第74話 猫のおつかい

夕方の六時を回ったところで、嘉承側の玄関あたりが、がやがやと騒がしくなった。嘉承公爵と愉快な仲間たちのご到着だ。真護も一緒に戻って来た。父様と四侯爵が、食堂に顔を出すと、賀茂さんと小野子爵が立ち上がって、皆に挨拶をした。土御門さんも、嫌そうに立ち上がる。


「小野子爵が後生大事に抱えているやつ、不比人の猫のお菓子か?」


にゃんころだよ、父様。子爵が泣くから、明楽君があげたやつ。


「敦人、そこは触れてやるな。また泣かれると面倒だ。お前、それで、帰宅早々で悪いがな、南都から峰守を連れて来れるか?」

「はい、それは全く問題ないですけど、先に彰人の土か水で了承を取って下さいよ。峰守おじさまも、いいお年なんで、無理やりだとお体に負担をかけてしまうんで」

「それもそうだな。峰守は、無意識に【遠見】を弾くからな。彰人、頼んだ」

「今から、おじさまをお呼びするんですか?」

「そうだ。俊生の奇行と、晴明の妄言の説明を聞かせてもらうからな。峰守もいた方がいい」


魔王と冥王と観音による人間離れした会話が始まった。嘉承一族は、毎度のことなので、驚くこともないが、賀茂さんと土御門さんと小野子爵は顔が引きつっている。


「えっと、皆様、あの、うちの父を呼ぶとは、どのように?」


子爵が遠慮がちに声を掛ける。


「俊生、今から敦人に峰守を召喚してもらう。お前も風なら出来るだろ?」

「考えただけでも、魔力器官が焼き切れそうになりますよ。召喚って本当に出来るんですか。あれは始祖伝説ですよね」

「いや、西都あたりじゃ、普通ですよ。小野子爵は帝都育ちだから馴染みがないかもしれないけど、召喚は【嵐気らんき】と【風天】の応用ですから。【風壁】も張っておけば、召喚相手を傷一つつけることもなく安全に呼べますし」


へぇ、あれは【嵐気】って言うのを使うんだ。西都では割と普通に使われてたんだ、知らなかったよ。私が納得していると、ちょいちょいと、東条侯爵に肩を叩かれたので、振り返ると、四侯爵が揃ってぶんぶんと首を横に振っていた。ああ。はい、分かりました。やっぱり普通じゃなくて、冥王スペシャルね。


「ふーちゃん、峰守おじさまのご都合が分からないから、お使いを頼まれてくれるかな。前と同じキツネちゃんでいい?」

「絶対に嫌です。にゃんころでお願いします」

「えー、残念。あの子、すごく可愛いと思うんだけど。まぁ、小野家は皆さん、猫派みたいだから、猫ちゃんの方がいいかもね」


お使いはいいけど、あのキツネの姿で行くのはごめんだよ。瞬間、また体の中の殻からふわんと中を掬い取られるような感覚と浮遊感がした瞬間に、景色が変わった。この間と同じ、南都の外れの村にある小野家のお庭だ。


西都の我が家の食堂では、お祖父さまが皆に【遠見】と【風天】で私が見ている景色を共有したようだ。えーと、峰守お爺様はどこにいらっしゃるのかな。今日はお庭に出ていらっしゃらないよ。


「ごめんくださーい」


玄関の前に回って、声をかける。このにゃんころ、ちょっと小さくて、手を伸ばしても、微妙にベルに手が届かないんだよ。かわりに、ドアを叩いた。


「ごめんくださーい」


もう一度、大きな声で声をかけると、ドアがかちゃりと開いて、小野子爵を少しだけ若くしたような男性が顔を出した。この人も明楽君みたいだな。


「え、猫?」


明楽君とよく似た人が、驚きのせいか、何も言わずに私を凝視している。まぁ、誰でも、いきなり直立歩行の喋る猫が玄関に尋ねてきたら、こうなるよね。峰守お爺様か、篤子お婆様が対応して下さると思っていたから、普通にドアを叩いちゃったよ。


「えーと、何か分からないけど、うちは間に合ってます」

「訪問販売じゃないです」

「THKなら、もう銀行振り込みで払いました」

「猫が帝国放送局の受信料を徴収に来るわけないでしょ」


うーん、と明楽君によく似た男性は、腕を組んで考え込んでしまった。何か変な人で調子が狂うな。子爵といい勝負だよ。小野一族の忠誠、もらっちゃってよかったのかな。一族まとめて、こんな変わった人たちばっかりだと、うちにはもう東条一族がいるから、受け止めきれないよ。


「小野の二の君とお見受けします。はじめまして。私は、嘉承不比人って言います。祖父のお使いで、峰守お爺様に会いに来ました」


ぺこりと頭を下げて挨拶をする。


「ああ、嘉承の敦ちゃんのお子さんか。そうか、うちは、猫ちゃんに一族でついていくんだね。めちゃくちゃいい考えだよ」

「いやいや、何が哀しくて、猫についていく名門一族がいるんですか。私は、人間ですよ。嘉承敦人の子供が猫だとおかしいでしょ」


しまった。人見知りの私には珍しく、初対面の年上の男性に、ばんばんツッコミを入れちゃったよ。この人と喋っているとペースがおかしくなるんだよ。小野の二の君は、全く気にした様子もなく、むしろ、明楽君と同じような、丸い目に好奇心を浮かべながら、ニコニコしていた。


「嘉承の君、はじめまして。小野峰守と篤子の次男の良真です」


二の君が、そう言いながら、手を出してくれた。握手らしい。とりあえず、差し出された手を握り返すと、ぎゅっと掴まれて、にぎにぎされた。


「すごい。肉球まである。何この触感。これは嘉承の君が作ったの?」

「いえ、瑞祥の父ですけど」

「ああ、敦ちゃんの直ぐ下の弟さんの瑞祥公爵か。ものすごい魔力錬成と制御だね。毛並みも何もかも本物の猫みたいだから、最初、土人形とは気づかなかったよ」


うーん。ちょっとしたお使いで、長話していると気の短い魔王と冥王に文句を言われちゃうよ。「俺を待たすな」とか、すぐに言う人たちだから。


「あの、それで、峰守お爺様に会いに来たんですけど」

「ああ、そうだったね。ごめん、今、うちの両親はいないんだよ。昨日だったかな。嘉承の先代公爵が、弟のことで、兄を訪ねていらしたとかで、気になったらしくてね。二人で、西都に向かっている途中だよ。今日は、山科の兄のところに泊まるらしいよ」


ええっ、とんだ行き違いだ。せっかくお使いで来たのに、がっくりしちゃうよ。


「その山科の小野子爵、今、うちの祖父や父たちと、この会話を聞いていらっしゃるというか、状況もご覧になっていると思います」

「は?兄が何?」

「祖父の【遠見】と【風天】で、我が家の食堂にいる全員と、この猫の土人形の中にいる私の視覚と聴覚が共有されているんです」


私の説明を聞いて、小野の二の君は、にっこりと笑った。


「何それ。めちゃくちゃ楽しそう。それで、嘉承の君のご用事は何かな?私で何か役に立てる?」

「祖父が、父に峰守お爺様を召喚しろって頼んだんですけど、その前に、ちゃんと峰守お爺様の了解を取らないとダメなので、私がお使いで伝言に来ました」

「え、召喚?召喚って、始祖様の魔法だよ。敦ちゃん、本当にそんなこと出来ちゃうの?凄すぎるよね。それ、父の代わりに私を召喚してくれないかな。嘉承の君から、頼んでよ。どんな風になるのか、ものすごく興味があるよ」

「今、まさに、父とも視覚と聴覚を共有しているんで、ご自分で頼んでください」

「そうなの?じゃあ、あっちゃーん、小野良真だよーっ、召喚してーっ」


瞬間、小野の二の君の姿が忽然と消えた。怖っ、これじゃ神隠しだよ。あの冥王は、仕事が早過ぎる。小野の二の君、せめて、戸締り確認してから召喚されてよ。


このままにして帰るわけにはいかないので、とりあえず家の中に勝手に入らせてもらって、キッチンで火が使われていないか確認。リビングの開けっ放しのフレンチドアも閉めて鍵もちゃんとかけた。これが猫の手だとなかなか難しい。玄関のドアを中から施錠したところで、意識を食堂に戻した。


小野一族の忠誠、ちょっと冷静になって考え直そう。なんか東条ばりに、世話がかかりそうな人が多い予感がするよ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る