先輩がグイグイくる

ほんの一瞬の時間だったけれど唇にまだ先輩を感じた。

契約とはいえ、まさかキスされるとは……。


恥ずかしくて先輩の顔を見られなかった。

視線をそらしていると、先輩は隣に座って俺の手を握ってきた。


「せ、先輩……」

「これから恋人のふりをしなきゃいけないんだよ? 手を繋ぐくらいしないと直ぐバレちゃうじゃん」


「な、なるほど」


納得した。

先輩の言う通り恋人なら手を繋ぐくらい普通の行為。けれど、なんだろう……顔が熱いし、手が震えるし、足もガクガクする。


でも、幸せだ。


心がほわほわして嫌なことは全部忘れられた。

今まで退屈で虚無な毎日だったけど、可愛い女の子がそばにいるだけで……こんなにも楽しいのか。知らなかった。


「そろそろお昼だね」


チャイムが鳴り、昼休憩を告げた。

もうそんな時間だったか。


「先輩、お昼はお弁当とかです?」

「わたしは食堂なんだ。愁くんも一緒に行かない?」

「よ、喜んで。だって、恋人のふりしなきゃ……まずいでしょ」

「うん、百点満点の回答だね。やっぱり、愁くんを選んで良かった」


「それ、どういう意味ですか」

「積極的に守ってくれる人が好きってこと」


「…………っ」


手を引っ張られ、屋上を後にする。

本来なら俺がエスコートすべきだけど、キスの良い意味での後遺症が続いていた。今の俺、借りてきた猫みたいな状態だ。



先輩に引っ張られて廊下を歩いていく。

他の生徒とすれ違う度に何事かと振り向かれる。……うわ、ジロジロ見られて恥ずかしい。――いや、恥ずかしくない! 先輩と並んで歩けるなんて奇跡なんだ。それを恥ずかしいとか失礼じゃないか。


でも、やっぱり恥ずかしいっ!

外見は堂々としている先輩も、実際は俺と同じような気持ちらしく、かなり無理をしていた。


それを証拠に手がめちゃくちゃ震えてる……。歩き方もぎこちないし、ロボットになりつつあった。大丈夫かな。



緊張に支配される中で食堂へ入った。

直ぐにざわざわと騒然となり、周囲の目線は明らかに先輩に向いていた。俺は映る価値無しの透明人間扱いかね。



「……え、和泉さんと誰だ?」「う、うそー…彼氏いたの?」「あの男、誰だよ!!」「おいおい、手を繋いでいるじゃないか! 羨ましい!」「水泳部の天才に彼氏がいたの~?」「ありえね~、ありえねー! 失恋で早退する!」



一応、男として認識された。

今はそれでいいか。

それにしても……やっぱり、先輩って有名人で人気者だな。そんな先輩に手を繋がれている俺はラッキーだ。



「まずは列に並ぼうか」

「そうですね、先輩」


列に並び、順番を待ってキーマカレーを注文。受け取って、空いている隅の席へ向かった。着席すると、先輩は俺の前に座った。


こうして向かい合わせになると、また見え方が違う。正面から見る先輩の表情が凛々しくて、名画のように美しく見えた。こういうのは普通、横顔とかで思う感想だけど、俺は違った。


先輩はスプーンを手に取り、丁寧に手を合わせた。


「いただきます」

「い、いただきます」


俺も続いてく。

そっか、先輩も同じ“キーマカレー”だった。


「この食堂のカレー、全種類安くて美味しいよね」

「貧乏学生のお財布に優しい特別特価の200円ですからね。ほとんどの生徒がカレーを食べていますよ」


「大人気だよね~。でも、キーマカレーってちょっと珍しくて特別感あるよね」

「濃厚な味わいで中辛。ほどよくピリピリして良い塩梅です」


「うん。じゃあ、もっと特別にしよっか」


先輩は頬を真っ赤にしながらも、俺の口元にスプーンを向けてきた。……って、先輩が口に含んでいたスプーンじゃないか。


「ま、まさか“あ~ん”ですか……」

「その通り。はい、あ~ん♪」

「……いやいや、人目があって無理ですよ。それに先輩……手がガタガタですよ。それでは恋人じゃないってバレちゃいます!」


「うぅ……。だ、だって男の子に“あ~ん”とか初めてなんだもん……。恥ずかしくて死んじゃいそう……」


涙目でめっちゃ無理してるー!

なんて可愛い……天使かっ。


とにかく、周囲に俺と先輩が“恋人”であると示す必要はあるよな。……うん、先輩を守る為だ。俺は“あ~ん”を受け入れる。

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