第85話 白い狐と緑じゃない狸
稲荷屋の前で、賀茂さんと土御門さんと三人で、どれくらい呆けて立っていたのか。気がつくと、長男と末っ子のこんちゃんが目の前に立っていた。
「店の前にずっと立って、何してらっしゃるんです?冷えてきましたから、店の中に入ってくださいよ。温かいお茶を淹れますから」
「ふーちゃん、僕は先に瑞祥のお家に帰ることにするよ。今は誰かさんと顔を合わせて刺激したくないからね」
末っ子こんちゃんが、稲荷屋の桑染めの暖簾を上げて、店の中から声をかけてくれたが、土御門さんは、先に帰ると言い出した。確かに、土曜日の昼食会前なので、慎重に動いた方がいいよね。賀茂さんも頷いているので、土御門さんとは、店の前で別れて、私たち二人は稲荷屋に入らせてもらった。
「こんちゃん、こちら、陰陽頭の賀茂さん。今日は、私の付き添いで来て下さったんだよ」
私が賀茂さんを紹介すると、長男と末っ子のこんちゃんズは、驚いて頭を下げた。
「すみません。昨日の今日で、若様ばかりか、陰陽寮のトップの方に来て頂けるなんて恐縮です」
「いや、頭を上げて下さい。実は、私たちは何もしていなくて、本当にふーちゃんの付き添いだけなんです」
私も何にもしてないけどね。全部、喜代水の優しい小僧さん達が、さくっと片付けてくれたからね。そうだ、約束の報酬のお菓子の注文、忘れないようにしないと。
こんちゃんズの案内で、賀茂さんと店の中を歩きながら、この時期のお勧めのお菓子は何だったかなと考えた。
「若様、いらっしゃいませ」
稲荷屋の店員さん達は、全員、昔からの知り合いなので、皆が、片付けの手を止めて挨拶してくれた。私が、稲荷屋の開発顧問をしていて、仕事の話がある時は、営業時間外にこんちゃんズと会うことがあるせいか、閉店時間後でも、誰も嫌な顔をする人はいない。
店の真ん中ほどに来ると、呆然とした明楽君のお母様と、次男こんちゃんがいた。少し試したいことがあって、彼女がいつも強く反発する挨拶をしてみた。
「ごきげんよう」
二人とも、私の方を見てくれたが、明楽君のお母様の方は、ぼーっとしていて、目の焦点が合っていない感じだった。
「若様、いらっしゃいませ」
次男こんちゃんは、心配そうにしながらも、挨拶は返してくれた。私が賀茂さんの方を見ると、「心配いらないよ」と小声で教えてくれたので、そのまま、お辞儀だけして店の奥にある商談室に歩いて行った。
商談室は、和風モダンといった設えで、格子戸風の羽目板が良いアクセントになった趣のある部屋だ。いつもは、黒い金具が美しい古い和箪笥を模したキャビネットの上に、見事な生け花が飾ってあるのに、今日は骨董の壺だけが飾られていた。私の目線の方向に気づいた末っ子こんちゃんが溜息をついた。
「いつも、浩子さんが花を活けてくれていたんですけどね。どこに行っちゃったのかなぁ。毎日、社員アパートに電気が灯っていないか確認しているんですけど、全然帰っている様子がなくて。捜索願を出そうかと思うんです」
「こんちゃん、浩子さんのことはもう心配しなくていいよ」
私が、そう言うと、こんちゃんズがよく似た顔で、驚いてくれた。そこに稲荷屋の主人のこんちゃんも入って来て、こんちゃんズが三人になった。
「こんちゃん、ごきげんよう。こちらは、陰陽頭の賀茂さんだよ」
「若様、早速に来て下さって、ありがとうございます。まさか、陰陽頭様といらして下さるとは。ご心配をおかけしまして、本当にすみません。店の中のゴタゴタの解消に若様をお呼びするような真似をしまして、何と申し上げていいのか」
いかにも老舗の主人らしく、恰幅のあるこんちゃんが丁寧に頭を下げた。長男と三男も父親に習って一緒に頭を深々と下げた。
「全然、問題ないよ。それに、これは節美稲荷の神主さんが喜代水案件だって言ったくらいだしね。喜代水は、私のお手伝いさんを買って出てくれているから、周りまわれば、私の案件みたいなもんだよ。だから気にしないで」
私がそう言うと、稲荷屋こんちゃん長男が、「節美稲荷の神主様ですか」と訊いた。
「うん。若い神主さんがそう言ったらしいよ」
「若様、節美稲荷様は、
あら?うちのお祖父さま世代で若いとは言わないよね。
「
「それですと、大きなお社ですから、四十代や五十代の方が何名もいらっしゃいますが」
節美稲荷大社、平均年齢高かったんだなぁ。浩子さんはアラフォーだから、自分と同じような年代や年上の人を若いとは言わないよね。・・・何か嫌な予感がしてきたかも。これは考えたら負けのやつだ。
隣に座っている賀茂さんを見ると、稲荷屋こんちゃんズの胸元のピンバッジを凝視している。ふかふかした大きな尻尾を持つ白い狐のキャラクターのバッジで、稲荷屋とドルチェ・ヴォルぺは、これを紙袋や包装紙に使用している。稲荷屋は、縦書きで明朝体、ドルチェ・ヴォルぺはブリタニック・ボールドというフォントで横書きで店名が入るが、白狐のマークは同じものを使っている。
「皆さん、すみません、ちょっと、その狐のピンバッジを見せてもらっていいですか」
賀茂さんが頼むと、三人ともバッジを外して賀茂さんに手渡した。賀茂さんが三つのバッジを左の掌に載せて、蓋をするように右手を翳した。
「これは、何と言うか、完全四属性の神髄のような代物だね。土で作って火で強化して、水の守りの加護が風で流れてくるようになっている」
「ええっ?土の魔力だけで、ちゃちゃっと練って作ったバッジですよ」
「ふーちゃんには、そうなのかもしれないけど、水の加護が風で絶え間なく流れてくるようになっているよ。いい感じに周囲の水辺の魔素を吸収しているから、半永久的な加護になっているね」
賀茂さんの説明に、私も稲荷屋こんちゃんズも驚きで開いた口が塞がらない。
「そんな大層な代物を私たちに作って下さったんですか」
いやいや、そんな大層な代物なんか作った自覚なんてないから。
「本当にありがとうございます。一生、大事にします」
三人が立ち上がって、また深々と頭を下げてくれたけど、本当に自分の中ではバッジを作っただけなんだよ。
「ふーちゃんは、始祖様と全く同じじゃないかな。体に魔力を循環させなくても、瞬間的に放てるタイプ」
「そうらしいです。思考がそのまま魔力になります」
「水や土の魔力持ちが制御が甘いと、魔力を錬成中に考えていたことが、作成物に付与されることがあるらしい。属性の傾向で、風や火には、小野家のように、すぐに魔力を放てるタイプも珍しくはないが、水や土は循環タイプが多いから、私も本で読んだだけの知識だけどね」
うっ。制御の甘さを指摘されると何も反論できない。
「でも、それだと、このバッジを作ってくれた時に、若様が稲荷屋を守ることを考えて下さったってことですよね」
長男こんちゃんが嬉しそうに言った。いや、ほんと、祀り上げないで。そんな崇高な気持ちで作ってないから。
「うーん。私、食い意地が張っちゃう呪いを受けた子なんで、ずっとこの先も美味しいお菓子が沢山食べられたらいいなぁって考えていただけだよ」
何てったって、トリさんに胎児の時に入り込まれたんじゃないかという疑惑が出てきたからね。
「それでね。高村愛さんのことだけど、詳細は言えないんだけど、喜代水の優しい小僧さんたちが解決してくれたから、もう心配はいらないよ。それと、浩子さんだけどね、明日、誰か喜代水にお菓子を届けてくれないかな。その帰りに、浩子さんを社員アパートまで送ってあげてよ」
私がそう言うと、末っ子こんちゃんが身を乗り出すように訊いてきた。
「浩子さんは、喜代水にいるんですか」
「うん。節美稲荷大社の前で白い狩衣姿の若い男性に喜代水に行けって言われたんだって。浩子さんは神主さんだって思ったみたい」
「でも、あのお社の方は、皆様、うちの親父より年上ですよ」
そうなんだけどね。
「お稲荷様だ!若様、お稲荷様ですよね」
突然、こんちゃん父が叫んだ。はぁ。やっぱり、そういう結論になっちゃうよね。稲荷屋は、昔から、あの大社を信心して、家族全員、毎朝お参りしているから、そういうことでいいんじゃないかな。賀茂さんが、私の方を見ているのが分かった。
「賀茂さん、仰りたいことはよく分かっています」
「ふーちゃん、実は、私もお稲荷様だと思う。西都は、考えもしなかった色んなものが、無尽蔵に出て来るから、何でもありな気がしてきた。妖蛾はともかく、プレーリードッグの妖なんて、大学校でも教わらなかったし、どの文献にも記載がないからね。曙光の陰陽道だけをひたすらに歩んできた父が聞いたら卒倒する話だ」
賀茂さんの目が明後日を向いてしまった。稲荷屋こんちゃんズは、節美稲荷大社の方角に向かって手を合わせて拝んでいる。うん、もう何でもありでいいよ。面倒くさくなってきた。
「若様、それで、さっきから高村さんの様子が変なんですが、あれは治るんですか」
「賀茂さん、治る?」
「生まれる前から憑いていた妖蛾が急にいなくなったから、少し混乱はあるかもしれないけど、すぐに落ち着くだろうね。これからは、彼女の元々の性格に戻ると思うよ」
良かった。文福叔父様の話だと、妖に好かれる要素は元々あったっていうことだから、ころっと性格が変わることはないかもしれないけど、それでも、確実に人間らしくはなるよね。明楽君のためにも、そう信じたいよ。
「じゃあ、こんちゃん、私たちはもう失礼するよ。私の着袴のお菓子の意匠は使っていいよ。ロイヤリティーはお父さまが書類をいつもの通り用意して下さるから。それと、お菓子を稲荷屋とヴォルぺで3000個ほど用意して、明日、喜代水に配達してくれる?請求書は牧田に」
そう言いながら立ち上がったところで、昨日の牧田の報告を思い出した。稲荷屋こんちゃんを超える魔除けが欲しいって言ってたよね。ちょうどいいものが、学園のカバンの中に入れっぱなしになっていたよ。
「これ、稲荷屋こんちゃんピンバッジよりも強力な魔除けだよ。お店に飾って」
そう言いながら、こんちゃん父に渡した。
「若様、これは・・・」
「私の最新作。喜代水の鷹の爪を持つ狸、その名もぽんころ」
一瞬、周りに嫌な沈黙が広がった。何でだよ。ぽんころ、めちゃくちゃ可愛いのに。伝説の大錫杖もちゃんと持ってるし。
「あの、ふー様、うちは稲荷屋なんで、申し訳ないんですが、狸はちょっと・・・」
末っ子こんちゃんが眉を八の字にして、遠慮がちに言った。
「うーん、それもそうか。分かったよ。じゃあ、こっちで」
白いふかふかの大きな尻尾を持つ稲荷屋こんちゃんの30センチほどの像を、いつものように、ちゃちゃっと作る。もちろん、稲荷屋の美味しいお菓子が一生、沢山食べられますようにと、がっつり願いは込めたよ。こう思っておけば、稲荷屋に仇をなすようなものからは守られるみたいだから。
「早いっ。また凄い加護がついているし」
賀茂さんがそう言うので、付与は上手くいったみたいだ。賀茂さんはしげしげと、長男こんちゃんの手にある稲荷屋こんちゃん像を見つめていた。そうだ、いい考えがあるよ。
「賀茂さん、ぽんころ人形、お父様のお土産にいかがでしょう。今なら曙光玉1600個も、もれなく憑いてきますよ」
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