気にすることなく「はい!」と良い子のお返事だ。


「高村さんたちも、帝都から来られたと聞きましたが、帝都公達学園に通っていたのかな。私は、学園の卒業生なんですが、香夜子は、幼稚舎も半年だけしか行ってなくて。今回は香夜子のためにも、できるだけ長く西都にいて、一生の付き合いが出来る幼馴染が出来るといいなと思っているんです」


へえ。香夜子姫。幼稚舎も半年だけなのか。と思ったところで気がついた。そうだよ、宮様、隣国の大使で赴任していたのが、途中で、やらかしたのが判明して、更迭されて帰国したんだったよ。今、そのやらかしの元凶の孫娘が目の前にいるというのに、自然に会話しているよ。外交官というのは、タフなメンタルなんだな。ちょっと奇天烈な人達もいるみたいだけど。


「うにゃっ!」


にゃんこ兄弟が不本意そうに鳴いた。猫まで人の心を読むなっ!


「明楽は、千台の幼稚園で、半年だけ公達学園の初等科に行きましたから、香夜子ちゃんと同じようなものです。あたしは、公達学園の高等科の卒業生です」

「え、そうなの?でも、高村さんは、二十代だから、私が通っていた頃の先生方はご存じないだろうなぁ」

「ええ、まさかぁ。そんなに若くないですぅ。三十代ですよぉ」


なんてこった、上手いどころか、とんだチャラ宮様だよ。殊勝だった高村愛も、いつもの鼻にかかった甘えた話し方が出てきた。そう言えば、稲荷屋の次男こんちゃんと職人さん達は、どうなったんだろう。正気に戻ったのかな。


メインコースはチキンにパン粉と玉ねぎと香草で作ったスタッフィングを挟んでくるりと丸めて焼いたものが、照り焼きソースにクランベリーが入ったような色とお味のソースの上に綺麗に盛り付けられていた。このチキンの柔らかさは、低温調理した後に軽く焼いたんだろうな。めちゃくちゃ美味しいソースだ。さすがは、料理長。


明楽君の後ろで、小野のにゃんこーズが首を長くして、覗き込んでいるので、明楽君がおかしそうに笑った。


「ダメだよ。これは猫ちゃんには味が濃すぎるからね」


後から、料理長に頼んであげますから、大人しくしていてよ。私がまた視線でにゃんこーズに合図を送ると、明楽君が気がついた。


「ふーちゃん、大丈夫?今日は、顔が怖いよ」


げげっ。明楽君に怖いって言われちゃったよ。だって、あの奔放なにゃんこ兄弟を野放しには出来ないから、しょうがないんだよ。


「大丈夫だよ。実は、私、喘息持ちだから、にゃんこの毛が飛ばないか見ているんだよ」


前半は本当。瑞祥のお兄さまたちにも私にも、軽い喘息がある。小児ぜんそくで、大人になると、症状が軽くなると言われていて、実際にお兄さまたちは、もう全く症状がない。後半は全くの嘘。土人形だから、毛は飛ばないよ。・・・いや、あのお父さまの手によるものなら、飛ぶのかな?


「それにしても、さすがは、瑞祥家。素晴らしい料理人がいるんだね。うちにも欲しいなぁ」

「うちの料理長は、甥に心酔しているので、国家予算レベルのお給料を積まれても動かないでしょうね」


宮様の言葉にお父さまが返すが、国家予算級のお給料が出るんなら、私が調理長を説得するよ。それで、一年だけ働いてもらって、あとは退職すれば世界美食ツアーに行けるもんね。


デザートは、ショコラクレームブリュレだった。西条侯爵の領地から、新鮮なミルクを沢山もらったので、それで作ったものだ。めちゃくちゃ美味しい。やっぱり、国家予算レベルのお給料が出ても、料理長が他のお家の厨房で働くのは嫌だな。


「こんな美味しい食事は初めてです。ありがとうございます」


高村愛が嬉しそうにお父さまにお礼を言った。今日は、少しだけ宮様に媚びるようなところはあったけど、明楽君がいるからか、それも目に余るほどでもなかったな。むしろあれは、宮様がチャラ宮で仕掛けたせいもあるし。


「愛さんは、本当に美味しそうに食べるから、見ていても気持ちがいいね」


宮様が、両手を顎の下に組んで、にっこりと笑った。香夜子姫と同じ明るい月夜の瞳が、今は、お祖母さまと同じ漆黒に変わっている。とたんに明るいはずのサンルームが、薄い墨染の絹の帳がおりたように翳った。


宵闇の君の、闇の魔力が発動された。

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