第77話 風は自由に吹きすぎる
高博士が、禁忌に手を出して、大学を解雇されたという話は、隣国ではメディアに暴露され、国民からの大きな圧力によって国も大学も、博士の研究内容を認め、公表している。ただ、実の弟を殺めて、その体を乗っ取ったという話は、隣国でも曙光帝国でも、秘匿されているので、博士の研究が成功していたのかどうかが分からない。それに、高博士には高英実としての記憶が全てあったと思われるのに、明楽君には、小野鷹邑としての記憶がないという齟齬がある。明楽君がまだ幼かったから、魂が肉体年齢に引っ張られたなど、考えられることは、いくつかあるが、今となっては正解が分からない。博士は、厄災が引き起こした洪水で、その死亡が夫人とともに確認されているからだ。
「だんだんと見えてきた気もするが、やはり肝心なところは、全ての鍵を持つ高村愛に確認するしかないだろうな。とりあえず、土曜の昼食会で、諸悪の根源を作り出した梨元宮にひとっ働きしてもらうか」
お祖父さま、宮様相手にひとっ働きって。うちの1400年に渡る不敬の連続で、もう帝国の不敬罪は形骸化しているのかもしれない。
「
「父様、逃げたりするような方ではありませんよ。隣国にご赴任中の失態を悔いていらっしゃる日々だそうですよ。私がご連絡を差し上げたら、直ぐに我々の意図をご理解して下さって、協力を快諾して頂きました。宮様のご協力については、ご本人が既に陛下にご報告されましたが、兄様と連名で、西都総督府と陰陽寮に書面で報告書を送付しました」
「サブ子が、みっちーに連絡したから、帝都には仁義は切ったしな」
「兄様、頼子です」
二人の父のお約束が出たよ。ほんと、この二人、叔母様ネタで遊ぶの好きだな。
「敦ちゃん、別に、帝都に仁義なんか切らなくても、いいんじゃないの?向こうのほうから、嘉承にお伺いを立てるべきだと思うけどな。そもそもは、帝都の失態なんだしさ。何やかんや言って、全部、こっちで尻ぬぐいしているよ」
西条侯爵が不満を漏らしたので、小野家の三人と陰陽寮の二人が、慌てて頭を下げた。
「確かに、これは帝都が、こちらに頭を下げてお願いするべき案件だ」
「もう、いいんじゃない、無視しちゃえば。陛下のお傍にいるというだけの理由で、うちに何か言える立場だと勘違いしている帝都の公家や武家どもに筋なんか通しても意味ないよ」
「あいつらが一族郎党引き連れて、西都に攻め込むくらいの根性があれば、まだ相手のし甲斐もあるけどさ。いつも口だけだし」
西条侯爵の不満に、北条、南条、東条が追随したので、賀茂さんは、顔色を変えた。小野家の三人は、けろっとしていて、土御門さんは、おもしろそうにしている。やっぱり、賀茂さんだけがまともな人なんだな。西都では、真面目な人が苦労するんだよ。
「いっそのこと、帝都から、みんな纏めて攻め込みに来てくれないかな。いい掃除になると思うんだけどなぁ」
東条侯爵が、両手を頭の後ろで組んで何の気負いもなく、さらっと物騒なことを言った。東条家の場合、洒落じゃないから怖い。真護も父親の横で、こくこく頷いている。
「止めろ、享護。真護も親父に影響されるな。明楽を嘉承の名の元に庇護するのは決定事項だ。今更、帝都に絡まれても面倒なだけだ。今回、梨元宮に手伝ってもらうのは、適当な強さの闇の魔力がいるからだ。被疑者を潰すと、帝都がこれ幸いとごちゃごちゃ言って来て面倒くさいだろ」
出たよ。父様の面倒くさがり。面倒って二回も言っちゃってるよ。私も結構な面倒くさがりの自覚はあるけど、父様には負ける。
「大丈夫だよ、敦ちゃん。帝都の公家や武家くらいなら、東条で全部引き受けるし」
「引き受けてどうするんだ、お前は。ほとんど暗殺かクーデターの提案だろうが。真護、お前も親父の妄言放言にいちいち同意しないで止めろ」
東条の享護・真護親子がまとめて怒られた。この親子、風のくせにやたら血気盛んなところがあるんだよな。
「とにかく、明楽はもう嘉承の責任だ。帝都の連中は関係ない」
父様が言い切ったので、四侯爵も従うしかない。これ以上、ごちゃごちゃ言うと風で刻まれるか、火で焼かれるか。いずれにせよ、確実に冥府の門まで飛ばされる覚悟がいる。
「敦人君、どうもありがとう。嘉承の皆さん、鷹邑のために、色々とご迷惑をかけてしまって申し訳ない。この度は、ご助力、本当にありがとう」
峰守お爺様が立ち上がって頭を下げた。二人の息子も父に続いた。
「峰守おじ様、頭を上げてください。俺たちは良真に助けてもらった恩があるんで、それを返すだけですから。そうだよな、織比古」
「全くその通りです。嘉承一族は受けた恩は返します」
大人たち、また話を美化しているけど、恩返しって、百鬼夜行の姫たちに襲撃された、トホホな話だよね。皆に心を読まれるから、何も言わずにお父さまの背中に隠れたままでいるけどさ。
「あ、そんなの恩に着なくていいよ。あれは、織比古君が女遊びが過ぎちゃった話で、英喜君も時影君も享護君も被害者だしさ」
小野の二の君がぺろっと真実を暴露してしまった。真面目な賀茂さんは呆気に取られて、お父さまは苦笑いで、それ以外の面子は大爆笑だ。この人、とことん風だよ。東条家の家風と合うと見た。土御門さんとは相性が悪そうなタイプだけど。
「それに、敦ちゃんには本当に感謝しているからね。恩はうちが返す立場だよ」
そう言うと、二の君の丸い目が、突然じわっと潤んだ。どうした。何がどうなった。二の君まで情緒不安定なの?まずい、その柴犬の目はやめて。ちょっと心配になって、お父さまの背中の後ろから、こっそりと様子を伺う。
「お前が恩に感じることなんか何もないだろ」
「あるよ。弟の遺体を【業火】で送り出して欲しいってお願いしたら、何も訊かずに、すぐに時影君と来てくれたよ。敦ちゃんは、古の約定で動きが制限されている立場なのに、そのことも考えずに泣きついたことを、後で、父に怒られたんだけどね。それでも翌朝には、帝都の我が家に駆けつけてくれて、本当に頼もしくて、嬉しかったんだよ」
父様が、北条侯爵と顔を見合わせた。土御門さんは、私の方を見ているので、頷いておいた。土御門さんは、ずっと嘉承の父が、篤子お婆様の実家の風の南条ではなく、血縁的には何の関係もない火の北条侯爵と弔問に訪れたことに疑問を持っていた人だからね。【業火】は、火の中でも特殊なもので、この世にあることを許されたものは焼かないという不思議な火だ。それで送り出すということは、間違いなく瘴気がらみで、魔力持ちの家では、家の存続にも関わるほどの深刻な問題で、大変な不名誉だ。それなのに、父様は何も訊かずに、直ぐに友達のところに駆けつけた。この人、どこの山賊だよっていうくらい柄も口も悪くて、魔力は冥王で、間違いなく帝国一の面倒くさがり屋だけど、こういうところが、悔しいけどカッコいい。四侯爵家や、それぞれの一族の分家が何かある度に「敦ちゃん、敦ちゃん」と、いつも頼りにして寄ってくるわけだよ。
「あの時、嘉承公爵が、私達や一族の者たちの前で、鷹邑の遺体には、一切の瘴気は感じられないから【業火】は必要ないと宣言してくれたことで、速水家の裁判後に捏造された小野に対する悪意のある噂や誹謗中傷を聞き流せたからね。うちは、メンタルは強いとは自負しているけど、あの遺体の状態を見た後は、さすがに堪えたよ。公爵が、はっきりと言い切ってくれたおかげで、身内で燻っていた疑問がきれいに払拭されたのは事実だよ」
小野子爵の丸い柴犬の目も涙目だ。ダメだ、泣き目の柴犬が増えた。私も泣きそうになるから、その目は本当に止めて。
「うん、あの時、敦人君が鷹邑に贈ってくれた【
峰守お爺様も、父様の火を思い出すように、静かに淡々と仰った。もちろん、丸い柴犬の目には涙がたまっている。鷹邑氏は、本当に大事にされていたんだな。そんな皆で可愛がっていた末っ子が、何年も行方不明になっていた挙句に真っ黒な遺体で戻って来たとき、彼らの心は壊れてしまいそうだったに違いない。柴犬の三組の目が、涙がこぼれそうなほどに潤んでいるのを見ると、いたたまれなくて、こちらが泣きたくなる。
「うわああああああんんっ」
東条親子が大号泣していた。「何で、ここで東条?」とばかりに土御門さんが、享護おじさまと真護を凝視していた。
うん、ほんと、それ、皆も同感だと思うよ。
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