EP18 俺の名を…
「死んだのか?」
「いや、失神してるだけだ」
所長に向けて振り下ろされた刃は、鼻先数ミリ手前でギリギリ止められた。傷一つ付いていないものの、所長はあまりの恐怖に失神してしまい、無様に口を開けて泡を吹いている。
失神する所長を冒険者が取り囲んでケラケラ笑っている。ムカつく奴とはいえ流石に哀れに思ったのか、
「はいはーい。もう終わりでーす。みなさん解散してくださーい」
ソルさんが手を叩き号令。冒険者達は素直に従い、ギルド併設の酒場の方へとゾロゾロ歩んでいった。
クレイジー・エイトの面々も他の冒険者に続いて行こうとするが、その背中をソルさんが呼び止める。
「ガヤルドさん」
「なんだ?」
「所長さんを〈エーワン・エーカー〉の研究所まで運んであげてくださる?」
「なんでオレが——」
ガヤルドが断りかけたその時。逆さ吊りの所長の懐から巾着袋が滑り落ちた。中身がパンパンに詰まったそれが床に落下するなり、ジャラリ、という音が聞こえてくる。途端、ガヤルドは口を噤み、一転して黒い笑みを浮かべた。
「……あぁ。いいぜぇ。運んでやるよ。お前ら! 丁重にお運びしてやれ! 荷物もしっかり運んでやれよ? ククク」
クレイジー・エイトにより所長の縄が外されるが、いつの間にか巾着袋は消えていた。
「あ、ガヤルドさん、俺からもちょっといいか」
呼び止めると、彼は不機嫌そうに振り向いてくる。
「なんだよ。というか、いつからオレはおめぇの子分になって——ピ、ピンキーちゃん、そんなに睨まないでおくれよ」
ガヤルドが凄んできたが、ジェシカが威圧すると彼はしおらしく肩を落としてしまう。相当ジェシカに嫌われたくないらしい。
「……それで、なんだよ?」
「所長が目覚めたら伝えて欲しい事があるんだ。『ポーションの還元にはアルミニウムアマルガムを使った方がいい』って」
「アル……なに?」
「アルミニウムアマルガム。それっぽい名前を言えば伝わると思う。これを使うとポーションの品質が大幅に向上するし、劣化も防げるんだ」
「いいんですか? 敵に塩を送るような事して」
ソルさんが口元を隠し、周囲に聞こえぬよう小声で言う。俺も同じく口元を隠し、同じくらいのボリュームで答えた。
「もちろん所長なんかを手助けしたくないさ。でも、正規ポーションを買ってる人もまだいるだろ? 真面目な新人冒険者とか。粗悪品ポーションを掴まされるなんて可哀想だ」
答えると、ジェシカ、ソルさん、そしてガヤルドは、揃って間の抜けたような顔を並べた。ややあって、彼らはフッと呆れたように笑う。
「甘ちゃんだねぇ」
「甘いですねぇ」
ジェシカもやれやれ、と言った具合に首を振っている。
「……でも、ウォルトさんのそういうところ、嫌いじゃないですよ?」
「そ、そう?」
「ええ」
あたしもあたしも! そんな具合に、ジェシカが手を挙げてぴょんぴょん跳ねた。
「ワタシも大好きです♡」
可愛らしく野太い声で言うのはガヤルドだ。照れる俺を茶化すようにニヤニヤしている。
「……で、伝言はそれだけだから。もう行けよ」
「エンバーグさん大好き♡(重低音)」
「もう行けって!」
「ぎゃはははー」
ケラケラ笑いながら、ガヤルド以下クレイジー・エイトの面々は所長を担いで建物を後にした。
「……」
残された俺たち三人は、なんだか照れ臭い空気に包まれて言葉を見失ってしまう。真っ先に耐え切れなくなったのは、ソルさんだった。
「そ、そうそう。新人冒険者といえば!」
両手をパンと合わせ、強引に話題を切り替える。
同時に気持ちの方も切り替えたようで、真剣な眼差しを向けてきた。
「新人の子達について相談したいことがあるんです。よければ、奥の会議室でお話しできませんか?」
大っぴらにはできない会話。裏のクスリ屋関係だろう。
「いいぞ」
詳しい話をするため、俺たち三人は建物奥の会議室へと移動した。
「誰か使ってるかしら」
ソルさんが会議室の扉をノックしようとする。
「待ってくれ。俺がノックする」
「? 別にいいですけど」
「俺がノックするんだ!」
「そんなにノック好きなんですか?」
ノックノック。中には誰も居ないようだ。
会議室に入って扉に鍵をかけるなり、さっそくソルさんが切り出してきた。
「先ほどの話の続きですが……新人の子達にも、エンバーグさんの商品を売ってあげられないでしょうか?」
それは以前から俺も考えていたことだ。顧客を増やす意味でも、新人冒険者を助ける意味でも、彼らに俺の商品を売りたいと思っている。
しかし、彼らは穢れを知らぬ純粋な少年少女。違法な経路から快く商品を買うとは思えないし、下手をすれば通報される可能性もある。
その旨をソルさんに伝えると、彼女も深く同意を示した。
「やっぱりそうよねぇ。リスクが大き過ぎますよね」
しかし、このままではいつまで経っても新人の死傷率は改善しない。
何か良い方法はないだろうか、と二人で唸っていたところ、横にいたジェシカが勢い良く手を挙げた。何やら自信有り気な表情だ。
「なぁに? ジェシカちゃん、何かアイディアあるの?」
コクリと頷いて、背伸びをし、ソルさんの耳元へ顔を近づけ、ジェシカはゴニョゴニョ耳打ちをする。
あまりにも自然な流れだった。だが、その光景に何か違和感を覚えた。
「確かに! それは良いアイディアね! ねぇ聞いて、ジェシカちゃんが言うには——」
そこで、違和感の正体に気がついた。
「待て。待て待て待て。待ってくれ。……ジェシカ、お前、話せるのか?」
衝撃だった。
てっきり、ジェシカは事情があって話せないものだと思い込んでいた。現にここ二週間は毎日顔を合わせていたが、彼女の声を聞いたことは一度としてない。
問いかけに、ソルさんは訳が分からない、と言った具合に首を傾げる。
「はい? 何を言ってるんですか?」
「いや、え? 喋れるの!?」
ジェシカは恥ずかしそうに俯くばかりで、俺の問いに答えてくれない。その様子を見ていたソルさんは、何かに勘づいたように意地悪くニヤリと笑う。
「はっはーん、まだウォルトさんに心を開いていないのね」
雷が落ちたような気分だった。
膝から力が抜け、机に体をもたれ掛ける。
「そ、そうなのか、ジェシカ……」
自惚れていた。二週間、仕事や食事を共にして、それなりに絆のようなものが芽生えたと思っていた。しかしそれは俺の勝手な思い込みだったようだ。
ジェシカは焦ったように首をブンブンブン!と勢いよく横に降って否定する。だが気を遣っているようにしか見えない。そんな俺らの様子を見て、ソルさんはクスクスと笑っている。
「ジェ、ジェシカ……俺にもキミの声を聞かせてくれ」
「……」
「ほら、俺の名前を言ってみ? セイ、マイ、ネーム」
「……」
顔を真っ赤にし、何か言いたそうに口をモニョモニョ。
しかし終ぞ言葉を発することなく、やがて恥ずかしさに耐え切れなくなったのか、フードで顔を覆い隠してしまう。
「ジェシカちゃんの声が聞けなくて残念ね。とっても可愛い声してるのに」
めっちゃ聞きたい。でも本人が喋りたくないのなら強要することもできないか……。
「……っ」
フードの下から俺の顔色を窺うジェシカ。申し訳なさそうに瞳を潤ませている。
「いや、いいんだ……。無理しないでくれ……」
項垂れる俺を見て、彼女は何か決意めいた表情を見せた。
そして、こちらに近寄ってきたかと思うと、腕を俺の背に回し、顔を胸に埋めて、力一杯体を密着させてくる。
「ちょっ、ジェシカ!?」
彼女なりの信頼の証なのだろうか。戸惑ったものの、こうして分かりやすい愛情表現をしてくれるのは嬉しい。かと言って抱き返すのは憚られたので、フード越しに頭を撫でてあげた。密着する彼女の体温が上がったような気がする。
「ジェシカ、もう分かったから……」
肩を掴んで引き離そうとするが、彼女は一向に離れようとしない。
困り果ててソルさんに助けを求める。しかし、彼女は悪戯っ子のような笑みを浮かべたかと思うと、
「あ〜ん、ジェシカちゃんばっかりずるい〜。私も私も〜」
似つかわしくない甘い声を出しながら、俺の腕に両手を絡ませてきた。むにゅり、と柔らかい物が包み込んでくる。
「お、おい。二人とも……」
正面にジェシカ。右腕にソルさん。
何この幸せ過ぎる状況。だが理性が保てないぞ。
よし、服毒しよう。
奥歯き仕込んだ毒を掘り出そうとした時。
「あれ〜、なんで鍵かかってるんスか〜?」
扉のノブがガチャガチャと動く。
フランチェスか誰かが来たようだ。
「まぁいいッス。蹴破っちゃお〜」
は?
「オラァ!!」
こいつは鍵の存在意義を知らないのか?
木製の扉をブチ破る激しい音と共に、扉の下方から女性の片足が突き出してくる。足が引っ込められると、ぽっかり空いた大穴から顔がひょっこり覗いてきた。やはりフランチェスか。
「ソルさんとエンバーグさんだったんッスか〜」
角度的にジェシカの姿は見えなかったようで、二人きりの状況だと思われたらしい。ソルさんが俺に抱き付いていることを認識するなり、フランチェスがニヤニヤ下品な笑みを浮かべ始める。
「も〜、二人とも〜、またエッチなことしてるんスか〜?」
直後。ジェシカの体が硬直。続けて、抱きついたまま、ぎこちない動きで首だけを上げてきた。
「……」
無言。相変わらず一言も発しないが、『また?』みたいな感じで小首を傾げている。無表情で瞳孔が開いていて死ぬほど怖い。
「……」
『またってなぁに?』とでも言いたげに。じーっと俺を見つめたまま。ゆっくりと、片手を自身の腰元へ。そこには、愛用の短刀が。
——あ、これ、ちゃんと弁明しないと殺されるやつだ。
「ち、ちがうぞ? 同じベッドで一夜を明かしただけだぞ? 一晩中ふたりで大きな声出してただけだぞ!」
天井に吊るされた。
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