第88話 小野のにゃんこーズ

ぴょんぴょんと飛び跳ねる猫になった息子たちを見ている峰守お爺様も、ちょっと羨ましそうなお顔だ。


「おじさまも、入ります?」

「うん、彰人君、ありがとう」


お父さまに訊かれて、躊躇なく峰守お爺様がお答えになったけど、小野家、何で、そんなに猫になりたがるんだ。三匹の可愛らしいベンガル猫が嬉しそうに飛び跳ねているのは、心が和む光景だけど、中身はおじさん達だ。騙されちゃいけない。


「何だ、こいつら」

「ふー、拾った場所に戻して来いよ」


飛び跳ねる猫たちを睨みつけながら、お祖父さまと父様が、不機嫌オーラ満載で部屋に入って来られた。父様は、もの凄く眠そうだ。二人とも昨日は病院から戻ったのが遅かったからね。父様が戻ったのは、夜明け近かったらしい。牧田は、皆の帰宅時間を知ってるけど、牧田こそ、ちゃんと寝ているのか心配だよ。


「こいつ、峰守だろ」


お祖父さまが、一匹のベンガル猫の首をガシッと掴んで持ち上げた。三匹とも同じなのに、よく分かるよね。小野家の三人は、属性が同じで魔力量もほぼ変わらないので、私には見分けはつかない。


「なー君、おはよう。彰人君に作ってもらったんだよ」


持ち上げられて手足がだらりとなった峰守お爺様が、えへへーとお祖父さまの顔の前で笑う。笑う猫、シュールだ。「ふーん」と言いながら、お祖父さまが、峰守お爺様を、横に振るので、猫のだらんと垂れ下がった手足がぷらぷらと揺れた。それ、知らない人が見ると動物虐待だよ。


「彰の凝り性も、ここまで来るとちょっとした芸術作品だな。目も虹彩と瞳孔がちゃんとあって本物みたいだな」

「土の魔力は、地中の石英にも干渉できますので、目は比較的作りやすいんですよ」


お父さまの言葉を聞いた土御門さんが、首を横に振った。はい、これも瑞祥の観音様スペシャルでしょ。私も土の魔力持ちなので、だいたい分かります。


「なー君、もう降ろしてよ」


猫の峰守お爺様が言うと、お祖父さまが、にやりと笑った。


「しかし、よく出来てるよな。みー、もうちょっと目を見開いてくれるか」

「ええ?こう?」


峰守お爺様が、目をぱっちり開けてお祖父さまの顔を覗き込むようにした途端、お祖父さまが空いている方の手でVサインを作り、そのまま峰守お爺様のにゃんこの目に、ぷすっと突き刺した。

「うぎゃああああっ」


瞬間、峰守お爺様の意識が、ソファに座っていた本人の体に戻った。


「オーバーなやつだな。人形なんだから、痛いわけないだろうが」

「痛みはなくても、ショックはあるってば!」


元に戻った峰守お爺様が、ソファから立ち上がって、お祖父さまに激しく抗議したが、お祖父さまは、にやにやとするだけだ。悪魔だ。めちゃくちゃ悪い鬼だ。とんでもないよ、うちの大魔王。あんな可愛い猫に目潰しとか、サイコパスのすることだよ。峰守お爺様の悲鳴を聞いて、小野子爵と二の君のが、私に飛びついてきたので、今は、私が二匹の猫を抱えている。


「父様、この間の意趣返しにしても、大人げがなさ過ぎますよ」


お父さまの抗議を受けても、お祖父さまは、悪びれもしない。お祖父さまの視線が、私と猫兄弟を捉えたので、猫兄弟が爪を立てて私にしがみついてくる。地味に痛いって。お父さま、凝り性を通り越して完璧主義だから、肉球だけじゃなくて、爪まで全部、見事に再現されているんだよ。


「あ、もう時間だから、瑞祥にお客様をお迎えに行かなくっちゃー」


怖くて棒読みだよ。私が猫兄弟を抱えて立ち上がろうとすると、父様に呼び止められた。


「ふー、ちょっと来い」


え、私も目潰しされるの?それとも、カツアゲ?


「するか。いいからちょっと来い」


寝起きのくせに、今日もしっかり心を読んできたよ、うちの冥王。


「猫どもは、ちょっと離れていろ」


父様に言われて、小野の猫兄弟は、素早く峰守お爺様のところに逃げこんだ。寝起きだから、いつもの声より低くて、冥王ぶりが上がって迫力があるんだよ。実父ながら怖いわ。


びくびくしながら、父様の前まで行くと、大きな手が私の頭の上に置かれた。父様の顔を見ると、右目が緑青に、左は青い虹彩に青白い瞳孔という不思議な目に変わっていた。右は、いつもの色だ。風をよく使う父様は、この色のオーラを纏っていることが多いが、火はあまり使わないので、じっくりと見たことがなかった。


「父様の火は青いんだね」

「おう。サブ子には言うなよ」


私にだけ聞こえる低い声で、そう言いながら、父様が、私の頭をぽんぽんと二度ほど叩いてくれた。この展開、前にもあったよね。


「兄様は、いつも私に過保護だって文句を言いますけど、ご自分も大概だって分かってます?」


お父さまが呆れたように仰ったので、父様が何かしてくれたんだと分かった。私は父様の血が流れた子供なので、加護の意味がない。親が加護を与えても、与えられた子供が同じ属性の魔力を使うと、魔力変換器官が一番変換しやすい魔力として使ってしまうからだ。でも、さっき何かしてくれたよね。それも、かなり強力なやつな気がする。


「ふーちゃん、梨元の宮様が来られるから、瑞祥に戻ろうか」


お父さまに言われて、頷くと、小野の猫兄弟が戻って来て、私に飛びついた。え、私、この猫たちを抱いて行かなくちゃいけないの?元が土だから、それでなくとも重いのに、父様の土人形は絶妙に水を入れるから、普通の魔力持ちのそれよりも重い。


「嫌ですよ。自分で歩いて下さいね」

「ふーちゃん、肉球が直に床に触れると、寒いんだよねぇ。長靴でも履かせてよ」


二の君が、直立で文句を言うけど、そんな猫がウロウロしていたら、すぐに西都の噂になっちゃうでしょ。どこぞの国の商標権者に知的財産侵害で訴えられたりしたら、製造元のお父さまは、法曹界にいる人でもあるから、結構なスキャンダルになるんだよ。


「ダメです。お祖父さまに、喋らない、直立歩行しない、完全に猫になりきるという条件で、今日のランチ会を傍で見ると言う約束でしたよね。約束が守れないなら、ここから【遠見】で見ていて下さい」


きっぱりと言うと、お父さまに土人形に入れ直してもらった峰守お爺様猫が、とことこと猫のように歩いて来て、こくんと大きく頷いた。


「私は約束をちゃんと守るよ、ふーちゃん。鷹邑の傍にいたいからね」


峰守お爺様の入った猫の、くりくりとした翡翠色の石英の目が私を見上げていた。明楽君は、大丈夫だ。何があっても、この人が傍にいて導いてくれる。


「旦那様、梨元宮様と、大姫様が、そろそろご到着される時間かと」


牧田がお父さまに告げた。瑞祥と嘉承一族のほとんどの屋敷は、嘉瑞山という丘のような、なだらかな山にあって、山自体に瑞祥の大きな結界が張り巡らされているので、共用門からでないと出入りができない。お客様は、一度、門のそばにある管理事務所の受付で、どの家に行くのか告げなくてはならない。受付から、各家の執事に連絡が入ると言うわけだ。


梨元宮は、便宜上、今でも宮様と呼ばれているが、実は皇帝の直の血筋ではなく、今の皇帝の御祖父の弟宮の血筋のため、皇族ではない。正確に言うと、元宮家の子息で、曙光帝国の制度では、伯爵に叙されているお立場だから、香夜子姫も、姫皇子様ではなく、梨元の大姫になる。因みに、梨元家の先代当主は侯爵だった。侯爵のお父上が皇弟殿下で、後に臣籍降下して、公爵となり梨元家の始祖になる。曙光帝国では、皇族は、直系以外は、全て臣籍降下するが、西都や南都の大部分の貴族と違い、領地を持たない宮廷貴族のため、国によほどの貢献がない限りは、爵位が代ごとに下がり、五代目には爵位が無くなる。これは、傍系を担ぎ上げてクーデターを起こすような輩を牽制するためとされている。国から年金は入るが、領地のない宮家と元宮家は、家を継ぐ第一子も第二子以下も非嫡子も皆、大変だ。そんなことで、西国に広大で豊かな領地を持つ嘉承一族を嫌っている貴族は、だいたい宮家か宮家にルーツを持つ貴族だったりする。瑞祥は嫌われるどころか、大人気なのが不公平だよね。


そんなこともあって、今日は、宵闇の君と呼ばれる香夜子姫のお父上に会うことに緊張しているんだよ。そもそも宮様は、うちの監視に西国赴任された方だしね。それでなくても、私は人見知りだから、気が重いよ。


「彰人先生、僕も行っていいですか。明楽君も香夜子姫も、ふーちゃんと僕が仲良しなのは知ってるし。小野家がついて行くのに、東条が行かないというのはないです」


最近の真護は、側近としての自覚が出来てきたのか、とにかく私のそばに居たがる。


「よく言った、真護!」

「彰ちゃん、連れてってあげてよ。健気じゃないの」


後ろでは、既に宴会が始まっていて、愉快な嘉承一族が、更にご陽気なことになっている。


「そうだね。ここは、あまり子供にはよくない環境になりそうだから、真護君も一緒に行こうか」


お父さまの鶴の一声で、急遽、真護もランチ会に参加することになった。私と真護がお父さまと一緒に手をつないで歩いている後ろを、とことこと、くりくりの目をした三匹のベンガル猫がついてくる。一応、約束通り、猫のふりはしてくれるようだ。


「嘉承公爵は、ふーちゃんが大事なんだね」

「ほんとに、こんなものすごい【風壁】の応用、見たことがないよ」

「解析しようと視るだけで、魔力器官が焼け切れそうになるくらい複雑な魔法だよ」


小野のにゃんこーズが、ぺらぺらとお喋りをしている。


「宵闇の君が来られたら、お喋り禁止ですよ」

「うん」「大丈夫だよ」「はーい」


にゃんこーズがそれぞれ返事をしてくれたが、峰守お爺様はともかく、小野子爵は兄馬鹿だし、二の君は本能のままで生きているふしがあるから、いまいち信用ならない。


「今日は、瑞祥のサンルームでランチですから、肉球は冷たくならないと思いますけど、冷えないように、ふーちゃんと真護君と一緒にソファの上で座っていればいいですよ」


瑞祥邸のサンルームは、植物園にあるような巨大なガラスのドームだ。瑞祥一族は、土と水という二属性のせいか、だいたい皆が寒がりで冬になると、ほとんどここで一日過ごしていることが多い。


「ふーちゃん、東条の君、ごきげんよう。そのきれいな猫ちゃんたちが小野家の皆様なの?」


サンルームで、美也子さんたちとランチのテーブルセッティングをしていた瑞祥のお母さまが、私たちに気がついて挨拶をして下さった。


「お母さま、ごきげんよう。そうだよ、えーとね」


紹介しようにも、どの猫が誰なんだか。


「瑞祥公爵夫人、ごきげんよう。今日はありがとうございます。私の父と弟を紹介させて頂いてもよろしいでしょうか」


先日、顔を合わせていた小野子爵が直立して、ぺこりとお辞儀をすると、二匹もぺこりとお辞儀をした。可愛いもの好きのお母さまは、緩む頬を押さえた後に「お初にお目にかかります。瑞祥董子でございます」と猫に向かって大真面目に淑女の礼をされた。三匹の猫と挨拶を交わす西都の最上位の貴婦人。シュール過ぎる光景だよ。


「旦那様、奥様、梨元宮様と大姫様がいらっしゃいました」


扉の外の牧田の声に、お母さま以外の全員が立ち上がった。七歳児とは言え、香夜子姫がいるからね。お母さまは、公爵夫人なので、伯爵位を持っている梨元宮に立ち上がる必要はない。それと、小野のにゃんこーズも、立ち上がらなくていいから!

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