第89話 香夜子姫

私が慌てて、手で座るように合図すると、自分達が直立していることに気がついた三匹の猫達が、えへへーとバツが悪そうに笑っていた。笑うのも禁止!


牧田が扉を開けて抑えると、いかにも宮家の特徴を持つアラフォー紳士と香夜子姫が、入室した。皇族も宮家の方も、真っ黒な髪に黒目がちの眼に色白を通り越して、青白い肌をしている方が多い。お祖母さまは、いかにも瑞祥の姫という容姿をしていらっしゃるが、眼だけは内親王殿下であらせられた母親から引き継いだ漆黒をお持ちだ。


香夜子姫も、名前の通り、夜空のような黒い瞳と髪を持つが、お祖母さまのような黒ではなくて、月夜の空の色だ。


この場ではお父さまが最上位のため、二人は話しかけられるまで、静かに頭を下げている。


「梨元の宮、香夜子姫、ごきげんよう。こちらは私の妻の董子と、甥の嘉承不比人と、その側近の東条真護です」


お父さまの紹介に、お母さまが、鷹揚に挨拶をされる。私と真護も、最近の来客の多さで鍛えられたのか、七歳児にしては、なかなか堂に入った挨拶が出来たんじゃないかな。


「梨元香夜子でございます。公爵閣下、公爵夫人、お目にかかれて光栄です。西都に来て間もない身でございますので、至らない点は、どうかご容赦下さいませ。本日は、公爵夫人に貴婦人のありようをご教授頂けるかと思いまして、楽しみにして参りました」


最後に香夜子姫が、私と真護の慢心を粉砕するほどの完璧な淑女の礼をとった。さすがは、帝都仕込み。西都は、どこぞの一族の影響が大きいこともあって、割と気軽なんだよ。特に高位の公家の姫の間では、ここ三十年ほど、謎の思想が広まっていて、礼儀作法と同義で筋トレがある。何でだ。


「香夜子姫、不比人と東条の君とは、同じクラスなんでしょう。今日は、お気軽になさってね。公爵とお父様は、お話があるそうですから、私たちと、こちらでお菓子を頂きましょうね」


お母さまが、香夜子姫に手招きすると、香夜子姫の目が、私と一緒にソファに座っている小野のにゃんこーズに釘付けになった。


「ベンガル猫ちゃんですわね。ふー様が飼っていらっしゃるの?」


種類をぴたりと当てた姫は、相当の猫派らしいが、可愛い見た目に騙されちゃいけない。中身はおじさん達で、特に二匹は性格と行動に色々と問題があるからね。


「うちは、医者がいる家だから、毛の抜ける生き物は飼わないんだよ。この三匹は、瑞祥のお父さまが小野家から、今日だけ預かっているだけ」


「その割には、すごく懐いていますのね。小野家と言いますと、あの外務省の小野家ですか」


香夜子姫、鋭いな。七歳児の割に、政治の知識もあるんだ。さすがはスパイの姫だよ。


「ふー様、あの、ちょっとだけ、撫でてもいいかしら」


香夜子姫のお願いを無碍に断りたくはないんだけど、どうしたものかな。返事を考えていると、一匹が「なーん」と泣いて、ソファからぴょんと降りて、姫に近づいた。あれは誰だ?


「一番に勝手な行動をするのは二の君じゃない?」


真護のささやきに、妙に納得がいった。確かに、あの嘘くさい鳴き声が二の君っぽいよね。


「まぁ、可愛らしい。この子のお名前は何と言いますの?」


えーと、名前は小野良真と仰って、アラフォーの国家公務員で、外務省にお勤めです。


「よっちゃんだよ、姫」


私がそう言って、ちらりと横を見ると、二匹が頷いてくれたので、やっぱり二の君だったよ。でも、残った二匹のうち、どっちが峰守お爺様で、小野子爵なのか、まだ見分けがつかない。


「よっちゃん。可愛いわね。私のお膝に来てくれるかしら」

「いや、姫、お膝に乗せるのはお勧めしないよ」


私がそう言うと、香夜子姫が露骨にがっかりとした。姫は、そんな顔をするけど、その猫、中身はおじさんだから、七歳女児のお膝は、色んな意味でダメなんだってば。二の君も、立場上、社会的に完全アウトだ。


「姫、この子たち、爪が鋭いから、御召し物を傷めちゃうんだよ」


そう言って、真護が二の君の前足を掴んで、爪をにゅっと出して見せると、香夜子姫も残念そうにしながらも納得してくれたようだ。今日は、きれいなワンピースで、おめかしして来てくれたんだと思う。


「姫、飲み物は何がいいかしら。ふーちゃんは、エルダーフラワーのコーディアルが好きなのよ。私もこれを炭酸水で割ったものを頂いていますの」


お母さまが、いつものおっとり口調で、香夜子姫の気を引いて下さった。その隙に、真護が二の君を素早く回収して私の隣に置いた。さっきの言い訳といい、真護にしては、機転の利いた行動だよね。


今日のお母さまは、香夜子姫の接待係だ。明楽君と明楽君のお母様が到着したら、程良いところで、私と真護で明楽君をお庭に誘い出す。香夜子姫が私達と一緒に来るなら、それもあり。その後で、それとなく、お父さまと宮様が明楽君のお母様に話しかけ、闇魔法で過去を見ることになっている。個人情報の違法入手じゃないのかと思うが、既に、明楽君のお母様、いや、未成年者誘拐罪の拐取者の高村愛の記憶を見ることは、西都総督府経由で、陛下のご裁可を頂いている。宵闇の君と陰陽寮の二人が加担していること自体が何よりの証拠だ。もちろん、全ては、嘉承一族が【風天】を付与した【遠見】で見届けた後、西都総督府経由で陛下にご報告申し上げる。そう、あの愉快なおじさま達は、ピクニックや宴会で遊びに来ているわけではなくて、一応、西国統治を預かる公家の義務を遂行するためにいるんだよ。多分。


実は、今日は、事情いかんでは、高村愛は検非違使に連行され、警察に引き渡されることになっている。


曙光帝国では、警察機構とは別に、検非違使がいる。犯罪の予防や捜査、被疑者の逮捕、交通の取締りなど、市民の生活の安全と秩序を守るのが警察で、その対象が公家になると、検非違使が出て来る。公家の中には、魔力を持った者がいるので、警察では手に負えない場合があるからだ。そして検非違使で対応できないほどの魔力持ちが関わる犯罪は、陰陽寮の管轄になる。


陰陽寮って、お爺さん達が、のんびりとお茶を飲み飲み星読みをしたり暦を編纂しているような集まりかと、割と最近まで勘違いしていたけど、実際は、全く反対で、めちゃくやハードな職務の精鋭部隊だよね。


「香夜子姫、西都での暮らしはいかが。帝都よりも西都は古いから、しきたりや習慣などで、色々と違うこともあるのではないかしら」


お母さまは、今日は、必死で公爵夫人を演じていらっしゃる。普段のお母さまは、西都の図書館に勤める司書さんで、一般市民に完全に溶け込んで違和感を感じさせない方だが、そこは水の名門の三条侯爵家で育ってきただけあって、見事な公爵夫人ぶりだ。


「はい、父から西都に引っ越すことを聞いた時は、本当に驚きました。帝都公達学園の幼稚舎のお友達と一緒に初等科に上がるものとばかり思っておりましたので。それに、父が、嘉承公爵家という帝国で一番の歴史を持つ名家の御嫡男様が同じ学年になるから仲良くしてもらいなさいと申しましたので、ずっと緊張しておりました。でも、それが、同じクラスのふー様だったので、とても安心しました。東条の君にも皆にも仲良くしてもらっていますので、学園では、とても楽しく過ごしています」


良かった。スパイの姫でも、毎日の学園生活は、楽しく過ごしたいよね。でも、やっぱり宮様に私に近づくように言われていたんだな。私に会って安心したというのは、私が子豚だから、緊張するほどの相手でもないと思われたからかな。喜んでくれているなら、それでいいけど。


「ふーちゃんは、細やかな気遣いのできる優しい子ですからね。将来は、瑞祥の殿のように、美しい公達になりますから、姫にふーちゃんと仲良くするように仰った宮様のお考えは、よく分かりますわ。きっと帝都でも、ふーちゃんは噂になっていますのね」


お母さまが、身贔屓を手前味噌で捏ね繰り回したような恥ずかしい発言をされた。宮様の言葉の意味するところも、恋バナ好きの斜め上過ぎる解釈だよ。


「公爵夫人、それは違いますよ。ふーちゃんは、将来は、嘉承の殿を超える魔力を持つ、帝国を統べる大魔皇帝になるんです」

「なるか!」


しまった。真護の大ボケ発言に、思わず大きな声で突っ込んでしまった。「ぷっ」と、にゃんこーズから失笑がもれた。ちらっと見ると、三匹とも、そそくさと後ろを向いたり、ソファに顔を押し付けたりして目を合わせないようにしている。もう、香夜子姫は、鋭いところがあるから、バレないようにしてよね。


「まぁ、おほほほ」


お母さまが上品に笑いながら、扇で口元を隠してしまわれた。貴婦人は、これがあるから便利だよね。


「学園で楽しくお過ごしなのは何よりですわ」

「はい、そうなんです。一時は、西都の姫達の嗜みについていけずに、どうなることかと思いましたが、今は、皆様のお助けもあって、何とか人並み程度になって参りました」

「まぁ、香夜子姫がついていけない姫の嗜みなんてあるのかしら」

「私、詩歌管弦については、母や祖母から習っていたのですが、体を動かすことについては、全く出来ておりませんでした」


何だか、激しく嫌な予感がする。真護も私の顔を見て来た。もしかして、アレか。


「今では、スクワットも腕立て伏せも100回程度なら、連続で出来るようになりましたの」


やっぱりそうだったよ。何で西都の姫達は、皆、こぞって、おかしな筋力トレーニングをやっているんだよ。


「私、同じ元宮家の姫として、東久迩学園長先生を尊敬していますの。この間、先生が主催されている西都の姫の会の会合に、西都総督様が、公家の姫の心得という講演にいらしたんですが、それは凛とした美しい女性で、先生と並ぶと本当に一枚の絵画のようでした。どうすれば、あんなに美しい隙のない所作を身に着けることが出来るのかと、お友達に相談しましたら、体幹を鍛える為に、筋トレを毎日続けることだと言われまして、目から鱗が落ちた気持ちがしましたわ」


怪しい思想の裏に百鬼夜行あり。先生も叔母様も裏で何をやっているんだよ。そもそも「西都の姫の会」って何だ、その謎の集まりは。香夜子姫、その目から落ちた鱗、もう一度付け直した方がいいよ。でないと、帝都に帰れなくなるから。


「ぶぶっ」と猫たちが吹きだした。

「猫ちゃんたち、お鼻が悪いのかしら?うちに長くいる猫の中にも、鼻が悪くて、ぶぶって音を出す子がいますのよ」


香夜子姫が、心配そうに猫たちを見るが、そんな善良な気持ちは、このにゃんこーズにはもったいないから。私がにゃんこーズをそれぞれ、ちょんちょんとつついて、視線を合わせて「笑うの禁止!」とメッセージを送っていたら、牧田の声が扉の後ろから聞こえてきた。


「旦那様、奥様、高村様とご子息がお見えになりました」


ついに、来た、決戦の土曜日だ。

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