第80話 A Pocket Full of Lies 2

幸い、事故にあった二人の店員は、命に別状はなく、二週間ほどで完治するということだったが、病欠の浩子の行方が分からなくなってしまった。携帯も電源が入っていないのか、連絡がつかない。西都で入院できる病院というと、帝国立の西都病院と嘉承病院しかないが、どちらにも入院していないという。


浩子は独身で、西国の端にある村の出身で西都には家族がいない。入院となれば、色々と不自由があるだろうからと普段の女将であれば、すぐに手伝いに駆けつけ、あれこれと世話を焼くはずが、何故か今回は店の忙しさを理由に動かなかった。勤続20年を超える、女将の片腕ともいえるベテラン店員とのこれまでの関係性を考えると、全く女将らしくないと店員の誰もが訝しく思い、頼りになる浩子の早い復帰を願った。


ところが、稲荷屋の職人たちの反応は全く逆で、浩子がいない方が職場の雰囲気が明るくて働きやすいと言い出した。浩子は、仕事には真面目過ぎて、多少融通が利かないところはあったが、性格はさっぱりとしていて、何かあっても引き摺らず、頼りがいのある姉貴分的な存在だったので、それを聞いた店員達は耳を疑った。


「ちょっと、今までさんざんお世話になって来た浩子さんに対して酷いじゃないの」

二番目に古株の美幸が文句を言うと、職人の一人が言い返し、それに数名の店員たちが応戦し、という具合に言い合いに加わる数が増え、開店前の稲荷屋は大騒ぎになった。


稲荷屋の長男と三男が店を訪れたのは、まさに、店員たちと職人たちが、今にも取っ組み合いを始めるのではないかという瞬間だった。


「何をしているんだ。もう開店の時間だろう。さっさと掃除を済ませて店を開けてくれ」


長男に叱責され、皆が渋々と引き下がる中、一人だけ長男に意見を述べようとする者がいた。


「待ってください。いきなり店に入って来て頭ごなしになんですか。今、あたし達は大事な話し合いの最中だったんです」

「誰だ、君は」

「社長、新しく入った高村愛さんです」


店員の一人が説明すると、長男の直太朗が頷いた。


「ああ、君が高村さんか。母から聞いている。それで、大事な話し合いというのは、開店時間が迫っているというのに、準備を放り出して大騒ぎをしなくてはいけないほどのことなのか」


直太朗は、言葉に少し嫌味を滲ませた。こういうと、察して、さっさと開店準備についてくれるだろうと思ったからだ。ところが愛は、直太朗の言葉に怯む様子はみじんもなく、その場に留まって直太朗に話しかけた。


「稲荷屋のご主人が社長じゃないんですか」


何でそういう質問になる?何だか調子の狂う子だなと直太朗は思った。稲荷屋は、西都の老舗の菓子屋で知られているが、実は長男の経営するフォックス・ホールディングスという企業の傘下が持つブランドでもある。稲荷屋とドルチェ・ヴォルぺというブランドで、それぞれ和菓子と洋菓子を帝国中で直営店やデパートの出店で販売している他、各地でのイベントや通販などでも順調に層の違う顧客をターゲットにして売り上げを伸ばしている。この新しい分野でのビジネス展開とマーケティングは、主に三男が担っており、最近ではSNSを駆使して、各地にゲリラ的に出没するポップアップ店でのお菓子と限定グッズ販売が大当たりしている。この戦略と企画の裏にいるのが、某公爵家の食道楽の嫡男であることは世間では知られていないが。


「質問をしているのに質問しないでくれ。父は、還暦以降は、経営から退いて稲荷屋の菓子職人に専念したいと希望したから、もう経営には関わっていない。それより開店時間前に、何を大騒ぎしていた?」

「このお店の貴族偏重の接客についてです。浩子さんのように、貴族というだけで媚びへつらうようなやり方はおかしいと思います」

「浩子さんは、誰かに媚びるような人ではない。貴族のお客様も、そうでないお客様もどちらも同じように大事にしている。稲荷屋が貴族偏重と言われると否定はできないかもな。貴族の顧客の菓子の注文量だけで全体の売り上げの七割強だ。大事にして何が悪い?」

「それは、貴族だからお金があるからです。お金のない一般市民は相手にしないんですか」

「それだけ大きな口を叩く前に、うちのことをもっと勉強した方がいい。一般の若い世代に受ける、手に入れやすい価格帯の商品開発をしている理由は何か。西都で貴族家が何をしているか本当に知っているのか。西都のみならず、西国がこの1400年、どれだけの恩恵を受けているか、子供でも知っているぞ」


淡々と言う稲荷屋長男あらため、フォックス・ホールディングス社の社長を前に、愛は嫌な汗をかいていた。おかしい。いつもだったら、たいていの男性は愛の言うことに同意してくれるのに。


「君、高村愛さんね、この国では言論も思想も表現もある程度は自由だから、陛下と皇家以外のことでは何を言っても不敬罪になることはないから、こっちも目を瞑るけどね。一応、雇われている身なんだから、就業時間は守りなさいね。もう、お店は開いているし。はい、今日も笑顔で頑張りましょう」


社長の後ろにいた若い痩せた男が、ひらひらと手を振って愛を追い払おうとした。稲荷屋の末の息子でフォックス・ホールディングスの専務だ。


「兄さん、例の件、父さんに早く頼もう。俺、今日は南都で商談があるから、時間がないんだよ」

「馬鹿にしないでください!」


奥の事務所に行こうとする二人の背中に愛が叫んだ。


「は?」


話の論点をすり替える何だかよく分からない子だと思ったら、今度はヒステリーを起こしたようだ。どうやって切り抜けるかと考える間もなく、奥の作業場から昭二が飛んできて、愛をその背にかばい、慰め始めた。


「え?」


女性が苦手で有名な稲荷屋の次男が、愛をかばって、慰めている。これは一体、何が起きているんだろう。直太朗と三津男は驚愕のあまり、先刻から一語以上の言葉が出てこなくなっていた。そこに父親が現れ、二人を店の外に誘った。


「親父、あれ、何がどうなってんの?」


店を一歩出た途端に、外気の冷たさで正気に戻った長男が父親に詰め寄った。末っ子も同じように店の方を指さして「あれ、ほんとに兄貴?」と言う。本当に、何がどうなっているのか、訊きたいのはこっちの方だ。十二代目稲荷屋こと芳雄よしおは、大きな溜息をついた。


「お前らは、大丈夫だったか」

「何が?」

「あの子だよ。あの愛さんが店に来てから、まだ数日というのに、何もかもがおかしくなっているんだよ。女将は人の言うことに全く耳を貸さなくなったし、昭二は昭二で愛さんにベタ惚れで儂や従業員が何を言っても、さっきのように庇うだけだ。あの愛さんは変わった子で、注意をしようとすると、まともに会話にならないんだよ。何を言っても、すぐに突っかかるように、論旨の違うところで主張してくるというか。ああいう子は、菓子屋の販売員よりも政治家に向いているかもな」

「あんな変な子を政治家として送ったら、西都議会で頼子様に焼かれるのがオチだって。滅多なことを言わないでくれよ、親父」

「それより、浩子さんだよ。店からいなくなったと思ったら長期病欠って。稲荷屋で何が起きてんの?従業員たちも、みんな顔がこえーよ」


子供の頃から、浩子を叔母か姉のような身内と思って育ってきた末っ子の三津男には、浩子の噂を聞いて心配でたまらない。その浩子に母親が何もしていないと聞いて、違和感を覚えて心配していたところに、先ほどの従業員同士の対立だ。稲荷屋は西都でも優良企業として表彰されるほどの働きやすい職場のはずだ。従業員も経営陣も家族のように仲が良いというのが自慢だったのに、何が起こっているというのだ。


「とにかく、お前たち二人が、愛さんに会ってもおかしくならなくてホッとしたよ。職人たちは、皆、昭二と同じで骨抜きにされていて、まともな話が出来ん」

「親父は、大丈夫だったのか。ああ、あの子は、年寄りは相手にしないのか」


長男が揶揄うように父親に訊いた。


「儂も女将も職人たちも、えらく長い身の上話を聞かされたよ。皆は同情していたがな。儂の時代じゃ、妾の子なんて珍しくもない話だし、ちゃんと聞けば、本人が訴えるほどの壮大な苦労話でもないさ。むしろ、あれは恵まれた育ちだよ。ただ、誰もが魅入られたみたいになっている気がして、それが気持ちが悪い。儂と販売員が正気なのは、若様に作ってもらったこれがあるからじゃないかと言う気がしてな」


そう言いながら、芳雄が自分の来ている法被の胸元につけた小さな白いピンバッジを指さした。


「稲荷屋こんちゃんのバッジ?」

「先に言っておくが、ボケてはおらんぞ」


長男と三男が呆気に取られている間に、芳雄が釘をさした。稲荷屋こんちゃんは、芳雄と三人の息子たちが全員同じあだ名で呼ばれてるのを面白がった嘉承不比人が、あっと言う間に作った大きな尻尾を持つ白いキツネのキャラクターで、稲荷屋が先祖代々信心している節美稲荷ふしみいなりの御神体にあやかったものだ。「稲荷屋こんちゃんズ」と不比人が呼ぶ、芳雄と三兄弟がもらって、芳雄は法被の胸元に、直太朗と三津男はジャケットの胸元に、社章代わりに毎日つけている。


「そう言えば、販売員たちが、あんまり可愛いって何回も言うから、若様が人数分作って下さったじゃないか。彼女たちも全員、エプロンにつけているぞ」

「あ、昭二兄貴は、調理衣だから、つけてないのか」


菓子職人たちは、毎日、綺麗に洗濯された清潔な調理衣という白い作業服と帽子を身に着け、どんなに小さいものでも飾りはつけない。女将ももらっているが、着物なので、バッジはつけていない。不比人が作った昭二と女将のピンバッジは、事務所で大事に保管されている。


「ほんとに、これが?」


確かに、愛に魅入られたようになっていない方の従業員は、全員、稲荷屋こんちゃんのピンバッジを身に着けている。西都の平和を1400年以上もの間、守って下さっている公爵家の魔力の凄さは重々承知しているが、こんな小さなキツネのバッジに、そんなにすごい魔除けのような効力があるのだろうか。直太朗も三津男もにわかには信じられなかった。


「いや、でも、あの若様だからなぁ」


期せずして、稲荷屋こんちゃんズ三人の声と思いが重なった。

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