第79話 A Pocket Full of Lies 1

高村愛が退院後に、稲荷屋に就職することと、稲荷屋の社員アパートに引っ越しすることが決まった。稲荷屋は、800年の歴史を持つ老舗の和菓子屋として曙光帝国中で知られているが、今の店主と三人の息子たちが順調に事業を拡げ、洋菓子部門やマーケティング部門も持つ西都の優秀な企業だ。西都総督府に労働条件や福利厚生の良さで、何度も表彰されているだけあって、社員アパートは、清潔で広々していて、社員には評判がいい。


引越しと言っても、慎ましく暮らしていた高村親子の荷物は少なく、これが女将と昭二の庇護欲を更にかきたてた。特に、独身で職人気質の昭二は、自分の容姿や、話下手の朴訥としたところが女受けが悪いと承知していただけに、何の壁もなく自分に明るく接してくる可愛らしい高村愛に好意を持っていた。愛も自分のことを憎からず思ってくれているようにも感じる。息子の明楽も礼儀正しくて健気な良い子だ。


「あんな可愛らしい良い子を女手一人で育てて来たんだから、間違いなく良い母親ですよ」


西都一の歴史を持つ老舗を仕切り、100人近い従業員や、その数十倍の数のお客を毎日相手にしてきた女将の人間を見る目は誰よりも信用できる。母親がそう言うなら、愛は素晴らしい女性だと昭二は確信した。


ところが、父親である稲荷屋の主人の態度は違っていた。従業員たちが、高村愛の勤務態度に早い段階から苦情を訴えてきたからだ。


愛は、西都の基準で見ると、いわゆる典型的な美女ではないが、色白で可愛らしい顔立ちをしている。華奢なところや、少し甘えたような喋り方も相まって、年齢よりも若く見える。老舗の菓子屋の職人たちは、長年の修行で、昭二も含めて世慣れた者が皆無だったため、愛の明るい性格と老若男女を問わない気さくな態度に惹かれた。


ところが、本店のベテラン店員の浩子は、そんな愛が店に入った瞬間から違和感を覚え、珍しく距離を置くようにしていた。お局店員とは言え、新人イビリをするようなタイプではない。どちらかというと、女将の片腕を長年務めるだけあって、人一倍責任感は強いが、さっぱりした姉御肌の性格の女性だ。それでも、最初は、女将のお気に入りで、可愛い新人店員が職人たちにチヤホヤされるのが面白くないのかと一部の店員たちは思っていたが、三日も経たないうちに、段々と浩子が愛と距離を置こうとしていた理由が分かってきた。


人の長所と短所は表裏一体で、気さくな性格は長所だが、愛の場合は、それが過ぎた。浩子や他の店員たちは、常々、顧客には、老舗の格を損なわない節度をもった接客をするようにと女将に口酸っぱく言われている。創業800年の稲荷屋では、公家や旧家の顧客が多く、冠婚葬祭などで利用されるほか、魔力持ちの家のほとんどは、ほぼ毎週のように大量の菓子の注文を入れる。上位の貴族家にいたっては、ほぼ一日置きだ。


愛が働き始めた初日に、浩子が、職人たちと喋ってばかりおらずに、店で接客をする先輩店員たちのサポートをしながら仕事を早く覚えるようにと注意をした。二日目になり、他の店員たちが忙しくしているのを見た顧客が、手持無沙汰そうな愛に声をかけた。


「ごきげんよう。徳大寺とくだいじですけれど、御水屋見舞おみずやみまいに何か勧めて頂けますか」


ごきげんよう。愛が最も嫌う人種が目の前に現れた。品の良い淡いブルーのツーピースを着て、小ぶりの高そうなハンドバッグを持ったいかにも貴族な女。後ろに婆やのようなお付きまで控えている。


「えっと、お寺に持っていくお供え物か何かですか」

「え?」


嫌な沈黙が流れ始めたところに、浩子が慌てて、二人の間に割って入った。


「徳大寺の二の姫様。いつも大変お世話になっております。御水屋見舞でございますね。失礼ですが、どちらのお茶席にお持ちになるか伺ってもよろしいでしょうか」

「ええ、もちろんよ。万里小路までのこうじ様のところですわ」

「ありがとうございます。万里小路様は、黄身餡のお菓子がお好きで、よくご注文されますので、こちらの玉椿たまつばきですと喜ばれるかと存じます。それから、先週入荷された瑞祥公爵様の御領地のお抹茶で作った、こちらも大変人気になっておりまして」

「まぁ、瑞祥家と聞きましたら、こちらにしないと。万里小路のお姉様は、瑞祥の君の大ファンでいらっしゃるから」


間違いなく、愛の大嫌いな貴族だ。でも、瑞祥と言えば、明楽の友達の太った子供の綺麗な叔父さんだ。


「瑞祥さんって、うちの息子の友達の叔父さんなんですよね」


にっこりと接客スマイルで話しかけると、客の貴族の女は「え?」と、また口が聞けなくなっていた。公家の頂点にある、西都の雅の象徴であるかのような、あの瑞祥彰人公爵を「瑞祥さん」と気安く呼ぶなど、曙光帝国の宰相でもできない話だ。


徳大寺の二の姫は、驚きで固まったまま、再起動できなくなっていた。

変な女。やっぱり貴族はおかしい人ばっかりだ、そう思っていると、浩子が他の店員二人に目配せして、愛を奥の従業員の休憩室に連れて行かせた。


「失礼しました。二の姫様、こちらの瑞祥公爵様のお抹茶のお菓子でございますね」


愛は二人の先輩店員に奥に引っ張られながら、浩子が貴族の女に何度もお辞儀をするのを見た。同じ人間なのに、貴族というだけで、何であそこまで卑屈になる必要があるんだろう。愛は浩子のような人種は全く理解できないと思った。


「ねぇ、ちょっと放してよ。腕が痛いんだけど」


愛が自分の腕を引っ張る同僚の二人にぶっきらぼうに言った。まだ店の中で、客に見られれば老舗の店員にあるまじき態度と話し方だと思われてしまう。二人の先輩店員は、慌てて愛を休憩室に押し込んだ。


三人が揉めているのを奥の事務所から見た女将と昭二が、慌てて三人の後に続いて休憩室に向かった。


「ちょっと貴方達、何やっているの。お客様の前でみっともないことはしないでちょうだい」

女将が声を落として三人を諫めた。店の奥は、大量注文や特別注文をする重要顧客との商談に使う部屋もあるので、おかしな諍いはできない。


「女将さん、それが高村さんが徳大寺の二の姫さまにとんだ失礼を・・・」


先輩店員が説明しようとすると、愛が遮った。


「あたしは何も悪くありません。あの人が瑞祥さんの話を出したから、明楽の友達の叔父さんだって言っただけです」


話を遮られた先輩店員は、憤慨して、愛に言い返した。


「高村さん、徳大寺の二の姫様は、うちの大事なお客様よ。それをあの人だなんて、失礼だわ」

「落ち着きなさい。まずは声を落としてちょうだい。店に聞こえたら大変でしょう」


女将が宥めようとしたところに、浩子が入室した。


「浩子さん、あなた、愛さんの教育係なんですから、ちゃんと見てあげて。お願いしますよ」

「はい、女将さん。でも、高村さんは、うちの店にふさわしい接客の前に、年相応の言葉使いと所作を覚えることが必要です。高村さん、お客様は、たとえ知り合いでも、店の中では様付けでお呼びしてください。お渡しした顧客名簿にはちゃんと目を通しましたか。徳大寺様は、うちの古くからの大事なお客様ですよ。お寺と間違うのはもっての他です」


浩子は感情をまじえずに淡々と指摘した。二人の先輩店員が「徳大寺様をお寺と思ったの?」と、いかにも馬鹿にしたように愛を見てくるので、悔しくなった。


「御水屋見舞というのは、招待された茶席に感謝を込めてお持ちするお菓子ですから、分からなければ、私か他の先輩達に申し出ればいいんですよ。その時も、「詳しい者を呼んで参りますので、少々お待ち頂けますか」とお詫びして、頭を下げてからですけどね」


浩子の言葉には、侮蔑や嫌味はなく、ただ真っ当な忠告と思われたが、愛は顔を真っ赤にして抗議をした。


「あのお客さん、貴族ですよね。貴族のお客様だからって、ぺこぺこしないといけないんですか。そんなのおかしいです。私達と同じ人間ですよね。平民だからって、わけもなく媚びろって言うんですか」

「え、何言ってるの?浩子さんはそんなこと言ってないわよ」

「形勢が悪いからって、論点をすり替えないでよ」


また揉め始めた先輩店員二人と愛の間に女将が割って入った。


「分かったから、あなた達は店に戻ってちょうだい。浩子さんと愛さんは残ってね」


先輩店員たちが店に戻り、休憩室に女将、昭二、浩子の三人と残された途端、愛が泣きだした。女将が慌てて宥め、昭二も慰めようとして声をかけようとオロオロし始めた。


「愛さん、ちょっと落ち着いて。何を泣くことがあるの?」


女将に背中を摩られながら、愛が語った内容に、普段、冷静な浩子が激怒し、勤務中にも関わらず店を飛び出してしまった。今までの勤務態度や彼女の性格からは考えられない短慮な行動に店員たちは驚いたが、十五夜や彼岸で菓子を求めに顧客が絶え間なく訪れるので、その日は誰も浩子に連絡が取ることができなかった。


そして、営業時間か終わり、くだんの先輩店員の二人が店を出た途端に、近所に住む高齢ドライバーがアクセルとブレーキを踏み間違い歩道に乗り上げるという交通事故に巻き込まれた。

その夜、稲荷屋に、浩子の家族を名乗る者から「急病のため長期病欠」と連絡があった。


愛の入店二日目にして、彼女にからんだ三人の店員が店からいなくなった。



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次の一話で、A Pocket Full of Liesが終わり、ふーちゃんと愉快なオジサンたちが戻りますので、どうぞお付き合いくださいませ。ちなみに、サブタイトルは、A Pocket Full of Ryeをもじっております。詳細は近況ノートに記しました。

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