第76話 禁忌

禁忌だ。何人たりとも、生き物の魂に手を加えてはいけない。それは、この世界の理だ。どんなに科学が進歩しても、この世に生まれてくる全ての魂には、いかなる介入も許されない。魂は、入る器を選んで生まれてくるとされている。死体に違う誰かの魂を移すなんて、完全に禁忌に触れる。同盟国はもとより、非同盟国さえも、これについては、全世界で合意が出来ている。隣国が、高博士のことを隠匿したのは、そのせいだ。魂を弄ぶ、それは、全世界、どの国からも非難を浴びる。曙光帝国では、殺人と同等、場合によっては、それ以上とみなされ、例外なく極刑になる。


土御門さんが、小野兄弟に断りを入れた時点で覚悟はしていたけど、私の予想の更に上を行く話だったよ。真護には衝撃的過ぎたようで、享護おじさまの腕に顔を埋めてしまった。私が、明楽君のことになると何でも絡むから、真護まで巻き込まれてしまった。本人の意思とはいえ、こんな怖い話は聞かなくてもよかったはずなのにと思うと罪悪感が湧いてくる。


「記録では高博士の弟が帰化したとなっていても、本当は兄が弟の体を乗っ取っている疑いがあるんじゃないのか。おおかた、峰守が記録を正して高博士を何とかしようとして、何らかの妨害で出来ないとかで、責任を感じたヤツが外務大臣を辞任したんだろ。あの峰守が退官になる年齢になる前に、退官したというのか、そもそもおかしいんだよ」


お祖父さまが、小野兄弟に仰った。


「御前、閣下、申し訳ありません。私たちには、守秘義務がありますので、いかに嘉承公爵家の皆様といえども、お答えできません」


小野子爵が立ち上がって90度に頭を下げた。その横で、弟の良真氏も同じように頭を下げる。お父さまも椅子から立ち上がった。まずい、これはまずいよ。誰か父様を止めないと。


「止めなさい、二人とも。嘉承一族の皆様には全てお話ししなくてはいけないよ」


ここにいないはずの人の声がしたので、振り向くと、眉が八の字になって、困ったように笑う小野峰守お爺様だった。


「長人君、来ちゃった」


どこの女子高生だよ。数秒前までの緊張感からの差が激しすぎて、ものすごい脱力感に襲われる。


「ジジイが可愛い子ぶっても気持ち悪いだけだから、息子どもと座ってろ」


大魔王に睨まれても、峰守お爺様は、「うん、ごめんね」と普通に受け流している。さすがに大臣経験者は、心臓が強いな。


「敦人、お前も座れ」

「別に小野兄弟をどうこうする気はないですよ」


そんな気はなくても、目つきの悪い、上背のある威圧感のある男が立ち上がるだけで、怖すぎるんだってば。父様が、また椅子にどかっと座って私を睨んだ。


「ふー、小野兄弟の【風壁】を解けよ」

「えへへへ。何のことやら、さっぱり」


笑ってごまかしながら、お父さまの背中の後ろに逃げ込んだ。ここが一番安全で安心するよ。


「さすがは、嘉承の嫡男だね。ふーちゃん、ありがとう。息子たちを守ろうとしてくれたんだね」


実は、父様が剣呑な空気を漂わせ始めたあたりから、薄~く薄~く、【風壁】を小野兄弟の周りに張り巡らせておいた。先に東久迩先生で練習したから、割と上手くいったと思ったけど、やっぱり風を得意とする父様にはバレてたよ。小野兄弟は、自分たちで、強固な【風壁】を張れるくせに、何か罰せられるのを待っているような感じだったから、私が守るのはしょうがないよね。


「小野は皆で、私のところに来てくれるんでしょ。小野子爵も二の君も来てくれるんだよね」

「うん、一族で丸っとついて行くからね」


峰守お爺様が、嬉しそうな顔をされると、小野子爵も「ふーちゃん、ありがとう。もちろん、ついて行くよ」と言ってくれた。呼び方が、いつのまにか嘉承の君から、ふーちゃんになっているよ。やっぱり、そっちの方がいいね。


「私は、猫ちゃんのしもべがいいなぁ」


どこの世界に、猫の僕になりたがる上級国家公務員がいるんだよ。曙光帝国外務省、大丈夫なのかな。私がそう思っていると、皆も同じことを思ったのか、ぶちぶちと文句を言い始めた。


「そんな態度だから、殺人鬼の帰化なんか認めてしまうんだよ」

「高の被害者は弟だけなんだろうな」


確かに。被害者の数は把握できているのか、それは大問題だよ。


「峰守、当時の大使といえば、梨元宮か」


お祖父さまの言葉に、心臓がとくんと跳ねた。香夜子姫のお父上の宮様だ。


「言わなくても、博實君達が直ぐに調べちゃうもんね。うん、そうだよ」

「父上!」


小野兄弟が、峰守お爺様を止めようとするが、お爺様は、片手で息子たちを制した。


「あのね、嘉承家と瑞祥家には、国家存続にかかわる案件は話しておかないといけないんだよ。古の約定は、国家公務員法を超えるんだよ。大学で習ったでしょ」


古の約定、最近よく聞くよね。これは、面倒くさい匂いしかしないよ。私の代になったら、「どうぞお構いなく」って陛下に陳情して、国家存続案件うんぬんの項は改定してもらえないかな。


「梨元か。宮様の名誉は、何があっても帝都は守るわな」

「そういうこと。陛下も宰相も頭を痛めておられたよ。皇太后陛下のお気に入りの宮様だからね」

「やらかしたから、西都の監視係になったのか」

「本人は猛省して、宰相に一番辛い赴任地に送ってほしいって申し出られたんだって」


・・・それで西都ってどういうことだよ、宰相!

むっとした私とは対照的に、父様と嘉承の四侯爵たちは、にやにやしている。


「みっちーには地獄の赴任だったからな」


何か悪い顔しているよ、うちの大人たち。


「うん、まぁ、何と言うか、そういうことだね。それで、宮様は、西都に来られたわけなんだけど、割とご本人もご家族も西都暮らしは楽しんでいらっしゃるようだよ」

「何だ、それ。赴任地で辛酸を舐めながら、研鑽を積むんじゃなかったのか」


お祖父さまは呆れていらしたけど、確かに西都はいいところだからね。時々、鬼が出るけど。


「それで、まんまと我が国に潜り込んで、何をやってたんだ、あの外道は?」

「長年、学習塾の先生をしていたみたいだね。外道でも頭はいいから。外務省は、高博士を放置していたわけではないよ。法務省と協力して、ずっと高の監視をしていたんだ」

「ジジイに目が行き過ぎて、孫娘に裏かかれたらどうしようもないですけどね」

「そういう時は、陰陽寮にも情報を共有してしかるべきでは?」


父様と賀茂さんの両方に詰られて、小野家の三人は本当に悲しそうな顔になった。あれだよ、主人に置いてけぼりにされた、ショッピングモールの外に繋がれた柴犬の顔。私の弱いところをついてくるわ、この一家。


「それは、本当に面目ない。申し開きも何もできない失態だ。私と俊生の二人の首だけでは済まないと思っているよ。ただ、辞めて、あとは関係ないという顔は出来ないから、良真には残ってもらったんだ」


そういう理由が裏にあったんだ。


「鷹邑氏のことで外務省に嫌がらせがあったから辞めたんじゃなかったんだ」


しまった、また口が滑った。最近、真護と長いこと一緒にいるせいだ。


「ふーちゃん、それは、外務省が意図的に流した噂だよ。これは、国家で秘匿しなくてはいけない案件だからね。先の陛下にもご心配をかけてしまったからには、泥くらい、いくらでも被るよ。うちは、こう見えても1400年外交に携わっている一族だから、メンタルは、存外、図太いのが揃っているからね」


小野家、めちゃくちゃ使える。魔力の強さに、メンタルの強さ。頭脳も優秀だし、情報操作も上手い。ところがどっこい、外見は、愛らしい柴犬っぽい雰囲気を持った小柄集団とくれば、警戒心を抱かれにくい。外務どころか、隠密行動とかでもかなり重宝する一族だよ。前言丸っと撤回。これは、抱え込むべき一族だ。


「それで、小野子爵も土御門も、明楽は、高が誰かの体に入れた鷹邑ではないかという見解なのか」

「嘉承公爵、見解ではありません。真実です。私との魔力共鳴が何よりの証拠です」

「僕の思うところは、見解と推理の間かな。でも、明楽の体が、凪子が魔物になっても、最後の瘴気になっても追いかけた彼女の子供のもので、その中に鷹邑がいるとすれば、全ての辻褄が合う」


明楽君の魂は、小野鷹邑氏なの?どう考えても非現実的だった話に、どんどん現実感が増してくる。


「不比人、呼吸が浅くなってるぞ。ちょっと外に行って、深呼吸してこい」


呆然としていた私に、お祖父さまの心配そうな声が飛んだ。お父さまが、私の背中に手を置いて、促してくださったので、そのままテラス窓から、庭に出た。この季節の西都は、日によって、まだ少しだけ夜でも蒸すことはあるが、我が家のある嘉瑞かずい山は、夏でも夜になると冷える。外の冷気が私の頬にあたって、少しだけ混乱していた頭に正気が戻った気がした。


「ふーちゃん」


呼ばれて振り向くと、ものすごく不安そうな顔をした真護が立っていた。しまった、私には、あの捻くれたトリさんがいるから、人の業の何たるかには多少の耐性はあるけど、真護はまだ七歳だ。同級生の正体の話は衝撃的過ぎたはずだ。


「真護、私は大丈夫だよ。真護は大丈夫?」


私が訊いた途端に、真護が、顔をくちゃくちゃにして、泣きながら飛びついて来た。私より背の高い真護だけど、まだこの世に生まれて七年だからね。赤ちゃんみたいに泣いても仕方がないよね。そう思いながら、真護が落ち着くまで、背中を摩りながら、夜空に上った細い月と、その横の赤い星を見ていた。


あの赤い星は、凶星だったか、幸運星だったか。

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