第81話 妖蛾

「若様、三津男は、何か罠に陥れられていくような、得体のしれない恐ろしさを高村愛に感じると申しております。それで、若様に稲荷屋にお越し頂きたいようでした。建前はお仕事の話でご相談したいということで。私には何のことかよく理解できませんでしたが、稲荷屋こんちゃんを超える厄除けを作って欲しいとか」


稲荷屋こんちゃんを超える厄除け?何それ?私が作った稲荷屋こんちゃんは、小さなピンバッジだけどな。末っ子こんちゃんに頼まれて、あのデザインで、包装氏とか紙袋とか、お菓子と抱き合わせで売るグッズをいくつか作ったけど、お守りみたいなのはなかったよ。


「あのいつも明るい青年が今日は顔色が悪くて。従業員たちの対立が日に日に酷くなっていくらしいんです。女将と次男は何でも高村愛さんを庇い立てするので、不服を唱えた従業員が二名も稲荷屋の主人や社長の長男に内緒で解雇されたそうなんです。それが火に油で、もう一触即発らしいです。若様、稲荷屋さんを助けてあげてください」


美也子さんも、申し訳なさそうに伝えてくれた。


「そんなことだったら、明日、学校帰りに寄ってみるよ」

「いや、不比人、先ずは喜代水に行って、文福に坊主を二、三人見繕ってもらってから行くようにしろ」


お祖父さまが、顎をさすりながら仰った。何で、喜代水?


「高村愛が隣国の血筋と分かった時点で、文福の話を聞いた時に気づくべきだったな。ぬかったわ」


お祖父さまの言葉に、土御門さんがはっとしたように顔を上げた。


「長人様、もしや、妖蛾ようがですか」


え、やだ、また怖いのが出てきたよ。妖って付くだけで、もうアウトじゃん。あやかしだよ。反射的にお父さまの背中にへばりつく。


「父様、妖蛾とは、蛾の物の怪か何かですか」

「おう。曙光帝国にはいないが、大陸には、まだ結構いるらしいわ。高村愛に憑いているということは、雌の妖蛾だな。多分、愛の祖母か母親に憑りついて隣国から渡って来たんだろう」


お祖父さまの説明に南条侯爵が何故か得意そうな顔をした。


「なるほど、それで男に粉を掛けちゃうわけですね。蛾の妖なだけに。そう言えば、あの時も吉原で・・・」


瞬間、南条侯爵のドヤ顔も姿も忽然と消えた。


「父様、俺の側近がお耳汚し、失礼しました。彰、悪かったな」

「お、おう。敦人、織比古を、どこまで飛ばした?」

「あいつも一応、風の南条家の当主ですから、自力で帰れる範囲ですよ。ご心配なく」

「兄様、ふーちゃんや真護君のいる前では、話題を選んでくださいって、お願いしていますよね!いつも!いつも!」


お父さまが、お祖母さまにそっくりの良い笑顔で、父様にキレた。いやいや、まずいよ、父様。お父さまに、「瑞祥の微笑み」で静かに延々と怒られるのに比べたら、蛾の物の怪なんか比じゃないから。恐怖の前兆に、さすがの父様と愉快なお仲間の三侯爵も顔を引きつらせた。そこに、こほんと賀茂さんが咳払いをした。


「物の怪というと、陰陽寮の管轄でもあるんですが、ここは西都ですので、両公爵家のお考えに従います。でも、明日、ふーちゃんが喜代水に行くのなら、ついて行ってもいいでしょうか」

「あ、ずるいよ、義之さん。僕もふーちゃんに頼もうと思っていたところなのに」


賀茂さんと土御門さん、「そっち系」が好きなんだ。さすがに好き好んで陰陽師になるだけある人達だよ。でも、チーム陰陽寮のナイスな話題転換で助かったかも。


「それは構わんが、稲荷屋に行くときは、魔力は完全に遮断しろよ。妖蛾に気取られる。あいつらの羽は、強い魔力にあてられると焼け落ちるらしくてな。高位の魔力持ちにはやけに敏感らしい。それで魔力持ちの多い曙光帝国を毛嫌いして、棲息していないという話なんだが、どうやら憑りついている人間と渡航したようだな」


物の怪というのは、隣国や、大陸の他の国での定義は分からないが、曙光帝国では、ちょっとした悪さをして裏でほくそ笑む程度の小物たちだ。化け狐や河童なんかがそうで、本当にいるのかいないのかも怪しい存在だ。ただ、確実に言えることは、西都には河童はいないが鬼が出る。ハイヒールをはいていて、七歳児のなけなしの【風壁】を本気で殴りにくるヤバい連中だ。


「妖蛾も、びっくりしたんじゃないか。安穏と憑りついていたら、隣国から曙光帝国に来てしまうわ、挙句に、一番魔力持ちの多い西都にまで連れて来られるわ。稲荷屋は西都総督府に近いから、サブ子の魔力にあてられて、今頃げっそりかもな」

「兄様、頼子です」


安定の叔母様ネタ。さすがは、都の大公爵。物の怪程度ではびくともしないよ。


「敦人の言う通り、弱っているといいんだがな。妖蛾程度で、稲荷屋に起きているほどの問題は起きないと思うんだが、どう思う、義之?」

「そうですね。私たちが陰陽大学校で習った限りでは、妖蛾は小物で、確かに異性を惑わしたり、人間関係に不協和音を作り出すような悪さをしますが、事故や病気を起こすほどの妖力はないはずなんです」


お祖父さまも、賀茂のよっちゃんも納得がいかないという表情だ。私も何か違和感がある。


「明楽君を助けた夜に、お祖父さまの【業火】で、西都のだいたいの悪い奴は焼いちゃったでしょ。その蛾の妖怪は焼けなかったの?魔力にあてられると羽が取れちゃうんだよね」

「ふーちゃん、そのあやかし、実は、良いヤツなんじゃないの?だから生き残ったとか」


真護がいかにも東条な発言をした。真護は、私の代に生まれて正解だよ。父様の側近だと、今頃、織比古おじさまに続いて、神隠しにあっているところだ。


「真護君、それナイスな推理。ありうるよ。妖怪でも、憑りつきが長くなると、宿主を守ろうとする健気なやつもいるって習った。曙光帝国にも、妖鶴ようかくの話があるでしょ」

土御門さんが、ばちんとウインクをした。この人、うちに段々と馴染んできて、もとの芝居がかったナルシストな喋り方が復活しつつあるよ。


「でも、お話の鶴は、羽を織物にして家計を助ける健気な物の怪だけど、明楽君のお母様に憑りついているやつは、事故や病気を起こしたり、稲荷屋を内部崩壊の危機に陥れたりしている悪いやつだよ」

「それな。多分、もう愛の中に溶け込んでいるんじゃないのか。そうなると宿主が物理的に焼かれたわけではないから、奥で潜んでいたんだろ。愛の中で、思考と感情を汲み取って愛を守ろうとするたびに、逆効果で余計に敵を増やして、俺達にも目をつけられたってところか」

「もしくは、愛の思考と感情を操っているか」


げげっ。何それ、怖い。溶け込んでいるって何なの?私の中にいるトリさんみたいな感じってこと?でも、私はトリさんには操られていないよ。いや、食い意地は、トリさんか。何てこと、私も、操られていたよ!


「もともとは、祖母か母に憑いていたんじゃないですかね。母が高村愛を妊娠していた時には、確実に母には憑いていたと思いますよ。そして、そのまま愛の中に入り込んでいると思われます。胎児というのは、自我が育っていない分、入りやすいんですよ」


賀茂さんが淡々と説明してくれたが、それ、めちゃくちゃ怖いんですけど。私が胎児の時に、トリさんが入り込んできたの?トリさんは、先日、お祖母さまに微笑まれてからというもの、私の深層意識の深いところに行ってしまって、浮上してこない。いつも一緒にいたから、あの毒舌が聞こえないと物足りないと言うか、寂しいよ。


「愛の中で、帝都の厄災や、黒い蛇の近くで瘴気に触れて、余計な力をつけたのかもな。いずれにせよ、周りには迷惑過ぎる。ふー、明日、喜代水の坊主と稲荷屋に行ってとっとと、浄化してこい」

「父様、そんな簡単に言わないでよ。私、まだ制御もおぼつかないのに、魔力の遮断なんて、やったこともないよ」


厄災の事後処理が長引いて、私の世代の魔力持ちの子供は、みんな魔力の制御訓練が遅れている。私の場合は完全四属性なので、魔力の遮断が難しい。水を遮断すれば、火が出る、火を遮断すれば、土が出るみたいな感じになりそうだ。


「ふーちゃん、【風壁】だよ。私なんかふーちゃんの10倍くらい生きているけど、まだ魔力の遮断なんかできないよ。でも、【風壁】で丸っと自分を覆えば、壁の外側には魔力は漏れないんだよ。結果が同じなら、自分のやりやすい方法でいいと思うけどね。小野一族なんか、【風壁】が割と何にでも使えるから、この1000年くらいは、それ一本だよ」


峰守お爺様が、にこにこしながら教えて下さった。


「峰守お爺様、私の【風壁】は、まだ長時間だと安定しないんです。それで、制御も含めて、明楽君と真護と一緒に峰守お爺様に教われないかと思って、うちの祖父に訊いてもらおうって話をしていたところなんです」


私の、ものすごく近くに、帝国一の風の魔力の使い手がいるけど、超面倒くさがりだし、モタモタしていると、絶対に怒って冥府の門まで弾き飛ばされるから、明楽君と真護のためにも、温厚な峰守お爺様に習いたいんだよね。


「こんなお爺さんを頼ってくれるの?嬉しいなぁ。どうせ、長人君は、隠居ジジイは暇だから、こき使えとか酷いこと言ってたでしょ。もちろんだよ。ふーちゃん、小野の子にも【風壁】を教える機会を与えてくれるんだね。本当にありがとう」


峰守お爺様の明楽君によく似た、黒くて丸い柴犬のような目がまた潤んだ。


「父上、鷹邑なんですが、お兄ちゃんに会いに、土曜日の昼食会に瑞祥邸に来るんです。あ、そうそう、この猫ちゃん、鷹邑がお兄ちゃんにくれたんですよ」


いきなり小野子爵が、兄馬鹿全開になって、峰守お爺様にマウントを取り始めた。でも、そもそものところで、土曜日の昼食会に、小野子爵はお誘いしてませんよ。


「俊生、すまんが、お前は呼ばんぞ」


お祖父さまの言葉に、小野子爵が、落雷に打たれたかのようなショックを受けて、この世の終わりを宣告されたのかと思うほどに、落ち込んだ。いちいちリアクションを取って、忙しい人だな。風だけに真護に通じるものがあるかも。


「お前も、峰守も、良真も、鷹邑に似すぎだから、高村愛に気づかれるだろうが」


そうなんだよね。この親と兄弟、本当にそっくりなんだよ。見た目も雰囲気も、すごく似ているから、絶対に明楽君のお母様なら気が付いちゃうよ。


「御前、それなら、前栽の影に隠れて見ているというのはどうでしょう」

「どこの変質者だ、お前は。検非違使を呼ぶぞ。風なんだから【遠見】で見ていろ」


小野子爵が食い下がったが、涙ながらの提案は、お祖父さまに瞬間却下された。


「瑞祥公爵、それなら、嘉承の君みたいに、私を猫ちゃんの土人形に入れてもらえませんか?当日は、猫のふりをして、何も喋りませんから、鷹邑のそばに行かせてください」


小野の二の君の良真氏は、ド直球の兄と違い、変化球で勝負して来たよ。


「え、私の土人形ですか。それは構いませんけど・・・」


いきなりの荒唐無稽な提案にお父さまは、面食らいながら、お祖父さまと父様の方をちらっとご覧になった。


「絶対に喋らない、直立歩行しない。完全に猫になりきるという条件付きだ」


お祖父さまが言うと、三人が「やったー!」と大喜びした。ちょっと待った、そんな条件、本当に吞んじゃうの?あと、二の君だけじゃなくて、峰守お爺様と小野子爵も猫になるつもり?

一連のやりとりに、祖父と二人の父は呆れ、北条侯爵と西条侯爵はドン引きして、東条侯爵は、羨ましそうな顔をした。真護がぽつりと「僕はハンザキになりたいなぁ」と呟いた。


小野一族は、思った以上に風だった。それも、かなり東寄りの風。

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